喪失



「やあ、千鶴。こんにちは」
 手術室のドアが開いた時、千鶴の前に倒れてきた斎藤は袖や顔に切り傷を作り、そして胸部から出血していた。木偶人形のように斎藤を無造作に放り投げて千鶴にそう言ったのは、微笑みを浮かべた薫だった。
「この間の返事を聞きに来たよ」
 呆然としていた千鶴に、薫はにっこりと口角を上げたのだった。


 突然の襲撃にベストな対応をした平助は、土方に問い掛ける意味を含めて彼の名を呼ぶ。直感的に千鶴が危ないと感じた彼は迷うことなくこの場に残ることを選んだ。
「土方さん!!」
「やっぱり尾けられてやがったか。平助、なんとかして場を持たす。相手が何人かわかんねえから、気をつけろ」
 警官二人から預かっていた折り畳み式の警棒を平助は構えると、先に事を起こした土方の隣に駆け寄った。
「了解! 千鶴は?」
「もしものことがあれば、斎藤に逃がすように言ってある。とにかく時間を稼げ」
「わかった」
 土方が投げたのは発煙筒だ。もしものためにとにレンタカーについていたものをくすねてきていた。相手が赤い光を発するから見るに、おそらく暗視スコープを使用している。先ほど液体の入ったものが割れる音がした。何かの化学薬品が漏れ出したらしく、煙も充満している。有毒ガスが発生していないことを祈るしかない。
 相手は顔をマスクで覆い、完全覆面である。その中から一人が煙をモノともせずに歩き出した。
「久しぶり、土方。その後の怪我の具合はどう?」
「お陰さまで良好だぜ」
「そう、それは良かった。俺も心が痛んでたんだよ」
「心にもねえこと言ってんじゃねえよ」
「南雲薫!?」
 平助は驚きの声を上げながらちらりと土方の顔色を窺った。平助には理由も状態もよくわかってないが、土方が相手を睨みつける状態は変わらないため、とりあえず味方ではないと判断する。よって、状況を把握すべく平助は薫を睨みつけた。
「ああ、藤堂か。久しぶり…ってほどでもないか」
「平助、油断すんな。こいつは敵だ」
 こいつらは誰かと戦争でもおっぱじめんのか?と思わないでもない相手方の重装備っぷりに土方の背中に嫌な汗が伝う。平助も同じようなことを思っているのか、相手のことをつぶさに観察している。
「ところで、ものは相談なんだけど、千鶴を返してくれないかな」
「お断りだな。前も言ったが、あいつが行くと言わなければ意味がねえ」
「やっぱり、そう言うと思った。だったら力づくでも仕方ないよね」
 その言葉は問いかけでも何でもなかった。薫が発すると同時に、後ろに控えていた数十人の男たちが一斉に平助と土方を取り囲んだのである。そして無言で繰り出される猛攻撃、プロの戦闘集団なのかその動きは完全に素人とはかけ離れていた。きちんとした得物を持っていない今、土方も平助も必然的に肉弾戦になるが、薫の後ろでは数名後方支援として残っており、虎視眈々と銃口を構えている。隙を見せたが最後、確実に撃たれる。
「土方さん……!」
 警棒で相手の動きをガードしながら、呻くような平助の声が聞こえる。土方も平助も肉弾戦はやぶさかではない。ただ、この人数相手では消耗戦に持ち込まれたら確実にこちらが不利だ。それでも時間を稼ぐためには無理でも無茶でもやらなければならなかった。刀を持てば、また話は変わっていただろう。木刀、竹刀、殺傷能力は劣るがそれらがあればもう少しまともな闘いが出来たはずだが、考えたところでその物が目の前に現れるわけでもない。
「あまり手荒なことはしたくなかったんだけど……」
 薫がそう言って手を挙げると、後方部隊が拳銃を構え、土方たちを攻撃していた敵全てが飛び退った。その瞬間、銃口から弾が発射され、土方と平助の身体をギリギリのところで掠る。弾が掠ったところは洋服と皮膚が切れて、薄い線を作り赤い血が流れた。
「これ、本物じゃないよ。でも、本物に限りなく近い改造銃なんだ。当たったらタダじゃ済まないよね。人体も貫通するか、試してみる?」
 暗に、わざと狙いを外したのだと言われた。そしてまた直後に今度は2〜3発連続で発射され、土方と平助の身体を傷つけた。
「……っ!」
 平助は悲鳴を堪えて歯を食いしばっているが、普通に当たったら目も当てられない威力があるのは間違いない。
 だが、ここで引き下がることもまた、出来ないのだ。ここで引き下がれば土方たちは負ける。千鶴を奪われることになる。
「ほざけ、そんな玩具で人間簡単に倒せると思うなよ」
「なるほど、それが答えか……じゃあ、こんなものじゃ千鶴もなんともない、か」
「どういう意味だよ!」
 千鶴の名前が出たからか、食ってかかった平助に、薫は首を竦めた。
「言葉通りの意味だよ。お前たちが抵抗した分、それを全部千鶴に返す。千鶴は痛がるかな、どう思う?」
「つくづく最低だな、お前」
「褒め言葉をありがとう」
 苦虫を噛み潰した土方の表情を御満悦と言わんばかりの表情で受け流し、薫はふっと息を漏らした。
「お前たちが抵抗するのであれば、千鶴を傷つける。だが、お前たちが抵抗しないと言うのなら、千鶴は傷つけない。わかってると思うけど俺は本気だ」
 土方は心内で苦渋の決断を迫られることになった。平助は悔しげに地面を蹴ってから、飛びだしそうなところを土方に肩を掴まれた。
「土方さん、なんでだよ!?」
「……駄目だ」
 冷静に考えて、今の自分ではこの場を凌いで千鶴を守ることは不可能だった。薫はやると言えば間違いなくやる。狂気と危険を孕んだその瞳を見れば一目瞭然だ。
「土方さん!!」
「あいつに手を出させるわけにはいかねぇんだよ!」
 圧倒的戦力差、どんなに気力や負けん気があっても、事態を好転させる秘策は土方は持ち合わせていない。
「さすがに冷静だ」
 嬉しくもない褒め言葉が薫からもたらされる。だが、そんな褒め言葉よりもいっそ馬鹿やってけなされた方がよほどの褒め言葉だし勲章だと土方は思った。
 もう、馬鹿をやることが出来なくなったのは、土方が大人になってしまったからだ。冷静に状況を分析でき、この場で一番被害の確率が低い計算をしてしまうから。
「てめえ、なんでそんなに千鶴を狙うんだよ!」
「それに比べてこっちはうるさいな」
 薫は持っていた銃を構えると、躊躇いもなく引金を振り絞った。乾いた音がして、小さな弾は平助の額にぶつかった。弾の威力は大きく、倒れて頭でも打ったかのような脳震盪が平助を襲う。ぐらりと傾いた身体、銃を捨てた薫が一瞬で間合いを詰め、そして平助の身体を拳で突いた。勢いよく吹っ飛んだ平助は段ボールの山に背中からぶつかった。
「くはっ……!」
 平助の額からは血が出ていた。
「平助!」
 平助に寄ろうとした土方を止めたのは、薫だった。薫の顔からは笑みが消えなかった。行く手を阻むように素早く土方の顔面めがけて拳を揮うべく腕を上げた。
「……しまっ!」
 顔に来る突きを腕でガードした土方は、彼の目的が別の所にあったのを見抜けなかった。薫は拳を前に出すために力を加えた右足を軸に身体を捻らせて土方の腹部に回し蹴りを加えたのだ。腹に力を込めてもガードは間に合わない。狙った箇所、つまり怪我している部分に見事薫の蹴りが入って、土方は腹部に焼けるような痛みを感じた。肩膝ついて身体を前屈みに倒しながら、土方は咳き込む。
「ああ、ごめんね? まだ治ってなかったんだ、そこ」
 白々しくも千鶴と同じ顔で謝ってくる薫。服の上からでも解る、開いた傷口はどくどくと血を溢れさせ、土方の服を染めた。
「けほっ、……けほ」
 血が目に入ったのか、片目を瞑りながらも起き上がろうとしている平助と咳き込みながらも睨みつけてくる平助。薫はその二人を交互に見ながら、溜息をついた。
「もういいや、飽きちゃった。二人とも眠ってなよ」
 土方の首筋には手刀を、平助の腹部には強打の握り拳を叩きつけて、薫は二人を昏倒させた。意識が白くなる二人の目には、もう薫は映っていなかった。


 怪しげなサングラスの男が止まったのは、医局だった。あまり近づいても怪しまれるので、エレベーターが止まってから、沖田はわざと反対側に歩いた。そして身体を隠すように手近にあった大部屋へと身を寄せる、大部屋の中はそれぞれカーテンで間仕切りしてあり、誰も沖田を咎める者はいなかった。医局は医師がたくさん集まる場所、だからここからでは誰に用件があるのかわからない。サングラスの男は扉を開けた人物に促されるように部屋の中へと入って行った。
「残念だなあ、尾行失敗かな」
 あまりこそこそ窺うようなことをしていたら逆に怪しまれる。沖田は諦めて大部屋を出ると、自分の病室に戻るためにエレベーターを待っていた。ピンポンと音がしてエレベーターが開くと出てきたのは松本だ。
「沖田君、こんなところで何をしてるんだ?」
「松本先生、さっきぶりですね。あまりにも暇なので散歩してます」
「そうか、ほどほどにな」
 降りてきた松本に道を譲り、沖田は開いているエレベーターに乗り込んで、開閉ボタンを押す。
「あ、松本先生ちょうどよかった。お客さんが見えてますよ」
「ああ、わかりました」
 事務員か医師かは解らない。けれど扉が閉まる直前、そう声が聞こえた。動きだしたエレベーターの中で、沖田の考えも大きく動き出す。あのタイミングで客となれば、先ほどの怪しげな男の確率が大きい。元から客が待っていた場合もあるが、ちょうど良かったということは「松本を探すため、または呼び出すため職員が医局を出た直後の本人との遭遇」と捉えてもおかしくないはずだ。言葉と言うのはその人間の心理を表すものだ。何気なく発せられた言葉ほど心理の信憑性が高い。
 つまり、あの不審者は松本の客と言うことだ。沖田は自分の考えにいたく満足した。と、同時に益々謎が深まる。松本はあの客と一体どんな話をしているのだろう。
 ピンポンと音がして、エレベーターが目的だった階に到着した。しかし、沖田は開いたドアからは出ずに考え込むと、一階へのボタンを押した。受付カウンター前にはたくさんの人が座りながら呼ばれるのを待っている。ざわざわと話す人の声。連なった長椅子の一つに腰をおろして、沖田は先ほどの人物が出てくるのを待った。時間を計っていると15分くらいで降りてきた。何事もなくやはり気配を匂わせぬまま例の人物は出て行く。
 長く話しこんでいるわけではない、限りなく可能性は低いが営業という線も捨てきれない(ただ、その場合営業マンとしての資質を疑うが)
 何か他に情報がないだろうか、と沖田は再び”散歩”を始めることにした。病院を転々と歩いたところで何か見つかるわけではないだろうが、部屋に居ても退屈なだけだ。
 外に出たら気持ちよさそうな天気だ。そんなわけで、沖田は中庭に行くことにした。見上げればずいぶんと空が高く見える。
「良い天気だな」
 そう考えるのは沖田だけではないようだ。他にも散歩している患者は多くいる。中にはボール遊びをしている子供たちの姿まであった。ベンチに座りながら、空を見上げた。今沖田が見ているこの空は、沖田の大事な人たちが住んでいる場所に続いていると考えるだけで、少しは気分も良くなった。
 千鶴ちゃん、どうしてるかな。
 少女の笑顔を思い浮かべながら、沖田はそんなことを思った。
 千鶴のことだから、おそらくは今日も笑ったり泣いたり忙しいのだろう、感情が忙しない娘である。
 元気でやってればいいなあと呑気に思いながら、大きく伸びをした。


 





   20110408  七夜月

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