番外編3 「VD」編 「明日の放課後空いてないかしら? 一緒に買い物に行きましょうよ」 千鶴がその電話を千から受けたのは、二月も半ばに入った頃。何の用件かはわからないが、せっかく友達になれた千のお誘いに断る理由がなかったので、千鶴は快諾した。 快諾した、が。 「ええと、お千ちゃん。ここに行くの?」 翌日千に連れられた場所は、男子校の制服に身を包んだ千鶴にはいささか、というか十分すぎるほどの不釣合いな場所であった。 それもそのはず、赤い文字ででかでかと「バレンタインフェア」と書かれた看板を立てた、デパートの催事場。 「あら、決まってるわ。貴方も必要でしょう?」 必要って……この格好で買ったらそれこそひんしゅくものではないかと思うのだが。確かこういうのは女の子が意中の男の子ために買うものではなかったか。 「大丈夫大丈夫、今の時代は逆チョコよ!男の子からあげるのだって不自然じゃないんだもの。さ、行くわよ!」 「行くわよって……ちょっと、お千ちゃん!」 腕を引っ張られて女性がひしめいている催事場へと連行された千鶴は、もみくちゃにされながらも千の買い物につきあわされる羽目になった。 「女の子の買い物って、なんであんなに長いんですか」 げっそりとしたように呟いた千鶴の一言に反応したのは平助だった。 「お前も女じゃねえか」 「私なんて比じゃないです。ビックリしました。女の子のパワーはすごいです」 大人たちの酒宴のために、千鶴がおつまみを作っているところ、それを手伝ってくれていた平助が(枝豆をゆでてくれていた)、ざるにあげながら千鶴に合わせて首を捻ってくれた。 「俺は女になったことねーし、わかんねぇけどさ。女の買い物が長いってのは相場が決まってるもんなんじゃねぇの? 一君そっちどう?」 「もう終わる」 「じゃあ、ごめん。皿出して欲しいんだけど」 「解った」 ししゃもを焼いていた斎藤は鍋を掴んでいて両手を離せなくなっている平助の変わりに大皿を取り出してテーブルに置いた。 「で、目当てのものは買えたの?」 先ほどからチョコレートを頬張っている沖田は千鶴に尋ねる。それを平助が物言いたげな表情で見ていたが、沖田は無視を決め込んでいた。 「私は元々買い物をする気ではなかったので特には。でもお千ちゃんとっても悩んでました」 千鶴は漬けていたおしんこを切る手を休めずに沖田に答える。きゅうりとなすとかぶ。次々に皿に取り分けられていく。これの大半は平助と警官二人の腹に落ちていくのだが、酒が飲めない平助は、ソフトドリンクで一人盛り上がっている。ちなみに、斎藤と沖田は酒盛りにはいつも参加しないが、今回は千鶴の手伝いでこうして台所で準備をしてくれていた。沖田の場合厳密に手伝いといえるかどうかは甚だ怪しいが。 「で、結局何しに行ったの?」 「えー……と、それは秘密です。口止めされてるので」 「ふぅん、散々愚痴っといてそれはないでしょ。ねえ、一君」 「俺は別に構わない、ところでそろそろししゃもが出来上がるぞ」 「あ、お皿今出しますね」 魚用の皿を棚から取り出して、千鶴は斎藤に渡す。ししゃもはいい具合に焼けており、これならばばっちりだ、と千鶴はにっこりと斎藤に笑いかけた。 「総司君もどうせそんな興味ないんだろー? じゃあ別にいいじゃん」 枝豆に塩をあえながら、平助が口を挟む。実際に興味はないのか、それとも別の考えがあるのか沖田の追及の矛先はすぐにも逸れた。 「で、千鶴ちゃんは今年どうするの?」 「はい?」 「バレンタイン、もうすぐじゃない? 誰かあげる人いないの?」 「はい!?」 千鶴は思わず持っていた皿を取り落としそうになった。慌てて掴みなおしてふぅっと息をつく。気づけば沖田だけでなく、平助と斎藤の手も止まって千鶴を見ていた。 「何言ってるんですか沖田さん、私は男の子ですよ? 貰うならまだしも…あげるなんて」 少し引きつった笑みを浮かべて答えると、その答えに納得したのかどうかはわからないが、沖田の笑みは一層濃くなって「ふぅん」と相槌を打つだけに留まった。 これ幸いとその場を何とか切り抜けたと勝手に思っている千鶴は、お酌をしたりして目まぐるしい時間を過ごし、ようやく部屋に戻った。 机の上に置かれているチョコレート、実は一つだけ用意したそれは、女の子の熱気に当てられて、思わず買ってしまったものだった。だからと言って、あげる相手なんて千鶴にはいない。どうしよう、せっかく買ったものだし、と机の引き出しにとりあえずしまっておく。誰にあげるかは当日考えようと思ったあたりで、他の女の子と自分がずれていることに、気づかずにはいられなかった。 世間一般でのバレンタインはやはり女性が意中の男性にあげるというシチュエーションがだいぶ多いようだった。その証拠に浮き足立っているのは男性も女性もだが、ここ男子校でチョコを用意している人間なんて、千鶴が見る限りは居なかったのである。 何故か期待した目でちらちらと見られた千鶴だが、男が男にチョコをあげるのはおかしいだろうと、クラスメイトの視線を持ち前の天然さで完全にスルーして、放課後になった。 男子校だからか、貰ったチョコを持っている人物は少ない。だから、正直言って沖田の貰った量を見た時は驚いた。紙袋を使用するほどに積み上げられたチョコの山。沖田はモテるのだということを改めて認識した。しかしいつの間にこんなに貰っていたのだろうか。 「す、すごいですね……」 「そう? でも一君もだいぶすごいよ、彼去年は近所のおばさんたちにも貰ってたみたいだし」 「はあ…………」 謙遜しない辺りが沖田だった。まあ、確かに貰っても不思議ではない。彼らは紛れもなく美青年というカテゴリーに入るのだから。 「おばさんからだろうと、もらえることに意義があるんだって。いいなあ、総司君も一君もさあ」 一緒に帰っていた平助がそう愚痴るように零す。そんな平助に千鶴もあははと笑った。 「でもほら、私も貰ってないし、大丈夫だよ」 「お前とオレとじゃ貰う意味が全然違うじゃんかよ」 がっくりと肩を落としてしまった平助になんといっていいものか千鶴が悩みながら校門をくぐると、いきなり数十人の女子に取り囲まれた。制服を見る限りだとだいぶバラバラだが、中には千鶴も良く知っている姉妹校の制服もある。 「あの……! 突然すみません、わたしたちずっと見てました」 と、本当に突然ながら女生徒の一人がそう言った。何を見ていたんだ、となんともいえない気分で千鶴と平助が黙って聞いていると、その女子が目の前にプレゼント包装した箱を取り出してそれを千鶴に突き出した。 「これ、受け取ってください!」 「え、わた…じゃなくて、僕ですか!?」 驚いた千鶴は反射的にそれを受け取り、そして隣にいた平助を見た。平助も驚いているようだったが、何故かものすごく複雑そうに笑った。 「良かったじゃん、お前ももらえたんだろ?」 「あの、藤堂くん! 私たちも藤堂くんに受け取ってほしいの!」 と、別の制服の子たちが今度は平助にチョコを渡す。 「え、オレも? いいの?」 「あの、これも……!」 「これも受け取ってください!」 「雪村くん、これ受け取って!」 これもそれも、と次々千鶴と平助の手の上にはチョコが乗せられていった。そしてそれがいつしか抱えるほどになった頃、ようやく女生徒たちは満足したのか、全員揃ってお辞儀した後風のように去ってしまった。 「ありがとうございました!」 残った一人がそうお礼を告げて去っていき、なんだかその場に取り残された千鶴たちは呆気にとられてしまった。 「随分すごかったねえ」 そういう沖田の手にもちゃっかりと幾つかチョコが乗っている。さすが沖田さんだ、と千鶴が感心していると、突然平助が叫んだ。 「よっしゃ!今年は左之さんたちに馬鹿にされねぇぞ!」 「へっ?」 「平助は毎年殆どもらえなくてあの二人にいじられてるからね。とはいえ、あの人たちも大して貰ってないんだけど」 「そうだよ、なのにいっつもオレだけなんかいじられてさ!一番貰ってんのは土方さんだっていうのに」 その言葉を聞いて、千鶴は「え!?」と失礼ながら声を上げてしまった。何せ本当に意外だったのだ。確かに土方は優しいが、千鶴に対する扱いを見ている限りは女性受けするとは到底思えない。 「土方さんああだろ? でも顔がいいからかわかんねえけど毎年山のようにチョコ貰うんだよ」 「今年は誰が勝つのか楽しみだね」 「不謹慎です、そんな。女の子の気持ちなのに勝つとか負けるとか」 むぅっと千鶴が頬を膨らますと、平助と沖田が面白そうに千鶴を見る。え、なんだろうこの視線は。千鶴が二人を見返すと、二人がサッと視線を逸らした。 「さてと、帰ろうか。これからが本番だし」 「オレ総司君の荷物持ちになるのやなんだけど」 「固いこといわないで、最後まで付き合ってよ」 有無を言わせぬその笑顔に平助が溜息をついて、千鶴も後々その溜息の理由を知ることとなった。下校時間、それはもっともチョコを渡すのに適した時間帯である。沖田の後をついて歩くと、彼の持ちきれないチョコが平助、そして千鶴の腕にまで回ってくる。そして、家に帰る頃には落とさずに歩くのが精一杯にまでなっていた。 「ただいまー」 「おかえり……いやそれにしてもすごい量だね」 待ち構えていたのは意外や意外、近藤のなじみのスポーツ用品店店長である、井上だった。 「源さん、来てたんだ」 「ああ、近藤さんに用があってね。大丈夫かい、雪村君。今にも潰れてしまいそうだよ、どれ、半分持とう」 「あ、ありがとうございます」 平気です、とはお世辞にもいえない。前が見えない状態になって千鶴は井上の申し出を素直に喜んだ。半分持ってくれた井上に感謝して、靴を脱ぎチョコを持ったまま居間へと運んだ。 「源さん、土方さんは?」 後からやってきた平助が井上に尋ねると、井上は平助のチョコも少し持ってやり、答えた。 「すぐに戻ってくると思うが、まあ君たちと理由は変わらないと思うよ」 「土方さん、顔だけはいいですから」 沖田の微妙な発言に井上は苦笑するだけだ。だが、千鶴は沖田の言っている意味が少し解る気がした。土方は確かに女性への態度は厳しいが、モテるという意味で言えば間違いなく女性受けする顔立ちだ。いつも眉間に皺を寄せているからその良さが見えにくいが、笑ったらきっと世の女性たちはイチコロ(死語)なのではないかと千鶴は常々思っている。 「さてと、源さん。一君のチョコ見た?」 「ああ、斎藤君ならさっき帰ってきたよ。紙袋を2袋くらい抱えてきてたな」 「じゃあ呼んでこよう、平助」 名前を呼ばれて平助が嫌そうに立ち上がった。だが、その役目を放棄するとまた後々沖田からからかわれる原因となるので、溜息をつきながらも言うことに従うのである。 「千鶴も来るかー?」 「え、私も?」 「見たいだろ、一君のチョコの数」 問われて千鶴は唸った。正直言うとそんなに興味はない。というか、チョコ一つ一つに女の子たちの気持ちが詰まっているのだから、競争すること自体どうなのかと思っているくらいだ。それに、皆がチョコを貰って喜んでいるのが少し複雑な気持ちがするのである。 「え、あれ?」 「ん?」 なんで複雑なんだろう。自問している内に平助は焦れたのか再び千鶴の名を呼んだ。 「ちーづるー?」 「あ、ごめんね。わたしは遠慮しておきます。それに、夕食の支度しないと」 千鶴は立ち上がって逃げるように居間から台所へと移動する。その後姿を不思議そうに見ている井上や沖田がいたが、千鶴は気にしないことにした。冷蔵庫を開けて夕食に使えそうな食材がないか調べる。すると、続々と居間に人が集まってきたのか、千鶴の耳にも和気藹々とした会話が聞こえてきた。 「あ、左之さんと新八っつぁん帰ってきたんだ。おかえり」 「おう、平助。今年の俺は一味違うぜ!」 「ああ、俺のおこぼれでお前も幼稚園児から貰ったもんな?」 「うるせぇよロリコン。が、今年もお前には負けねえ」 「なんだよ! オレだって今年は一味違うんだよ! ちゃんともらったんだぜ、同い年くらいの女の子から!」 「な、なにぃ!! 平助がチョコを貰うなんて……俺に許可を取ってからにしろ!」 「なんで新八っつぁんの許可がいるんだよ!あ!返せ、それはオレの貰ったチョコだ!」 「おい、お前らうるせぇよ。静かにしろ」 「相変わらず、土方さん数だけは多いですね。さすがの僕も義理チョコの数では負けちゃうかな」 「量より質って言いたげだな、総司。悪いが俺はお前と張り合うつもりはねえよ」 「さすがです、師範代」 「つーかさ、今年の一君なんか少なくない?」 「どうせ一君のことだから、丁重にお断りでもしたんじゃないの? 本命からのとか特に」 「気持ちを受け取ることが出来ないからそうしたまでだ。何か問題が?」 「お前も見習え平助」 「左之さんには言われたくない。いたいけな子供たちの純情を弄んでるのは左之さんじゃん」 「人聞き悪いこと言うな、いつ俺が弄んだって言うんだ」 「だって左之さん何人の女の子と結婚の約束してんのさ。最悪だよ、人として最低だよ」 「平助〜? お前今年ちょっともらえたからって調子に乗るなよ?」 「だからお前らうるさい、少しは静かにしろ……で、今年はこのチョコどうするか」 バーン!! そのとき、台所からものすごく大きい音がして、冷蔵庫が閉められた。当然、閉めたのは千鶴だ。自分で何故そんなことをしたのかはわからないが、その音に自らハッとして我に返った。 アレ、おかしいな……今の会話に不審な点なんて一つもなかったはずなのに。 と、そのとき音に驚いた平助が台所を覗いた。 「どうした千鶴。なんかあったのか?」 「あ、なんでもないんです。ちょっと力が強く入りすぎちゃって」 そうだ、ちょっと力を入れて冷蔵庫を閉めたらあんな音がしてしまっただけで……それにしてもさっきから何故こんなにも自分はイライラしているのだろう。自問してからというもの、何故か千鶴は自らの機嫌が徐々に悪くなっているのに気づいていた。そのまとうオーラに気づいたのか、平助も大人しく引き下がる。 「そ、そっか……? なんかあったら言えよ?」 「うん、ありがとう」 笑顔を浮かべているつもりなのに、何故か平助の表情が引きつった。どうしたんだろう、と首を傾げると、平助は引っ込むように居間に戻っていった。 「それでこのチョコ、どうしようか。毎年貰うのはいいけど捌ききれないんだよね」 「結局食べきれずに幾つか捨てる羽目になるしな。だったら公平に最初から全部捨てるというのも一理ある」 「だ、駄目ですよそんなの!!!!」 聞き間違いかと思って千鶴が思わず口を挟むと、皆の視線が千鶴に集中した。 「だって、せっかく気持ちがこもってるのに!」 「でも、誰かのは食べて誰かのは食べられないってそれこそ申し訳なくない?」 「俺たちは好きなだけチョコ食えるわけじゃないしな。重量制限がある」 忘れていたが、確かに土方筆頭、皆スポーツマンやそれに従事するような社会人なのだ。おいそれと体重をおざなりには出来ないだろう。チョコレートは高カロリー。幾ら燃焼するとはいえカロリー計算をしながらチョコを食べていたら、それこそ全部食べきる前に腐らす。それに、皆が皆チョコレートを好きなわけではない。 千鶴は少し考えると、一つの提案を思いついて挙手をした。 「捨てるというのであれば、私にください。私が責任持って女の子の気持ちを皆さんに食べてもらいます。捨てるなんてこと、絶対に許しません!」 鼻息荒くそういうと、何故かその剣幕に押されたように男たちが一歩下がった。 「お前が何とかすんのか?」 「します!そんな捨てるなんて非人道的な行為、認めるわけにはいきませんから!!」 「具体的にどうするつもりなんだい?」 苦笑した井上から問われて、千鶴は不敵な笑顔を向けた。 「それは秘密です。それじゃあ、皆さんチョコ開封してください!それくらいはご協力願います!」 女の子がこの日にかけた気持ちを捨てるなんて!と千鶴はもう何に頭にきてるのか解らなかったが、とにかく見過ごすことが出来なかった。なので、大人しくチョコを開封し始めた男たちを尻目に、今夜の夕飯の準備に取り掛かり始めた。 → 20100209 七夜月 |