幕開



 車は国道から高速道路に入って、周囲には山しか景色がなくなった。緑が横切る景色の下半分は灰色の高速道路の塀で覆われてしまっているが、見覚えのある山の景色に、千鶴は懐かしさがこみ上げる。
 千鶴が育った場所は村に近い小さな町だったから、道場の近くに比べたらこちらの方が断然見知った景色に近い。
 運転席に座っているのは斎藤だ。地図を開いて助手席に座っているのは平助で、不機嫌な土方が後部座席で千鶴と共に座っていた。
 それは数日前の出来事だった。
「駄目だ」
「お願いします、行かせてください!」
「許可しない、第一圏外なのにどうやっていくつもりだ?」
「電車の鈍行を乗り継いでいきます!」
「金は?」
「じゃあヒッチハイクで!」
「馬鹿か! 今時ヒッチハイクで本当に車が捕まるわけねえだろ!」
 と、居間で押し問答を繰り返していた千鶴と土方を、見守る面々は平助と斎藤と山南である。
「なあ、一君。これって確かさ、千鶴が風間から貰ってきたメモが原因でこうなってるんだよな?」
「そうだな」
 千鶴が風間より持ち帰ったメモには千鶴の知らない病院と思しき名前が書かれていた。調べてみたら、どうも別地方にあるようだった。それこそ泊りがけで旅行に出かけるのと大差ないくらいに遠かったのである。
「だから、学校休んでまで一人で行くのがおかしいって言ってんだよ」
「だけど、ようやく手に入れられた手掛かりなのに、じっとなんてしてられません」
「二人とも、少し落ち着いてください」
 このままじゃ埒が明かないと判断したのは、大人しく聞いていた山南だった。どうどうと動物を諌めるように、両手で二人の気を逸らす。
「お互いに妥協案を出しましょう。とにかく雪村君、私たちは君を一人で行かせるのは断固として許可しません。どんな危険があるかわからないからです。土方君が指摘してるのはその点だというのはわかりますね?」
 穏やかに問いかけられて、千鶴は渋々ながら頷いた。
「はい」
 よしと頷いた山南の視線が、今度は土方に向けられる。
「土方君も、彼女が知りたいと思っていることを止める権利は君にはありませんよ。これは彼女が抱えてる問題ですから」
「んな事は解ってんだよ。けど、山南さん」
 千鶴とは別に、食い下がろうとする土方の言葉尻を奪い取って、山南は続けた。
「雪村君が心配な君の気持ちももちろんわかります。このままだと無理やりにでもついていきそうなので、今週の土日に二人で行ってきてください。近場のホテルは私が予約しておきますから」
「ええ!?」
 目を丸くしたのは千鶴と土方だだけではなかった。素っ頓狂な声をあげたのは、平助である。
「ちょ、待ってくれ山南さん。それはそれで、マズいんじゃ。仮にも男と女なんだし」
「今さら何を心配してるんですか。この家に彼女が男と偽って住んでることの方が、外聞は悪いですよ」
 さらりと笑顔で言う山南に、平助は焦りながらちらりと斎藤に視線を向ける。
「そりゃそうだけど!」
 頼む、加勢してくれ!とその視線を受けた斎藤は溜息を一つつくと、山南を見返す。
「お言葉ですが山南さん、交通手段は何をお考えですか?」
「やはり、レンタカー辺りが妥当でしょうね」
 千鶴が調べた場所に寄れば、交通手段で公共機関を使う場合、山奥にあるということでだいぶ不便な場所にある。ターミナルとなる新幹線の大きな駅からまた在来線に乗って何駅か先に行き、それからバスに乗り継いで行かなければならないのである。しかもバスは一日に五本の指に入るほどしか本数が出ていない。更に言えば、バスは山のふもとまでしかなく、そこから徒歩で山を登り目的地まで行かなければならないのだ。それを考えたら、最初から車を出した方が楽だし時間の短縮にも繋がる。
 と、山南がそう言うと、自らの発言で気づいたように言葉を止めた。なので、斎藤がそのあとを掬って言う。
「となると、運転手役が必要になりますね」
 免許であれば土方も当然持っているのだが、土方は一応安静の身である。怪我をしたことは平助には知らせていないので、伏せたまま会話が行われるが、千鶴と土方にも斎藤の言いたいことが解った。
「そうですね、失念していました。では、斎藤君にも同行してもらいましょう」
「了解しました。あと、もう一つ。雑用係が必要になると思うので、平助の同行を許可していただけないでしょうか。おそらく足手まといになることはないと思いますので」
「雑用係!?」
 淡々とした斎藤のあまりの発言にショックを受けている平助をよそに、山南も少し考え込んでから許可を出した。
「……そうですね、万が一ということもありますから、彼にも一緒に行ってもらいましょうか」
「なんか言われ方は複雑だけど、おう! 了解!」
 気を取り直したらしい平助は、やる気を見せるためかガッツポーズをしながら千鶴に向かって親指を立てる。
 だが、心中一番穏やかじゃないのは、千鶴であった。出来れば、これ以上は巻き込まない形で進めていきたかっただけに、これは望む形ではなかった。もしまた、誰かが怪我をするようなことになったら、そう思うだけで苦しくなる。
「……はい、宜しくお願いします」
 頭を下げながらも情けないことに、千鶴は眉も下がったままだった。

 少人数ということもあって、レンタカーで借りたのは普通乗用車である。シートは四人掛けのものになるため、自動的に役割が割り振られる。仮にも雑用係のなのでナビ役には平助が抜擢され、土方は身体を休めるために後部座席で先ほどから押し黙ったまま外の景色を見ており、千鶴も反対側の窓から景色を見ていた。というか、ギスギスした土方の雰囲気に飲まれて、ものすごく居心地が悪かったため、何かしてるフリでもしないと隣を意識せざるを得なくて仕方なくだった。途中からは、景色そのものの移り変わりを楽しんでいたため、飽きることなく見ていられたのだが。
 旅の片道行程も半分を過ぎたころ、サービスエリアで休息を取るため一度車から降りた一同は、食事を取るために売店へと赴く。物珍しげにキョロキョロするのは、毎度のことながら千鶴である。ふらふらしそうになった瞬間、首根っこを土方に掴まれて千鶴は拘束状態となり動けなくなった。
「おい、雑用係、仕事を与えてやる。今から四人分の飯を適当に買ってこい」
「……りょーかい」
 土方から投げられた財布と共に命令を受けた平助は渋々ながら、売店に向かった。
「あ、ならわたしも……!」
「お前の役目は席取りだ。俺達が戻ってくるまでに適当に四席取っとけ」
「わかりました」
 平助を手伝おうと名乗りを上げようとした千鶴にも仕事が与えられたので、千鶴は大人しく頷く。
「斎藤、ちょっといいか」
「はい」
 斎藤を連れだって歩いて行った土方たちをお手洗いかなと見送った千鶴は、そこそこ席が埋まってしまっているテーブルに急いで席取りに行った。たまたま家族連れが席を立ったので、無料で提供出来るらしいお茶を人数分汲んでくると、千鶴はそこを譲ってもらった。
 すぐに戻ってきた土方たちは千鶴が待っている席に真っ直ぐ歩いてくる。
「おかえりなさい。平助くんはまだ来てなくて」
 千鶴がそう言った傍から両手にラーメンとうどんを持ってきた平助が戻ってきた。
「とりあえずこれ二つ先に持ってきたから、あとカレーとそばがあるけど誰がどれがいいか決めといてくれよ」
 見事に食べるものを全部分けたらしい。平助からうどんを受け取った千鶴はテーブルにとりあえず置き、同じく斎藤が受け取ったラーメンを見比べる。
「どうしますか?」
「雪村、食べたいものはあるか」
「私は何でもいいです。お腹減ってるので、どれもおいしそうに見えますし」
 高速道路なんてほとんど来たことない千鶴はこの混み具合は普通なのかと思っていたが、自分で言って混んでいる理由が解った。もうすぐお昼になるのである。
 無難に千鶴はうどんで、土方がそばを選び、残ったラーメンは斎藤、カレーが平助ということになった。その際良いことが一つあった、食事前と後では土方の機嫌が些か改善されていたのである。お腹空いてたからイライラしてたのかなと単純に千鶴が思っていると、斎藤から提案があった。
「雪村、今のうちに手洗いを済ませておけ。またしばらくずっと車に乗り続けることになる」
「あ、はい、わかりました」
 確かにまたパーキングエリアなどでいちいち止まってもらうのは悪いし、この場で済ませてしまった方が断然良い。千鶴が席を立つと、土方が満腹感に浸っていた平助に声をかける。
「ついでだ、平助。お前も一緒に行って来い。忘れてるようだから思い出させてやるが、雪村は男だからな」
 土方の言いたいことは千鶴もすっかり失念していたが、今の自分は男だった。
 学校のトイレに関しては実はこっそり教員用の女子トイレを使用させてもらっていたのだが、改めて他の場所で入るとなるとどうしたって自分の恰好が女子トイレ向きではないのを思い出す。
「別に、堂々と女子トイレ入ったって問題ないと思うんだけど」
 固まってしまった千鶴に気を遣ったのか平助が一応の助言を加えるものの、土方に睨まれて押し黙った。コンビニなどの男女共用トイレならまだしも、さすがにこういった施設で共用トイレというのは聞いたことがない。
 かといって、男性がいるトイレの中に入っていくにはさすがに勇気がいることで、千鶴はちょっと嫌な汗をかいてきた。すると、土方が一言付け加えた。
「何ビビってんだ、どうしても男子トイレに入りたくなきゃ、多目的トイレを借りてこい」
「そ、そうですね、そうします!」
 まさに青天の霹靂と言えるほど、千鶴にとっては考えてもみなかったことだ。多目的トイレは所謂バリアフリーに特化したトイレのことである。今は大きな施設には必ずと言っていいほど設置されている男女共用トイレだ。
 今まで頑張って男女共用トイレを探していた自分がちょっと可哀想だと千鶴は思った。いや、可哀想なのはその考えに至らなかったことか。千鶴が歩き出すと、平助も一緒にやってくる。
「土方さん、今日ピリピリしてたよな。なんかあったのか?」
「私も解らないんだけど、ご飯食べたらちょっと棘のある雰囲気が和らいでたよね」
「腹減ってたってことか? まあ、人間確かに腹減るとイライラするけど、土方さんそういうのに左右されない人だと思ってたぜ」
 確かに、とその点に関しては千鶴も同意する。お腹が減ったら少しは機嫌が悪くなるかもしれないけれど、あまりそれを表だって出すような人ではなかった。
「虫の居所が悪かったのかも、ほら、私が我儘通した部分ってあるし」
 土方が悪者になるのは違うと思った千鶴は当然、土方を擁護する発言をする。我を通そうとしたのは事実だし、千鶴自身意固地になっていたのは否めない。
「そうかあ?」
「きっとそうだよ。じゃあ、平助くん。また後でね」
 平助は納得していないようだったが、千鶴は話題を切り上げた。手洗いにたどり着いたからである。平助はじゃあ、あとでなーと男子トイレの方へ入っていく、それを見送ってから千鶴は多目的トイレの取っ手に手を伸ばした。その瞬間、ぞわっと背中に何かが伝った。急いで振り返るが、そこにはもちろん誰もいない。
 見られていた?
 一瞬そんなことが頭に浮かんだものの、きっと気のせいだろうと思ってその考えを振り払った。よくよく考えたら、多目的トイレを使用するような人間じゃないから、非難の目を浴びたのかもしれない。そうだ、きっとそうに違いない。
 ごめんなさいと、誰かにもわからない相手に謝罪をしてから千鶴は取っ手を掴んだ。


 





   20110114  七夜月

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