射光



「……以上が本日の予定です」
 社長室で本日の予定を告げ終えた天霧の目に映ったのは、遠い目をしたまま窓の外を見つめる風間の姿だった。
「大丈夫ですか?」
 単刀直入に問いかけたのは、体調の心配ではない。彼が話を聞いていたかいなかったか、その他気がかりについてである。
「問題ない」
 そう応えられるのは明白であった天霧は、次の一手を風間へ向ける。
「何故、南雲薫の自由を許すのですか?」
 ストレートなその質問は、回答を逃げることを良しとしない意思がある。つまり、上司である風間に対して、答えろと似た含みを持たせているのである。
「あれは、元いた場所に戻っただけだろう」
「本当にそうお考えなのですか。彼女がそれを望んでいると、貴方は思うのですか?」
「珍しいな天霧、質問攻めか」
 視線だけ天霧に投げながら風間が問い返すと、天霧は少し目を伏せてそれからお辞儀をした。
「無礼を承知で申し上げますが、社長はこの件について納得しているようには見受けられません」
 確信を持ったその言葉は、確かに風間に届いた。
 風間は目を細めると、再び外へ視線を向けた。空を飛んでいくのは、何羽もの鳥、風間は興味を持たないからその鳥がなんという名前なのかは知らない。翼を最初から与えられている鳥は、自由にどこへでも飛んでいける。風間が見ている窓からの景色なんて、すぐにも抜け出せるように。
「もう一度やり直す」
 あの時と同じように、もう一度あの頃をやり直す。それが風間の過去からの願いだった。
「それで、良いのですか?」
 再び問い返した天霧は、返事が決まっている彼の無言に頭を下げると、社長室を退室した。
 それでいいのだ、最初からこうなるべく風間は動いてきただけ。気まぐれに道場なんてところで生活させてみたが、すべては我が手へと戻すための過程に過ぎない。
 風間は右手へと視線を向ける。手のひらを開いては閉じて、繰り返してみるがその手の中には何も無い。
 それで良いのですか?
 天霧の問いかけが頭でリフレインする。いいとも悪いとも言えないこの感情はなんだ、迷っていると言うのか。風間は静かに額に手を置いた。千鶴にとって一番良い答えは、風間に取ってベストではない。だとしたら、千鶴の望みを叶えてやることはできない。そう、それで良いはずだ。なのに、何故迷うことがあるのだろう。


 千鶴の消息を掴んだ、という山崎からの連絡を受けたのは、斎藤が退院して数日後だった。その日、土方の病室に、沖田と千鶴を除く道場の人間ほぼ全員と言っていい人数が集まっていた。情報の共有は出来る限りいっぺんに執り行う、ということを前提として見舞いという名目で全員がこの病室に集まっているのである。最後にやってきたのは、情報提供者である山崎本人だ。彼は印刷された紙束を鞄から取り出して、急ぎ足で病室の中へ入ってきた。
「すみません、遅くなりました」
「いや、待っちゃいねえが大丈夫だったか?」
「はい、少々見張りの数が増えていたことが気になりますが見つかってはいません」
 土方はもちろん、他の人間も山崎の言葉に頷いた。見張りの多さに最初に気づいたのは警官二人だった、彼らが病院の異常に気付き、他の人間に知らせたのである。というのも、今までも見張りらしい見張りはいたが、ここ数日で増えた。敵がこちらの動きを警戒しているということだ。つまり、向こう側が何かしらのアクションを行おうとしており、それの邪魔をされないかどうかを見張っているということだ。
 それぞれが不自然にならないように、時間を置いたり軽い変装のようなものをしてこの病室に集まった。
「それでは、始めましょう」
 彼はそう言いながら、紙を各自一人ずつ配った。
「まず、それがおそらく雪村君が囚われていると思われる場所です。高層タワーマンションの上層階です。詳細は紙でお願いします」
 予め盗聴器等がないように確認は行った。だが、この会議が始まった時点で、千鶴奪還の作戦は始まったも同義だった。それを踏まえ全員が集中して紙へ視線を向ける。彼が場所と詳細の明言を避けたのは、万が一を考えてのことである。敵にこちらから与える情報は少なければ少ない方が良い。
「なるほどな。助け出すには、エレベーターやら階段やらを使うしかないってことか」
 外からの侵入は不可能に近い、正攻法で行くしかないのだ。原田の相槌に、山崎は頷いた。
「玄関自体が二重ロック構造です。まず郵便受けのあるフロアへ入るにはナンバーロックでカギを開けるしかありません。それから、マンションの中に入るためには各部屋の鍵が必要です。更に、管理人が常駐しているので、知らない人物であれば間違いなく見咎められるでしょう。宅配業者を装うにしても、こういう状態ですから、ストレートに雪村君のいる部屋に行くのは不可能に近いかと」
「つまり、宅配業者の受け渡しを拒否されてる可能性が高いってことだ。もしくは管理人預かりになっているか」
「仰るとおりです」
 土方がプリントを見ながらそう呟くと、山崎も頷き返す。この道場の人間たちは頭がキレる人間も多く、1〜10まで説明せずとも理解してくれる人が多い。
「そんじゃどーすんの?」
 平助が山崎に問い返すと、彼はほんの少しだけ表情を緩めた。ささいな変化だが、彼なりに策をきちんと引っ提げてやってきたというのが解って、その場の雰囲気も絶望的なものから変わる。
「パイプを作りました」
「パイプ?」
 首を傾げたのは新八で、そんな彼を見返しながら山崎は口を開く。
「はい」
 山崎の話はこうだった。
 このマンションに住んでいる時点で、千鶴の奪還をする際の様々な可能性を塗りつぶした山崎は、入るために必要な住人との接触を図ったのである。ただし、自分が動けば周囲に漏れる可能性がある、かなり遠まわしに人を使い、低層のマンションの住人とコンタクトをとることに成功した。
 低層の人間を選んだのにももちろん事情がある。高層の人間は、その分千鶴に近づけるが、敵の警戒心も高くなる。そこで、まだ警戒心の薄いであろう低層の人間にコンタクトをとり、奪還時のリスクを高めると共に、入館時のリスクを下げたのだ。
 このパイプを作ることと、更に千鶴の部屋のタイムサイクル、つまり薫の状況を確認するために、時間が思った以上に掛ってしまったのである。本来ならばもっと長く見張りながら状況の判断を下すべきではあるが、今回はそうするにはあまりにも時間が足らなすぎたため、他から入ってくる目撃証言と共に、薫の動向を推測したのだ。
 この動向の推測には、山南も一役買っている。
「でかした、山崎」
 掛け値なしで土方がそう褒めると、山崎は満更でもなさそうにしかし恐縮ですと頭を下げた。
「で、問題はどうやって入るかだな」
「せっかくのパイプなので友人として入り込むことも考えたのですが面が割れている可能性は十分に高いので、先ほど出てきていた宅配説を自分は押します」
「宅配説、ってそのパイプ役の人間に宅配物を送るのか?」
「はい。ただ、役割分担は二つに分けて、宅配業者に扮する人間と、宅配物に紛れてマンションの中に入り込む人間の二人が必要です」
 山崎の作戦は、宅配業者としてマンション内に入り込む人間と、その宅配業者が配達する荷物の中に、人が紛れるということである。
「だがよ、宅配ってそう大きなもの送れねえだろ」
「家電だったらどうですか?」
「ああ、確かに! 洗濯機とか冷蔵庫とかなら人が一人入る段ボールで送られてきても不自然じゃねーよな!」
 山崎の言いたいことが解ったのだろう、平助も明るい声で賛同する。他の人間も各々頷いているので、彼の作戦は支持される方向へ向かってきている。しかもトラックで行けば、道端に止めておいても、不審には思われないだろう。
「で、そこの荷物に紛れこんだ人間が、なんとかして上層までいって千鶴を助けるんだな?」
 原田が確認のように問いかけ、山崎は頷く。
「たとえばですが、乾燥機程の大きさのダンボールでしたら、間違いなく一人は入りますよね。もっと言ってしまえば扇風機だって無理すれば人が入れる大きさです。家電の場合は設置する行程がありますから、その隙に救出役はあけっぱなしにしてある玄関から出てもらってエレベーターで高層まで行って貰う方が良いと思います」
 家電を設置すると言う陽動をしかけながら、その隙を狙うある意味では大胆な作戦である。階段を使うには段数が多すぎるのと外からでは丸見えなので、エレベーターの方が都合が良いらしかった。エレベーター内にも監視カメラは設置されているが、どうせ敵には顔を知られている。注視していない限り、誰かが乗って動かすと言う行為は不自然には映らない。階段を使うよりも早いのは確かだ。監視カメラが役立つのは、後手に回った時だ、捜査などでその証拠として見られることが多く、監視とは名ばかりの後手に回りやすい道具である。
 作業班と救出班で連絡を取り合えるようにしておけば、千鶴救出後は共に行動できる。トラックの荷台に乗ってしまえば、外からは完全な死角だ。
「では、役割分担だな。いかがしますか、師範代」
 ここのブレーンは土方だ。ヘッドの近藤の代理人でもある彼に、誰もが従う。土方は少し考え込んだ後に、答えを出した。
「トラックってことは、免許持ってる奴だな、原田頼めるか?」
「あいよ、まあ俺に回ってくるだろうとは思ってたぜ」
「あとは、出来れば新八に行って貰いてぇが、原田が休むとなるとお前は一緒に休むことは無理だろ」
 新八は指摘されると苦い表情で頷いた。
「ああ、出来て時間ずらせる程度だろうな。左之が休むんなら俺が取れても半休ってとこだ」
「時間が読めねえとなると、新八には難しいな。斎藤、お前動けるか?」
 土方の問いかけは斎藤への確認でしかない。動ける人間が少ないのだから、動ける人間はフルで使う。たとえここは出来なくても出来ると言わねばならない。とはいえ、斎藤の身体は不調を訴えることはないし、これであれば十分動ける範囲だ。
「問題ありません、すぐにでも」
「じゃあ、救出は平助だな。お前が一番小柄だ」
「そんな理由かよ!って言いたいとこだけどさ、オレに出来ることあんならなんでもする」
「連れ帰るのは大役だ。お前に掛ってると言っても過言じゃない、頼むな」
「ああ、解ってるよ」
 神妙な面持ちで頷いた平助は緊張しているようだ。それでも、平助がこの役に抜擢されたのには意味がある。小柄もそうだし、他の人間よりも千鶴が気負うことなく接することが出来る人物だからだ。
「他の奴らには追って役割を伝える。俺は出られるか解らねえが、お前らに頼んだぜ」
 土方がそう言うと、その場に居た全員が頷いた。
 千鶴救出作戦はこうして練られて、決行日は原田の休暇に合わせた三日後ということになった。

「綱道を見つけた、ようやく見つけたんだ。これで追い詰めることが出来る」
 珍しく薫が顔を出したと思ったら、嬉しそうにしながらそう風間に報告した。綱道の情報は風間も得ていた。カタをつけるとしたらこれからだと思っていたのだが、見つかったということは、薫も行動を起こすだろう。正直風間は迷っていた。綱道を捕まえるのは別に風間でも薫でも構わない。ただし、風間に必要なのは綱道が生きていることだ。もし薫が間違った方向へ走った場合、取り返しがつかなくなる。今までしてきたことすべてが無駄になるだろう。
「早まるなよ、急いて事を仕損じることだけはするな。あと、命を取ろうとするのもな。我々には奴の頭脳が必要だ」
「耳タコ。言われずとも解ってる」
 どこ吹く風といった様子で風間の言葉をスルーする薫は、見ていて信用できるものではなかった。本格的に風間も行動を起こさなければ彼に全てを奪われる予感を感じた。
「じゃあね、風間。お前と協力することなんて次くらいが最後だろうけど、案外楽しかったよ」
 妙に上機嫌な薫はそんな台詞を残して出て行ってしまった。風間は薫に答えずに目線だけでそのあとを追う。それから天霧を部屋に呼び出した。
「薫が行動を起こそうとしている。奴より先に綱道を保護しろ。無論、気づかれぬようにな。暴れるようなら多少手荒な真似をしてもかまわんが、絶対に殺すな」
「了解しました」
 おそらく天霧にここまで伝えれば言われた通り綱道を保護するだろう。綱道が死んでは意味がない。だから、殺さずに生かさなければならない。そうしないと、薬は決して完成しない。風間が求めているのは、すべての病気が治る魔法の薬。それは風間の頭の中でも、そこらの平凡な医者の中にはない。ただ、雪村綱道という人物の頭の中にだけ存在する。
「絶対に仕損じるわけにはいかない」
 仕損じれば、全てがなくなってしまうのだから。

「さあて、これで風間が動くかな」
 帰り路、ただ一人千鶴の居るマンションへと帰るさなか、薫は独り言を漏らした。くつくつと腹の底から浮かぶ笑い。何故かと言えば、薫は綱道の居場所など知らないからだ。ただ、風間が見つけたという情報だけは手に入れた。おそらく共闘関係なんて最初から結ばれていなかったのは薫も理解している。薫を出し抜いて綱道を手に入れる算段をしていることくらい、お見通しだった。
 だったら、薫は情報でかく乱する。与えられた情報と手駒を使って、最大限活かせばいい。おそらく風間は綱道を見つけて、それからどこかへ連れ出そうとするはずだ。風間の動きから目を離さずに、その瞬間を待てばいい。雪村綱道という人間が姿を現すその瞬間を。
 薫にとって、伯父はいないも同然の人間だった。否、昔良くしてもらった記憶はあった。だけれど、薫がすべてを父も母も千鶴さえも失ったのは、伯父がすべてを奪って行ったからだと思っている。最初の原因なんて今はどうでもいい。ただ、伯父は薫の大事なものを奪って行った。だから、薫も伯父から全てを取り上げる。千鶴も、家も、金も、命さえも。
 薫が今まで手を汚してきたのは、すべてはこの時のため。

 ―嫌よ、離さない。どうしても行くなら振りほどいていけばいいわ。私はあなたを行かせたくない。

 ふと、急に今ここには居ない千姫がそう言った。必死な顔をして、薫の手を掴んでいた。その手を離したのは薫だ。戻れない所に居るといって、彼女を突き放した。
「そうだ、もう戻れない」
 戻れないから進むしかない。
「絶対に殺してやる」
 惑わされることのないようにまるで呪文のように薫はこの言葉を呟く。薫にとっては殺すことが最終目標。
「さあ、早く出てこいよ、雪村綱道。今度は俺が、アンタのすべてを奪ってやる」
 低い笑い声は闇に溶けるように消え、薄暗い夜道の光を暗く奪って行った。


 





   20120108  七夜月

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