不変 彼が一通り材料と調味料を揃えて、それをレジに持っていくと、当然のようにブラックカードが出されて、驚いた店員が取り扱いが解らずパニックを引き起こしたため、千鶴がニコニコ現金払いする羽目になった。困ったところがあるのは変わらないようだ。 店から出ると、両手に持っていたビニール袋が二つとも取り上げられた。 「貸せ」 「……ありがとうございます」 やっぱりどう見てもこの駐車場にはそぐわない高級車の後部座席に買ったものと一緒に乗った千鶴は、身を縮こまらせた。庶民には肩身の狭い車である。 どこに連れて行かれるかと思ったが、やはりというか風間の自宅のようだった。会社があれなら、住んでる場所もまた一流。高層マンションの一角を占める一際お高そうな完全オートロック制のマンションに入りながら、千鶴はびくびくしていた。やっぱり住んでる世界が違うとこういうところも違うのだ。入り口にはガードマン?と思わしき人もいた。 「夫のために誠心誠意尽くせ」 「夫じゃありませんから」 突っ込みだけは忘れない。 綺麗過ぎるシンクには水垢など一つもなく、おそらく使っていないようだった。こんなに綺麗なダイニングキッチンがあるのに勿体ない!と千鶴は主婦心(?)に思ってしまうのである。主婦と言っても風間の嫁なわけでは当然ないが。 「……なんですか?」 背後に立たれてじっと見られたらやりにくい。エプロンをくれといったところで持っているはずもなさそうだ。諦めてそのままの格好で支度を始めた千鶴の傍を、何故か風間は離れない。 「まず何をする?」 「そうですね、まずは買ってきた材料を切るところから……当然のように隣に立ってるのは何故ですか」 風間は何も言わなかった。言わなかったが、もう気配が興味深々なのは否めない。やりたいのだろう、うずうずしてるのだろう。しっぽがあったら振ってるのだろう。 「じゃあ、まずは手洗いです。それをしなきゃ、野菜触らせませんからね」 「なるほど」 もうなんでもいい、と千鶴は諦めて風間に指示を始めた。言うことを聞き始めた風間は、扱いやすいといえば扱いやすい。大人しく言うことを聞いていてくれるうちなら、千鶴も面倒をみることはやぶさかではないのだが。 「……風間さん!? ストップ! 待ってください!」 皮をむいていないじゃがいもめがけて、包丁を天高くから振りおろそうとしている風間の制止に千鶴は慌てて入った。 「皮むきが先です!」 「…………」 風間の顔は明らかに「皮むき?」と言っている。駄目だこの人、料理できない! 千鶴は悟って、慌てて風間のキッチンの中を漁る。こういう人のためのお助けアイテムがあるはずだ。だが、冷蔵庫も空、物が異様に少ないキッチンに、そもそも料理しない人が調理器具を買うわけないことを思い知る。 「何を探している」 「ピーラーを……あれがあれば、風間さんでも皮剥けますから」 「ピーラー? よくわからんが、以前天霧が置いて行った調理器具ならそこの棚にまとめて入っている」 風間に言われて食器棚の引き出しをあけると、そこには一通りの調理器具の存在があった。そして中にはピーラーも入っている。 「あった! 天霧さん、さすがですね!」 あの穏やかな風間の秘書を思い返しながら、千鶴は彼を風間の母と思うことにした。 「風間さんはもっと天霧さんに感謝した方がいいと思います」 「何故俺があいつに感謝せねばならん」 「風間さんの特性をよく理解しているからですよ。とにかくそれを一度すすいだら皮剥きましょう」 納得いかないといった風の風間だったが、おそらく彼を納得させるだけの言葉を千鶴は持っていない。だから、話を流すようにピーラーを使った皮の剥き方を伝授する。 「じゃがいもに芽があったら、ちゃんととってくださいね。買う時にはないものを選んできたつもりですけど、念のために」 「毒性があるのだろう、知っている。ポテトグリコアルカロイドと総称され中にはソラニン・コマソニン等有毒なアルカロイド配糖体が入っている。毒性としては弱小だが、死に至る例もある。俺を殺すつもりならチャンスかも知れんぞ」 ポテトマニア? と疑いたくなるほど突如雄弁となった風間のうんちくぶりに、千鶴は少々圧倒される。 「詳しいですけど、冗談は面白くないですよ。第一風間さんって、そう簡単に死ななさそうですし」 「人間など、死ぬのも殺すのも簡単だ。昨日話していた奴が今日は居なくなっているなんてことも、ザラにある」 会話の雲行きが若干怪しくなってきた。千鶴は会話を続けるかどうか悩んで、話題を変えることにした。 「じゃがいも好きなんですか? 詳しいみたいですけど」 「特別好きなわけではない。以前、PGAの中毒症状を味わったことがあるだけだ」 「えっ、どうしてですか? 生のじゃがいも食べちゃったとか?」 「馬鹿にするな、そんなわけなかろう。昔から、そういう毒の盛られた食事を口にすることは少なくなかっただけだ」 さらっと言ったが、風間は今とんでもなく異質なことを言ったのではないだろうか。 「この若さでこの地位に立つのだ。切り捨てたものも多い。相応の嫌がらせはあって当然と考えるべきだろう」 毒を盛るというのは嫌がらせのレベルではないと思うのだが、こんな簡単に話せてしまうことなのだろうか。すると、千鶴の引き気味な思考に気付いたのか、どうでもよさそうに千鶴に次の手順を仰ぐ。 「……昔の話だ、つまらん話をしたな。次はどうする?」 「あ、ええとそれじゃあこのしらたきをゆでてアクをとります」 鍋を用意しながら、そこに水を加える風間を千鶴は見た。 とても広い家、住んでる人の気配がない家。 となると、気になるのは一つ。 「御家族とは一緒じゃないんですか?」 「ああ、16の頃からこの家に一人だ」 「食事はほとんど外食ですか?」 「家に居ることの方が稀だからな。寝に帰ることもあまりない」 「そうですか」 千鶴も気持ちはわかった。こんな広い家に一人でいたら寂しい。食事だって冷たくてきっと美味しくない。だったら外で食べた方がまだ美味しいかもしれない。 風間は一人だったんだろうか、この家でずっと。犯罪レベルの嫌がらせまで受けて。 なんだか、すごく嫌な気持ちになった。 「風間さん、お願いがあります」 「なんだ」 「少し向こうに行っていてください」 「邪魔か」 むっとした様子の風間の目を見ないように、千鶴は言う。 「それもありますし、さっきから手先が怖いです。わたしが一人でやった方が断然早いですから。仕事、あるんですよね?」 「……ないこともない」 「じゃあ仕事しててください。出来たらちゃんと呼びますから」 ぐいぐいと風間の背中を押して、千鶴はキッチンから追い出した。話を聞いていたら、とても胸が痛くなった。やるせない思いが胸に広がる。まるでそうであることがなんでもないように言わないでほしい。残念そうな風間の顔は見なかったことにする。情にほだされる前に距離を置かないと、千鶴は切り捨てられなくなるから。 「肉じゃがにこんにゃくは入れないのか?」 ふと風間がそう言うので、千鶴は首をかしげた。 「私が作るものにはしらたきを入れてますから入れませんけど……こんにゃく入れたかったんですか? 買ってくれば糸こんにゃく入れられますよ?」 「……構わん、気にするな」 なんだ? と益々千鶴は頭をひねった。こんにゃく好きなのだろうか、声は普通だが、残念そうだ。やっぱりこんにゃく好きなのかもしれない。 風間は結局そのまま書斎らしき部屋へ向かって行った。広いリビングには千鶴の気配しかなくなる。 改めて見ると、本当に広い部屋だ。 「……しょうがないな、もう」 平助辺りからはお人よし過ぎるといわれそうだが、これが自分の性分なのだからしょうがない。父さん辺りはきっと笑って許してくれるはずだ。溜息をつくと、とりあえず一段落がつくまで作業を進めて、IHの電源を切った。 「風間さん、ちょっと買い物行ってきます。買い忘れた物があるので」 書斎部屋に声をかけると、中から話声が聞こえていた。おそらく電話をしているのだろう。だったらとダイニングに戻り書き置きを残す。まだ途中だから肉じゃがを食べないようにという注意文も忘れない。道場の皆と違って、風間はつまみ食いなんてことはしなさそうだが。 財布とテーブルの上に放置してあった家の鍵だけ持って千鶴は玄関を出た。そして部屋番号を確認する。戻ってきたときに部屋番号を忘れて部屋に入れなくなったら困る。 よし、気合を入れた千鶴はエレベーターホールまで急ぎ足を向けた。 「そちらの件は後で報告書にまとめて送れ。ああ、わかっている。それから今日の会議の資料だが、不備な点が幾つかあったな。経理に問いただしておけ」 了承の声が携帯電話の向こうから聞こえて、風間はすぐに電話を切った。用件など話してしまえば電話などかったるいものだ。 風間は先ほどの千鶴との会話を思い出した。 今、自分がこうして築き上げた地位は自分の力。そのために強いてきた犠牲も多い。恨まれて当然のこともしてきたが、それを悔いたりすることはしない。悔いる前にやるべきことがあるからだ。 一人で生きてきたのだから、これからも一人で生き抜く力が必要だ。大きすぎる権力を手にしたら、分相応の生き方をしなければならない。それに足る人物であらねばならない。 それが風間の生きる道だった。 様子を見に行こうと、書斎を出る。だが、家の中から人の気配は消えて、いつも家に帰ってきたときと同じ静けさがこの家の中にはあった。 すぐさま、逃げたかと思った。だが、テーブルの上には書き置きがあった。 『少し買い物に行ってきます。まだ完成してないので、食べないでください』 確かに腹は空いているが、そこまでがっついてなどいない。むっとしながらメモをテーブルに戻すと、風間はリビングのソファに寝転んだ。リビングには微かに肉じゃがの臭いが漂っている。風間の知らない臭いだった。この臭いを嗅いでいたら、なんだかうとうとしてきた。 疲れているのかもしれない。片腕を瞼の上に乗せて、視界を塞いだ。 「帰ってこずとも、構わん」 そのままいつものように逃げればいい。風間はそんなことを思った。そういえば、現在の千鶴が笑ったところなど、風間は見たことがない。別に構わなかった。手に入れたらおそらくは見られるだろうと思っていたからだ。だが、本当にそうなのだろうか? 千鶴は何をしたら笑うのか風間にはわからない。近藤の家に居る間のあの楽しげな笑みは、あそこにいるから見られるのではないだろうか。 あの笑顔を向ける相手は、自分であるはずだったのに、今は別の人間たちのもの。面白いはずがないのだが、それでも風間はどうすることも出来ない。 今日の千鶴も怒っていたり、呆れているようだった。少なくとも、風間と居て楽しいとは思っていないだろう。 眠気に勝てずそのまま眠りについた風間の夢には、現在の笑った千鶴が出てきた。ただそれは、やはり自分のそばでなく、こんな悪夢は早く覚めればいいのにと風間は感じていた。 → 20101112 七夜月 |