番外編5 「掃除」編



 有る天気の良い休日の午前、近藤宅からは掃除機の音が聞こえていた。居間の食卓を壁に立てかけて、千鶴が掃除をしているのである。ここに住む全員、共有スペースに関しては皆綺麗に使う。たまに平助や新八らが泥だらけの靴下で歩きまわることがあるが、沖田という病人がいることも相まって、綺麗にしようという意識はあるらしい。そして千鶴も休みの日は特別な用事がない限り必ず掃除機をかける。隅から隅まで掃除をすると、とても気持ちが良く、また並々ならぬ達成感を感じるのだ。
「よし、これでいいかな」
 居間は当然のこと、台所から廊下まで拭き掃除までやった。あとはとりあえず掃除機を片づけて、と色々と脳内で予定を組み立てていると、居間の掛け時計が正午を告げる鐘を鳴らした。
「もうこんな時間なんだ。そろそろ皆戻ってくるな」
 道場では午前の稽古がひと段落して、これから昼食に入る。土方と平助、それから斎藤と沖田が戻ってくるはずだ。
「あ、今日は永倉さんもお昼に戻ってくるんだよね」
 昨日は夜勤だったから、いつもなら朝には戻ってくるはずだが、まだ帰ってきていない。とてもお腹を空かして帰ってくるだろうことは間違いないので、新八の分も多めにおにぎりを作らなければならない。
 千鶴はひと段落した掃除からすぐに頭を切り替えて、昼食作りに開始した。

「ただいまァ、千鶴ちゃん、飯あるかー?」
 案の定、新八はへろへろな声を出しながら、帰ってきた。千鶴はまだ握っているおにぎりを手放せず、返事だけを返す。
「おかえりなさい! すみません、今作ってる途中です!」
「マジか、なんかすぐ食えるもんない? マジ腹減っちまって、動けねえ」
 という声が聞こえたと思ったら、居間にでかい図体が倒れ込んだ。
「永倉さん!!」
 食卓をまだ出していなかったのが幸いというべきか、畳の上にごろんと寝転んだ新八は盛大に腹の虫を鳴らしながら千鶴の手にあるおにぎりを見つけた。
「千鶴ちゃん、今すぐそれをくれ!」
「え、でもこれまだ塩しか振ってませんけど」
「んなもん塩だけでいーって! ほんっとに腹減ってんだよ!」
 拝み頼みこまれたら、千鶴は新八におにぎりを渡すしかない。千鶴からおにぎりを受け取った新八はガっつくようにしておにぎりを掴んで食べ始めた。おそらくは三秒くらいしかかからなかったが、すぐに「おかわり!」という声と共に、手を出された。
「ちょ、ちょっと待っててください」
 一応道場の皆用にと先に作っていたおにぎりの皿を持ってくると、新八はがつがつ食べ始めた。
「永倉さんにはこれとは違うものを用意しておいたんですけど。ちゃんとしたご飯じゃなくて大丈夫ですか?」
「ああ、平気だって! 千鶴ちゃんの料理はなんでもうまいからな! でもあるならそっちも食うぜ!」
 と、結局皆に作ったおにぎりを全部平らげてから、新八は上機嫌に伸びをした。
「さーてと、着替えてくっか! ご飯、風呂入ってるうちにできっかな?」
「たぶん、大丈夫ですよ。それよりも夜勤だったんですよね、お風呂で眠ってしまわないように気をつけてくださいね」
「え、シャワーで済ませるつもりだったのに、まさか沸かしてくれてんのか!?」
「はい、ゆっくり疲れを癒してください」
 その時新八の何かを噛みしめるような表情を千鶴は忘れられなかった。
「くぅうううう!!!!! 千鶴ちゃん、君はなんて偉い子なんだ!! 俺は今すっげぇ感動した! いっそ俺の嫁に来ないか!」
「いかねーよ! 」
 涙を流さん勢いで感動してくれたらしい新八は、千鶴の手をぎゅっと掴む。その新八の頭を叩いたのが沖田、そして平助だった。
「いってーな! 何すんだ二人とも!」
「そっちこそ、昼間っから堂々と何口説いてるの?」
「そうだよ! さっさと風呂でもなんでも入ってこいよ!」
「わかってんよ、そんなのは! ただ俺は、千鶴ちゃんの気遣いにいたく感動してそれを彼女に伝えてただけだ」
「感動はどうでもいい。早く入ってこい。でないと叩かれ続けてあんたの頭は更に悪くなるかもしれん」
 そして斎藤が持っていた竹刀で遠慮なく新八の頭を叩いた。とても小気味よい音が響いた。
「斎藤まで何しやがんだ! 俺が何をした!」
「何をした……だと?」
 斎藤の視線が細められ、斎藤は空になっている皿を指差した。
「俺たちの昼食を勝手に食ったのは誰だ?」
 新八はぎくりと肩を揺らしながら、急いで千鶴から離れた。
「じゃ、じゃあ千鶴ちゃん! 頼んだぜ!」
 猛ダッシュで居間から消えて居間にはお腹を空かせた三匹の子豚……ではなく、学生組が残っていた。
「雪村、急いでもう一度人数分を握ってくれ。師範代の分だけでも構わん」
「またうるさいからね、あの人。というわけで平助、あの人を足止めしてきてよ」
「なんでオレ!? 無理だって!」
「しょうがないなあ、じゃあ一緒においでよ、手伝ってあげるから。死なない程度に罠張らないと」
「死なない程度ってどんな罠しかけるつもりだよ! 俺怒られたくないんだけど! しかも手伝ってあげるって何!? 主にオレがしかけるみたいな展開だよね、それ!!」
 沖田に引きずられて居間を出ていく平助と沖田。それを渇いた笑いを漏らしながら見送った千鶴は、とりあえずもう一度おにぎりを作るために台所へと戻った。なるべく平助が怒られないように、手早く事を済ませなくてはならない。


「ってことが昼間にあってさー」
「はっはーん、で、それがお前のゲンコツ山の正体って奴か」
 平助の頭頂部に埋まっているたんこぶを見て、原田はくくっと笑いを漏らした。見事に腫れあがっている頭は、まぎれもなく土方の鉄槌による誉れなき勲章である。ちなみに、沖田の頭頂部にも同じものがついていた。
「手加減少しはしてくれてもいいと思うんですけどー。時間ないのにあの仕掛け作るの大変だったんですよ。綿密な数学と物理の公式作って組み立てた仕掛けなんですから」
「お前ら、あんなアホなことばっかするなら、勉強に頭使え!」
「だから、俺は濡れ衣だって言ってんのに!」
「連帯責任だ。文句あんのか?」
「……ないです」
 沖田と平助が作った仕掛けというのは、軽くいじめに近いものだった。ドアを開けた瞬間、額に生卵がヒットし割れた中身が顔面に伝っている様を見た人間は、その形相も含めてホラーである。トラウマである。
「あーでも、新八っつぁんにもお咎めないってのはなんか釈然としねー!」
「まあ、そうだな。事の発端はあいつっちゃーあいつだもんな」
 当の本人はちゃっかりと二度目の昼食を取ったのち、すぐさま布団へと入っていった。眠い眠いと言いながら、部屋に戻っていったのである。とてもハタ迷惑な行為だ。そんな噂をすれば影。
「おー、はよーっす」
 あくびをしながら新八が今に入ってきた。そして開いている席にどかっと腰を下ろすと、千鶴に手をひらひら振る。
「千鶴ちゃん、俺にも頼むわ」
「はい」
「新八っつぁん、寝る前に食ったのにまだ食うのかよ!」
「腹が減ってはなんとやらだ。千鶴ちゃん、大盛りで頼むぜ!」
「あ、はい! もちろんです!」
 新八が起きたらすぐにもご飯に出来るよう、お茶碗と箸は準備しておいた。千鶴は新八の言うように大盛りにご飯をよそうと、それを新八に渡す。するとすぐにもがっつき始めた新八に視線が向けられる。
「なんで俺らばっかりって感じだよな。いっそ飯抜きとかキツイお灸据えたらいいんじゃね?」
「あ? なんの話だよ。つか、平助。食わねーならこれ貰うぞ」
 ヒョイ、パク。擬音語二つで済む秒数で平助の大事なエビフライは新八の胃袋に消えていった。最初は呆然としてた平助だが、ハッと我に返ると大絶叫を居間にもたらす。
「ああぁぁあああ!!!! 後で食おうと取っておいた俺のエビフライがぁあああ!!!!」
「うるせぇぞ平助、黙って食え。そして新八も大人げねぇことしてんじゃねえよ」
「へいへーい」
 行儀悪くも箸を咬みながら土方に返事をする新八はまったくもって反省の色が見えない。
 泣きそうなほど絶望している平助が見ていられなくて、千鶴は思わず口に出す。
「あ、あの平助くん。良ければ私のエビフライあげるから。元気出して」
 自分の取り分だったエビフライを平助の器へ移すと、平助の顔が一瞬だけ輝いてそれからエビフライから目を逸らした。
「千鶴……気持ちは嬉しいけど、やっぱり貰えねーって。だってこれ、お前の分だろ。気にせず自分で食えよ」
「なんだよ、人の親切を無下にするたぁお前失礼ってもんだぞ。ってなわけで、千鶴ちゃんの分は俺が貰う!」
 何故か千鶴ではなく新八がそう返事をして、新八は千鶴が平助にあげたエビフライも食べてしまった。
「あぁぁあああああ!!!!!!!!」
「だから、うるせーって言ってんだろが!」
 土方からの一喝が再び。平助はぶるぶると震えると、こちらも同じく行儀悪くも新八に箸を突き付けた。
「もー絶対許さねえ!! 何がなんでも新八っつぁんには罰を受けてもらう!!」
「ああ? 意味わかんねーっての。なあ、千鶴ちゃんおかわりくれ」
「はい、ただいま!」
 千鶴が再び台所に戻ると、沖田がふっと笑いを漏らす。
「平助、僕とっても良いこと考えたよ。受けてもらおうよ、相応の罰って奴」
 と、そんな沖田を怪訝な目で見たのは新八でなく、原田。
「総司、なんか思いついたみてぇだが、何するつもりだ?」
「それを今言ったら勿体ないでしょ? まあ、せいぜい今のうちに幸せそうにご飯食べてればいいんじゃないかな」
 される側ではないはずなのに、平助の背筋に冷えた汗が流れる。今にも低い笑い声を漏らしそうな沖田の様子が尋常ではないのは千鶴も理解した。だが、触らぬ神に祟りなし、これはここで暮らしていくのに必要不可欠なスキルだ。笑顔を顔に張り付けて、その場を千鶴はやり過ごした。まさかのちに、自分が巻き込まれることになろうとは、夢にも思わなかったのである。


 





   20110106  七夜月

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