仲間



「それでは、今日明日は安静にして、ちゃんと休んでくださいね」
「ああ、解ってる。ありがとな、山南さん。助かった」
「私としては病院に行ってもらいたいのですが、事情が事情のようですから、せめて私の言いつけは守ってもらいますよ」
「そいつは十分解ってるさ」
 千鶴は土方の部屋の前で二人のその会話を聞いた。だが、盗み聞きをしたわけではない。ちょうど山南が土方の部屋を出てくるところだったからだ。
 土方を連れて帰った千鶴は、土方の命令を遂行した後、そのまま自室謹慎を言い渡された。だが、大人しく部屋で待っているだけなんて出来ない。土方の傷の具合が気になってしょうがないのだ。だから千鶴は部屋を抜けてきた。
「土方君、早速お見舞いですよ」
「見舞い?」
 情けない顔をしていた千鶴を見て、山南がくすりと笑う。
「君が気にするのはやめなさい。君が気にしたら、より土方君が気にします」
 ただそれだけ言うと千鶴の頭を撫でて、そのまま立ち去って行った。部屋には入れず、でも気になって仕方がないという気持ちは開いたままのドアから部屋の中の土方を見るに留まる。
「俺はさっき、部屋から出るなと言わなかったか?」
「すみません」
「ったく、入るならさっさと入ってそこ閉めろ」
 千鶴に呆れたらしい土方は投げやりにそう言って敷かれていた布団に戻る。白いシーツには少々血が付いていた。いつも千鶴の前ではきっちりと整えた服装をしている土方だが、今はさらしのように腹部に包帯を巻いて、その上に前開きのシャツを羽織っているだけだった。
「あの、私……」
「謝罪ならもう聞き飽きた。そんな暇があるなら勉強でもしてろ」
 千鶴の言葉を先回りした土方は、千鶴から謝罪の言葉を言わせないつもりらしい。
「お前のせいじゃない、これは俺のミスだ」
 千鶴に背を向けるように布団に寝転んでいる土方は表情を見せない。それだから余計に土方の考えが読めなくて、千鶴の不安が広がる。
「私があの場に居なかったら、私があの時道場から出なかったら、私がこの道場でお世話にならなかったら、土方さんはその怪我を負うことはありませんでした」
 全部起源は千鶴がこの道場と関わりを持ったことにある。これは千鶴が責任逃れが出来るようなものではない。
「だったらどうだってんだ?」
「え?」
「お前が俺たちと知り合わなかったら、確かに俺は怪我しなかったかもしれねえな。けど、俺はもうお前を知っちまってるし、お前も俺たちと一緒に住んじまってる。出会ったことをなかったことには出来ねえだろ」
 その通りだ。だが、千鶴はそう簡単に割り切れるものじゃない。千鶴のせいだ、全部千鶴のせいで今土方はこうなっている。
「それでも、私のせいですから」
 膝の上で握った手の指が白くなる。不甲斐なく何も出来ない自分が腹立たしい。
「……雪村」
「私がいなければ、近藤さんも笑ってここにいたかもしれないし、沖田さんだって病気が進行していなかったかもしれない、土方さんは怪我をしませんでした」
「雪村、聞け」
「薫さんの言うとおり、全部私のせい」
「千鶴!」
 千鶴は名前を呼ばれて反射的に顔をあげた。土方はいつの間にか起き上がっており、距離がだんだん近づいてくる。
 頭を抱え込まれ、土方のシャツの上から左胸に押し当てられた。土方の心音が、千鶴の耳に聞こえてくる。ゆっくりとした音だが一音に重い響きを感じる。
「俺は死んでるわけじゃない。他の奴らもそうだ。確かに今は近藤さんとは話すことは出来ねえけど、近藤さんだって生きてる。総司だって重い病気抱えながらも生きてる。こうして心臓が動いてんだよ。誰も一番大切なものを失っちゃいねえのに、お前が何を背負う必要がある? 誰もお前のせいだなんて思っちゃいねえよ」
 泣いちゃいけないと思っているのに、土方の言葉は催涙剤だと千鶴は思った。歯をいくら食いしばっても、ぽろぽろと瞳から零れてしまう。
「お前の仕事は責任を背負うことじゃねえよ、そんなのは大人の仕事だ。お前はただ、能天気に馬鹿みたいに笑って、俺たちの飯を作ることだ。いってらっしゃいとおかえりって言葉を、俺たちに言ってりゃいい。俺たちの帰る家を守るのがお前の仕事だ」
 土方のシャツを濡らすのは解っていたのだが、千鶴はもう抑えきれなくて土方の胸に頭を押しつけた。声を押し殺してむせび泣く。土方はその間、頭から決して手を離さなかった。


 翌朝、そのまま泣き疲れて土方の布団の上で完全に落ちた千鶴が、目を覚ましてまず視界に映したのは呆れたような顔で千鶴を見ている土方だった。
「おはようございます」
 あくびを噛み殺しながら目をこすって挨拶すると、土方から深い溜息を貰った。
「お前、少しは危機感なり何なり持て」
 むくりと起き上がれば、ちゃんと自分にかかっている布団。どうやら泣き疲れてそのまま眠ってしまったらしい、と状況は判断出来た。土方と同じ布団で、昨晩は眠ってしまったのだ。
 そこまで考えて、ようやく千鶴は頭が覚醒した。
「す、すみませんでした!!」
 布団から這い出て底辺に頭をつけるように土下座する。これは千鶴が悪い、完全に千鶴が悪かった。謝罪に来たのに慰められて、その上泣き疲れて土方の布団を占領してあまつさえ爆睡するなんて信じられない。
「怪我人の土方さんを差し置いて寝こけてしまうなんて……人間失格です!」
「人間失格……いいから、誰かに見つかる前にさっさと自分の部屋に戻れ」
 千鶴のたとえに何か言いたげな表情を見せていた土方だったが、諦めたように溜息をついた。
「は、はい!」
 この状況を見た者にはあらぬ疑いを土方に持たせてしまう、これ以上の迷惑があろうか。否、ない。
「失礼しました!」
 強く頭を下げ急いで廊下を出たら、その瞬間、斎藤と鉢合わせをした。どうやら、斎藤も土方に用があるようだった。
「雪村? 何故師範代の部屋から出てくる」
「あの、あの」
 やかんが沸騰したように千鶴の体温は急激に上昇する。
 見られた、という思いが先行して言葉がうまくまとまらない。
「ごめんなさい、全部私が悪いんですっ!」
 千鶴は真っ赤になった顔を隠しながら全速力で廊下を駆けていった。それを見送った後、斎藤は開いたドアから土方の部屋を見た。見てしまった。いつもなら言う失礼しますという言葉さえも頭の中から全部抜け落ちて、斎藤は廊下に座ると、至極真面目に言った。一言で言うなら、彼は混乱していたのである。
「師範代、ほとばしる情欲があるのはわかりますが、時と場所をお考えになって頂かないと、やはり下の者に示しが」
「なんの勘違いをしてんだよ。んなわけねえだろうが」
「……申し訳ありません。少々取り乱しました」
 と言いつつも、土方から見たら未だに斎藤は冷静さを欠いているように見える。勘違いしてもおかしくない状況だったのは認めるが、誤解を解くことよりも先にとにかく用件を促す。
「それより用件はなんだ」
「いえ、珍しく鍛錬に来られないようでしたので、具合を崩されたのかと思いまして。まさか雪村がいるとは思いませんでしたが」
「だからその話はもういい。見ての通り、昨夜怪我をしちまってな。山南さんから安静を言い渡されてんだよ」
 血はもうすでに止まっている。傷口が広くて血が多量に出たので大きな怪我のように見えるが、傷口は浅かったため先刻の通り大した怪我ではない。斎藤は土方がシャツのボタンを外して見せた怪我に眉を潜めた。
「大丈夫なのですか、病院には?」
「行ってない、行けねえ理由がある。今日明日は大人しくしなきゃなんねえだろうな。もし、朝稽古に来た連中が居たら、お前に任せる」
「承知しました。それと本日は俺と平助で雪村の警護に当たります」
「ああ、頼んだ」
 土方が神妙に頷くと、斎藤は潜めていた眉を更にひそめていくばくか小声になる。
「怪我をされたのなら、尚更身体の負担にならないように場をわきまえた方が良いかと」
「しつこいぞ斎藤! だから、何も無かったって言ってんだろうが!」
「そうですか」
 最初から最後まで特に変わらず澄まし顔をしてた斎藤だったが、やはり頭の中は大混乱だったようだ。それに土方は嘆息する。感情を見せない斎藤にしては珍しいくらいである。その斎藤は土方が声を荒げたため急き立てられるように部屋を後にする。土方の部屋を出る前、斎藤は振り返って土方に言った。
「師範代、一つだけ宜しいでしょうか」
「なんだ、くだらねえことだったら追い出すからな」
「どんな形でも、彼女をあまり傷つけないでください。俺は彼女の心までは守れませんから」
 冗談の延長線上の話であれば、土方は怒鳴って部屋からさっさと追い出しただろう。だが、斎藤はひどく真面目な顔をしていた。おそらく、泣き腫らした千鶴の目を見たのだろう。それが心配なのだ。
「傷つけたわけじゃない、女泣かして喜ぶ趣味は俺にはねえからな」
「……はい、失礼しました」
 その言葉に安心したのか、斎藤は去って行った。こうして何気なく会話をしているが、土方は内心とても驚いていた。千鶴は様々な人間に影響を与えている。筆頭は平助と沖田、感情の波が手に取るようにわかる彼らは、おそらく千鶴に対して好意を持っている。平助は隠せない想いを、沖田は隠そうともしない想いを。気付いていないのは本人くらいだろう。そしてなんだかんだで面倒を見ている原田と新八に、今は自発的に千鶴を守ろうとする斎藤。全員、千鶴を中心として動いている。そして、この自分でさえも。
「ただのガキだと思ってたのにな」
 いつの間にか千鶴はこの家に必要不可欠な存在になっていた。あの笑顔が、自分たちが帰るこの家を明るくしてくれる。全員がそれを知ってしまった。
 だからこそ、一人で苦しませたくない。千鶴は泣いたり苦しんだ顔よりも、笑顔がずっと似合っているのだ。
「ったく、早く動くようになってくれよ」
 土方は早く治るように願いながら腹部に手を押し当てた。千鶴を守る人数は、多ければ多い方が良い。手薄になった今を狙われたら、おそらく平助と斎藤のみでは太刀打ちできないだろう。彼らの実力を侮っているのではない。多勢に無勢、人数的には圧倒的にこちらが不利なのだから。


 





   20100716  七夜月

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