番外編4 「AF」編



 それはある日のことだった。昼食の準備があると千鶴が台所に立った瞬間、後ろから超機嫌の良さそうな沖田に首根っこ掴まれ、引きずられて連れられたのは隣の居間。何がなんだかわからないまま千鶴は座らされ、沖田は満足そうにつぶやいた。
「これで全員かな」
「それで、あの…ご用件は一体」
 土方・近藤を除いた、メンバーが呼び出されたのは、珍しくも沖田の収集があったからだった。
 しかし、戸惑っているのは千鶴だけで、他の人たちは妙に呆れやら諦めやらが混じった様子で各々座っていた。
「千鶴ちゃん、明日って何の日か知ってる?」
 用件を聞いたら質問を返された。まあ、彼が一筋縄でいかないのは千鶴も承知済みだ。
「いえ……どなたかの誕生日でしょうか?」
 以前に皆に聞いた誕生日は少なくともこの道場に住んでいる人たちは該当しなかったと思うが、一応千鶴は尋ねてみた。
「残念、ハズレ。四月馬鹿ってわかる?」
「いいえ、聞いたことないです」
 質問の応酬になりそうなので、千鶴は大人しく首を振る。
「つか、んなもったいぶった言い方しなくてもさあ。要するに、エイプリルフールだよ。聞いたことあんだろ?」
 耐えられなくなったのか、千鶴をフォローする意味なのか、平助が口を挟む。千鶴は手をポンと叩くと、納得したように表情を和らげた。
「平助、そんな簡単に言っちゃつまらないじゃない」
「回りくどすぎるっつの」
 呆れたようにため息をついた平助を見て見ぬふりをして、沖田は人差し指を立てた。
「でね、毎年この日は僕命懸けてるから」
「え?」
「だって嘘ついてもいい日なんだよ? 誰に咎められることなく、堂々と嘘をつける日なんだから。これはもう全力で嘘をつくしかないよね」
「は、はあ……」
 沖田が言いたいことはわかる。倫理的に嘘をつくことは好まれないこのご時世。そんな中他人を傷つけたりしないものとはいえ、嘘をついてもいい日が存在するということは沖田にとっては願ったりだろう。が、それに命を懸けるというのは一体。
「もちろん、今年は千鶴ちゃんにも協力してもらうからね」
「……はい?」
「さあ、今年も土方さんにとっても楽しんでもらおう」
「え、あの、沖田さん……!?」
 勝手に沖田のエイプリルフールに参加決定された千鶴は慌てて盛り上がっている沖田に何かを言い募ろうとするも、沖田はまったく聞いていない。意図的に聞いていない。要するに聞く気がない。こうなったら千鶴の言葉は届かないのは必然で。慌てて周囲を見回してみるも皆、さっと千鶴から視線をそらした。助けてくれる人はどうやらいないようで、千鶴はがっくりと肩を落とした。

「ぶへっくしょい!」
「珍しいな、トシが風邪か?」
「そんなんじゃねぇよ。どうせ総司辺りがしょうもねえ噂してんだろ」
 土方はご丁寧に「あー」と親父臭く鼻を啜った。
 毎年この時期になると、酷い思いをしていた記憶がある。桜が咲くかその前か、日付は一緒でも寒暖によりその日の景色は変わる。
 そんなことを考えながら、土方はため息をついた。
「どうしたトシ、ため息が重いな」
「……なんでもねえよ、それより書類の方は読んでくれたのか?」
「ああ、しかしすまんな。この時期に道場を空けることになるとは」
「気にすんなよ。あんたは少し働き過ぎだ、いい機会だと思って少しゆっくりしてきてくれよ」
 書類を手に助手席に座って、申し訳なさそうな顔をしているのは、近藤勇。土方は今、彼を地元駅まで送っているのである。
「嫁さんと娘さんも待ってんだろ、たまの家族サービスくらいしても罰はあたんねぇよ」
「トシ……ありがとう、そうだな。今回はゆっくりさせてもらう」
 これは土方にとって、紛れもない本音だ。近藤はいつだって根を詰めるのだから、少しくらい家族サービスはするべきだ。仕事人間なのは独身である自分くらいでちょうどいい。
 駅前に着くと、近藤はボストンバックを抱えて先ほど読んでいた書類を土方へと返した。
「この件はこのまま進めてくれ」
「了解、あとはこっちでやっておく」
「ああ、頼む。では、行ってくる」
「気をつけてな」
 見送り、土方は車を発進させた。
 家族サービスが本音といえば本音。しかし、土方も思うことが一つだけあった。
 今日このまま家に帰って、そして自分を待ち受けているであろう沖田の暴走。昨日の時点で釘をさすこともできたのだが、それはもう無駄と諦めた。例年パワーアップする沖田のいたずらは抑えつけようとすればするほど悪質なものへと様変わりするのだ。(とはいえ、いたずらが良質なものであったことは過去一度としてない)
 毎年ストッパーとして近藤が居たが今年はいない、となると、誰も沖田の暴走を止める輩はいないわけで、頭を抱えたくなる気持ちをため息に変えて、土方は家へもどるべく車のアクセルを踏み込んだ。

 なんで俺はこんな小学生みてぇな真似してんだ? そう頭の中に疑問がよぎるも、玄関のドアを開ける前に入念なチェックを怠れない我が身を、我がことながら呆れた。ドアに何か挟まってないか、向こう側に人の気配はないか、そう言ったものをチェックしてから、一気に引き戸のドアを引く。
「おい、今かえっ―」
 土方の言葉は途中で止まった。
 何せ目の前には警察のマスコットキャラクターである○ーポ君の気ぐるみを着た人物が立ちふさがっていたからである。
「つか、○ーポ君は東京都のマスコットキャラクターだろ。ここじゃねえよ」
 自然に生まれた突っ込みに、なぜか○ーポ君は得意げに胸を張って手にしていたスケッチブックとマジックで高速の早さで文字を書いた。
『当たりです、さすが師範代ですね。ちなみに埼玉県のマスコットキャラクターはポッ○君です』
「聞いてねえよ」
 スケッチブックを目の前に突きつけられるようにして見せられ、土方は着ぐるみを憐れむような眼で見つめた。
「斎藤、春先とはいえ、暑くねえのか」
『問題ありません』
「そうか、大変だな」
『恐縮です』
 もう中身が誰でも否定することはしないらしい。土方は○ーポ君の存在は無視して家の中へと入った。そして自分の部屋に真っ直ぐ向かおうとすると、廊下の端から人影が。
「……平助、邪魔だ」
「土方さん、喉乾いてねえ?」
「渇いてねえ」
「喉乾いてるよな!?」
「渇いてねえよ」
「いやいやいやいや、ほら、家から帰ってきたらまず茶を飲む。これ常識だぜ!?」
「どこのだ」
 とりあえずどかないというのであれば、避けるまで。土方が少しずれて平助を追い越そうとしたら、その前に平助が立ちはだかる。
 それならばと逆側から追い越そうとすればまたも平助が立ちふさがった。
「平助、てめぇ何してやがんだ……?」
 怒りを若干抑えて尋ねると、平助はその怒りを察知したのか、ぶるぶる震えながらもキッと土方に向き直った。
「茶を飲んでくれ!」
「嫌だっつってんだろ!」
「俺を助けると思って!」
 ここまで言われて居間に何かあることが確定事項なのに行く馬鹿がどこにいる。そう言おうとして口を開いた瞬間。
「このままじゃ千鶴が……!」
「あいつがどうした」
 千鶴の名前を出されて、土方は怒鳴ろうとしていた言葉とは別の言葉を出した。しかも頭が比較的冷静に落ち着いた。
「と、とにかく一緒に来てくれよ!○ーポ君だってさっきから土方さんの後ろで待機してんだろ!?」
「斎藤、ずっと後ろにいたのか!?」
 平助に言われるまで、気配を殺している○ーポ君の存在を迂闊にも忘れていた土方だった。しかし存在を認識してしまえば、その存在感の大きさは計り知れない。再び高速の手記でスケッチブックに何かを書き込んだ○ーポ君は、それを土方の前に突き出した。
『師範代のために、雪村が茶請けを用意して待っています』
 どうやら今年は、千鶴まで巻き込んでこの馬鹿げた騒動を引き起こしたらしい、と土方の額に青筋が走る。
「あんの馬鹿、どこまで他人に迷惑かけりゃ気が済むんだ……?」
 肩を怒らせながら、珍しく音を立てて廊下を突き進んだ土方は、文句を言いながら居間に入った。
「おい、総司てめぇ! いい加減に……!」
「あれ、土方さんお帰りなさい。早かったですね。近藤さんちゃんと送ってくれました?」
 茶を飲んでいたピンクのうさぎが話しかけてきた。

 





   20100513  七夜月

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