消失



 ごめんなさいと涙しながら手を握り返してきた千鶴を思い出すと、平助は悔しさでたまらなくなる。道場のある地元へ転院しこの大学病院へ入院している間も、ずっと千鶴が連れて行かれる場面ばかりを夢に見た。
 悔しくてたまらなかった。
 今までだって強さへ憧れていた。けれど今は前以上に強さが欲しい。千鶴を守れる強さが何より欲しい。
「オレは……もっと強くなりたい」
 今のままでは平助もダメだと解っている。今のままでは何も解決しないのだ。
 千鶴に殴られたときから、平助は何も変わっていない。あの頃もずっと悩んでいただけだ。千鶴に喝を入れられて、ようやく立ち上がる勇気を取り戻せた。
 けれど、今はその千鶴が居ない。千鶴が居ないから立ち直れないなんて、そんな情けない男にはなりたくない。好きになった子一人守れなくて、一人前の大人になんかなれるわけない。
 平助は自身でも驚くほどに前向きだった。あんなにコテンパンに伸されたら自信喪失していると思っていたのだが、握りしめた手は悔しさをバネにもう一度立ち上がることを望んでいる。
 取り戻したい、自分をいつも支えてくれたあの手を再びこの手に。
 額に触れてみると、そこには包帯が巻かれている。傷が残るかもしれないと言われたが、女でない自分にとってはそんなもの些細なものだ。それ以上に、この傷が今のこの気持ちを忘れないためのものになるならば、傷が残ったとしても全然構わない。
 平助の中で、結論は既に出ていた、彼は戦う意思を折っていない。守るべきものを守るために戦う、もし今ここに近藤がいたらきっと平助と同じことを言ったであろうと強く信じられるのだ。
 平助が決意を新たに決めていると、病室をノックする音が聞こえた。
「俺だ、平助。入るぞ」
 入ってきたのは斎藤だった。彼も満身創痍で両腕と胸元に包帯が巻かれているのが見える。ここに入院して動けるようになってから、初めて斎藤と再会した。今までは山崎や永倉からの情報でしか斎藤と土方のことはわからなかったが、こうして実際に顔を見合わせて平助に笑顔が戻った。
「一君! 元気そうじゃん!」
 嬉しそうに呼びかける平助の表情を見て、斎藤は面食らったように一瞬動作を止める。
「驚いた」
 言葉にして表しながら、斎藤は不躾に平助に視線を送り続ける。戸惑ったのは平助の方だった。
「何が?」
「もっと落ち込んでるものだと思っていた」
 斎藤の言葉に平助は苦笑いを浮かべながら、頭をかく。
「そりゃまあ……落ち込むこともあるけどさ。だけど、やっぱりオレ諦められねえんだ。アイツさ、泣いてたじゃん。もしアイツが笑って居なくなったのなら、アイツの意志だって諦められたのかもしれないけど、泣いてたから。やっぱり千鶴には笑ってて欲しいもんな。一君もそうなんだろ?」
 平助が問うと、斎藤は困ったように目を泳がせた後に、きちんと頷いた。その瞳にはいつもの斎藤と同じように迷いがない。
「俺は俺が信じるようにやるだけだ」
「さすが一君。ブレないよな」
 褒め言葉のつもりで平助がそう言うと、斎藤は少しだけ罰が悪そうに視線を落とした。その斎藤の様子から見ても、もしかしたら平助には窺い知れない斎藤なりの苦悩があったのかもしれない。
「一君がさ、どういう経緯で今の結論に至ったのかまではわかんねーけど」
 そう前置きしてから、平助は息を吸った。自分の中でも考えをまとめるのは得意ではない。だから言葉が足りないこともあるが、きっと斎藤ならば平助の言いたいことを掴み取ってくれるだろう。
「一君が出した結論は、やっぱり一君のすべてだと思う。良いか悪いかを判断するのは他人のやることじゃねえし、オレだったら自信なくて何度も悩むかもしんないけど、“迷わない”って一君が決めたから出した答えなんだろ? だったら一君は自信持って良いんじゃねーかな」
 斎藤の目が瞠られて、それから不意に細まり、彼が微笑みを浮かべた。
「本来ならば俺がお前を慰めるつもりで来たのだが、立場が逆だな。明日は槍が降るかもしれん」
「ちょ! どういう意味だよそれ!!」
 斎藤の冗談に本気で返しながらも、平助もふっと相好を崩した。和やかな空気が病室内を包むかと思いきや、斎藤の微笑は長くは続かなかった。さっきとは打って変わった、悩ましげな瞳。斎藤は平助を慰めるつもりだけで来たわけではないことを悟り、平助は手近の椅子をすすめた。
「話があるんだろ? 良かったらそこ座ってよ」
「ああ、そうだな」
 それから言いたいことを整理しているのか、はたまた言いにくいことなのか斎藤は口をつぐんで考え込むようにしていたが、やがて顔を上げた。
「師範代のことだ」
「土方さんのこと? 一体どうしたっていうんだよ」
「俺と会って下さらない、部屋に戻れの一点張りで面会を拒まれるんだ」
 一瞬どう答えを返せばいいのか解らずに、平助は押し黙った。斎藤の要請に土方が拒否すると言うのはもしかしたら初めてのことかもしれなかった。
「おそらく、今回のことに責任を感じていらっしゃるのだろう。だが……そんな状況では俺もかける言葉が見つからない。かろうじて山崎は面会が許されているから、土方さんの近況は伝わってくるが、これからどうするかという点を相談しようにも憚られる」
 土方が子供同然に拗ねているわけではないとは思う。だから、きっと何か思うことがあって斎藤を拒んでいるのではないかと平助は思った。土方は物の分別がつく大人だ。基本的に心の奥底の感情を表に出すことはそう多くない。無愛想と言うわけではないが、新八や原田に比べたら間違いなく少ない方だろう。
「じゃあ、オレが行ってもやっぱりダメかな」
「試してみないことにはなんとも言えんが、期待はしない方が良い」
 斎藤がそう言うと、ノックの後返事も待たずに突然ガラッと病室のドアが開いた。
「斎藤さん! また病室抜けだしましたね! 検診の時間です、探しましたよ!?」
 カルテを手に怒った様子の年配の看護師が、平助の部屋にズカズカと入ってくる。平助を見るとすぐに頭を下げるものの、視線は斎藤から離れない。これは相当頭にきているのだろう。
「元気になっているのはいいことですけど、あまりうろうろ出歩かないでくださいね。今無理をしたらせっかくふさがった傷がまた広がりますよ?」
 決して金切り声を上げて怒りを表現しているわけではないが、いきり立った様子の看護師の怒りは斎藤を見つけても収まらないようだった。
「すみません、藤堂さん、お騒がせしました。ほら行きますよ!先生がお待ちです!」
 ぷりぷりと怒りながら先立って歩いていく看護師に、斎藤は大人しく従った。
「一君、抜け出してきてたのかよ」
「まあな」
「……土方さんが会ってくれない理由って、それなんじゃねーの」
「それがないとは言わんが、様子がおかしいのも事実だ」
 そう言いながら出て行った斎藤に、平助は疑惑の目を向けたままそれから溜息をついた。

 怒り続ける看護師の背中を見ながらも、斎藤の頭の中はまったく違うことを考えていた。馬の耳に念仏。斎藤は看護師から聞かされるお説教を聞き飽きているのでほぼ流している。自分の身体を治すことを優先するのであれば、もちろん看護師の言うことを聞くのがもっともだと言うことは解っているが、それでも足は止まらない。
 気付けば千鶴のために何か出来ないか、考えているのだ。だから大人しくベッドで寝ていることが出来ない。今さらながら、沖田が「病院のベッドに一日中寝ている退屈さは体感しなきゃわからないよ」という言葉を実地で理解することになった。
 怪我人としてベッドに縛り付けられると、時間だけが過ぎて行く。こうしている間にも色々とやれることがあるのではないだろうかと考えたら居てもたってもいられないのである。
 まさか自分がこんなことをするとは思ってなかった。一番驚いたのは紛れもなく斎藤本人だろう。斎藤の柄ではないのは本人が十分理解しているのだから。
 斎藤は自分で己が変化したと思う。その変化に色付けしたのは間違いなく千鶴である。千鶴の存在はイレギュラーだった。斎藤が抱えていた言葉に出来ない想いを、どんどん言葉に表した。本来なら、あんたに何が解るんだと怒るべきところなのだろうが、斎藤はそんな気持ちを微塵も感じなかった。千鶴に見透かされるのであれば悪い気はしないとすら思っていた。
 千鶴が泣きながら謝った時に、斎藤は直前の自分の選択肢の誤りを心から後悔したのである。こんな結末にするはずではなかったのにと、酷く自分に腹が立った。消えない烙印を瞼に押されたように、千鶴の泣き顔が焼きついて離れない。あの涙は斎藤が流させたものだった。
 あの時、自分がかける言葉を間違えはしなかっただろうかと何度も自問自答を繰り返したが、答えは今も見つかっていない。
 逃げろなんて、逃げられる状況ではない彼女にかけるべきではなかったし、行くななんて彼女をより苦しめる言葉を発するつもりなどなかった。全部無意識に出てきていた言葉だった。
 千鶴を行かせたくなかった。ただその一心で紡いだ言葉は斎藤の奥底にあったすべてだ。
「聞いてますか、斎藤さん?」
「はい、申し訳ありません」
 まったく聞いてなかったがとりあえずの相槌は忘れない。打って響くように斎藤から返事が返ってきて、看護師は再び説教を始める。
 だから斎藤は己の中に再び潜り込んだ。平助はブレてないと言っていたが、後悔の念から抜け出すのは至難の技だった。特にベッドに縛り付けられている間は嫌なことばかりを考えさせられ、かなりのマイナス思考だ。けれど、そんな状況を打破出来たのも、千鶴のお陰だった。 斎藤に向かって、千鶴が笑って話しかけてくれたことを夢の中で見られたから、彼女とすごした日々を思い出せたのである。泣くこともあったし、浮かない顔をさせることも多々あったと思う道場での生活。だが千鶴は日を追うごとに笑顔を見せるようになっていた。綱道関係の事件が起きた時はさすがに笑ってなどいられない状況だったが、何気ない日常を送っているときは、千鶴は間違いなく笑っていた。その千鶴の笑顔の周りには、道場の皆の笑顔があった。千鶴が笑うと、パッと花が咲くように他の人間も笑うのである。その連鎖反応を見ていて心地よいと斎藤は思っていた。斎藤も自分が知らないうちに表情が緩んでいた。雰囲気が変わったと言われることもあった。それらすべて、千鶴が起因である。
 普段なら関わりあうことのないタイプの人間の千鶴に、心の底から出会えてよかったと思えた。
 それが斎藤の中に今も残っている感謝の気持ち。出来ればこの気持ちを本人に伝えたい、もう一度会ってありがとうと言いたい。だから斎藤は事を起こすことにした。
 あの別れをさよならにする気は毛頭ない。そのためには斎藤が出来ることを少しでも多くこなす。幸いなことに平助も自分でふっ切って迷いのない瞳をしていた。
 あとは土方だ、彼がこの敗北からどう動くか、それが現在斎藤が知りたいこと。
 未だにお説教が続く看護師の背中を見ながら、久しく見ていない背中を思い出して斎藤は顔を曇らせた。


 





   20120108  七夜月

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