本殿前階段


「おかしいなぁ、こっちへ来たと思ったんだけど……」
 望美は案の定白龍の姿が見えなくてきょろ、きょろ辺りを見回した。しかし、目的の人物はここにはいないようだった。
 そして、自分で今の現状に気付く。これは間違いなく迷子だ。
「わたしが迷子……かな、やっぱり…」
 恥ずかしい。この年で迷子になるとは正直思っても見なかったことで、ミイラ取りがミイラになってしまったようなものだ。
 本殿へと続く階段前までやってきたそのとき、望美は後ろから押されてよろけてしまった。
 しまった、ここは危険だ。そう危険信号が脳内で響き渡る。
 にも関わらず階段を昇ろうと数段上がったところで、誰かと肩がぶつかってしまい、思わず足を踏み外した。マズイ、このまま行くとドミノ倒しになってしまう。
 ごめんなさい! どうにも出来ない空気抵抗を感じ心の中で謝罪して後ろに倒れたが、大きな騒ぎは何一つ起きなかった。
「ばーか、なにやってんだ」
 後ろから抱きとめてくれた将臣のお陰だった。望美はホッと一安心して、自分の両脇を支えてくれている将臣にバツの悪い笑みを見せた。
「あはは、ごめんごめん。助かったよ、ありがとう将臣くん」
「別にいいけど、気をつけろよ。こんだけの人混みなんだからな」
 将臣がくしゃっと望美の髪を弄ぶ。少し乱れた髪を元に戻しながら、望美は頬を膨らませた。
「将臣くんに言われなくても、わかってますよーふんだ」
「そりゃ悪かったな…っと」
 望美を解放し、将臣は携帯をチェックして、電波が届かない事を理解すると、溜息をついた。
「しゃーねぇ、戻るか。こっちまで来てもらうつもりだったけど、連絡が取れなきゃここにいても無意味だしな」
「だねぇ〜……」
 将臣が携帯を見るのを、脇から顔を寄せて覗き込む望美。傍から見たらどう考えても恋人同士であるのに、本人達にとっては普通の幼馴染のスキンシップなのである。
「にしても、懐かしいな、七五三でお前やっぱり階段でこけたよな」
「懐かしすぎて覚えてないー」
 うーんと唸りながら望美は首をかしげた。本当は覚えていたとしても、自分にとって悪い記憶は全部すっとぼけるに限る、とでも思っているのか、望美は流した。
「ねー、それより将臣くん。わたしホッカイロ一つじゃ寒い〜寒い寒い!」
「そりゃ大変だなー。スカート履いて来たのはお前だろ」
 ハイハイと軽く流す将臣に望美は笑顔で両手を差し出した。
「将臣くんの分ちょーだい」
「ハァ? やだよ。俺が寒いだろーが」
「いいじゃん、将臣くん男の子なんだからさ」
「このわがまま娘」
 将臣に向かって差し出された両手は寒さで白くなっており、微かに震えていた。
 なんだかんだで結局、将臣が望美に甘いのは本人も理解している。将臣は自分の手袋の右側を外し、それを望美に渡した。
「ほらよ、それでもつけてろ」
「うわー大きいよ、コレ」
 望美は渡されていざつけてみると、皮の手袋は望美の手には少し大きすぎた。当然将臣の手のサイズに合っているのだから仕方ない。ゴムの入った毛糸の手袋などではないのだから、伸縮もしないし当たり前である。
「貸してやったんだ、文句言うな。で、左手出せ」
 手袋をしていない左手を素直に出してきた望美の手を取り、将臣は自分のライダージャケットのポケットに突っ込んだ。中にはホッカイロが入っており、その温かさと将臣の手の温かさで暖が取れる。望美はホッと息をついた。
「こうしてりゃマシだろ?」
「将臣くんあったまいいなぁ!」
「ここは感心するところじゃなくて、照れるところだろ、フツー」
「なに〜?」
「いんや、別に」
 小さく呟いた言葉の内容までは聞き取れなかったらしく、望美はきょとんと将臣を見上げた。望美に想いを伝えているわけでは無いから、将臣は首を振って隣で首を傾げている幼馴染の頭を小突いた。ふっと笑い声が漏れる。こうやって馴れ合うことが出来るのはいつまでだろうか。
「うりゃ」
「いたっ! なにすんの!」
「間抜け面してる方が悪い」
「はぁ! 何その言いがかり! 間抜け面させたのは将臣くんじゃん!」
 犬のようにきゃんきゃんと騒ぎ立てる望美を見て、将臣はおかしそうに笑った。お前全然成長しねぇなあと心の中で呟いたのは間違いない。
 一方の望美は将臣のペースに巻き込まれており、どうにかして自分のペースに持ち込まないとまた将臣が(望美の精神上に)不穏なことを言い出しかねない。一生懸命他の話題が無いか考えた。
「それにしても手袋大きいなぁ。将臣くんってこんな手が大きかったんだねぇ。なーんか、ズルイ」
 しみじみとそう呟く望美。昔に比べたら確かに将臣の手は望美よりもいつの間にか大きくなっていた。
 いつも背比べをしていた。二人で背中合わせになって、どっちが大きいかと競争していたのに、次第に将臣の方が大きくなって、いつの間にか、望美は見上げる形となっている。昔から望美が虐められていたりすると守ってくれた将臣だけど、その背中が今では何より大きく見える。
「ズルイって言われてもなぁ〜、お前だって俺より小さいクセに態度でかいんだから文句言うなよ」
「そういうこと言うから腹立つんだよ!」
 くくっと忍び笑いを漏らす将臣に、望美はぶかぶかの手袋で殴りつける。望美の力は大したことない。もちろん、向こうの世界で鍛えていた分普通の女の子より強いといえばそうかもしれないが、手袋がぺちぺちとジャケットにぶつかるのは音が激しく聞こえるだけで実際に痛みは無かった。
「怒るなって、本当のことだろ?」
「ホント最悪!」
 手袋じゃダメージを与えられないことに気付いたのだろう。望美のご機嫌は斜めとなり、将臣はからかいすぎたかと反省して話題を変えた。
「で、なんでズルイ? 成長なんて人それぞれなんだからどうしようもねぇだろ?」
「そうだけどー、なんかさ、将臣くんばっかり大きくなっちゃってズルイよ。今もなんか一人で大きくなっちゃったみたい。…三年分」
 ボソリと最後に付け加えられた言葉。聞こえるか聞こえないか程度の声量だったが、将臣にもかろうじて聞き取れた。望美にとって、大きくなったのは背だけじゃないというのは理解できたので、将臣もあまり深刻にならないように軽い口ぶりになる。
「ま、三年は大きいよな」
「同い年だったのに」
「今でも同い年だろ」
「だって一人大きくなっちゃったじゃん」
 望美から見れば将臣があんな鋭い目で他人を見たりすることなんて、この世界にいた頃は感じられなかった。いつだって飄々としてて我関せずのようにしてたし、小さな頃は腕白ボウズ宜しく、悪ガキスマイルで周囲をトラブルに巻き込んでいた。
 置いてけぼりのようなものを、望美は感じているのかもしれない。将臣は望美の考えが手に取るようにわかる。だから、湿っぽくならないように、望美の髪をぐしゃぐしゃにしてしまった。
「んな考え込むな、お前らしくねぇよ」
「わかってないなぁ、将臣くんは。乙女心は複雑なのだよ」
「乙女心ねぇ……」
「うっわ、なんでそんな疑惑丸出しな目でこっち見るかな! 間違ってもわたし男じゃないから!」
「いや、別に」
「目を逸らすの禁止!」
 変な話、このやりとりだけでも、生きている事を実感できる。将臣にとってはこうしている時間が何よりも大切なもの。尊いものである。それは望美にとっても同じこと。普通で居られる時間がどれだけ大切なのか身に染みたのは向こうの世界に行ったから。
 こうしてあるべき場所に居てくれるという安心感を二人はようやく取り戻すことが出来た。大袈裟でもなんでもなく、本心からそう思う。望美と将臣それぞれの場所で戦い、生きてきたあの頃はもう何処にもない。寂しいとか、喪失感と言った感情は思い出としていずれ風化し、二人の中から消えてゆくのだろう。
「ねぇ、将臣くん。わたし考えたんだけど」
「なんだよ?」
「わたしたちってやっぱり揃ってなくちゃダメだよね」
 それは一体どういう意味で? そんな野暮なことは将臣は聞かない。望美は常に思ったことをそのまま口に出して喋っているから、本人に聞いても理由付けをするのが難しいのだ。出てくる言葉は「なんとなく?」で語尾に疑問符というおまけ付だ。
「だな、まぁ二人揃ってて俺たちだかんな」
 将臣はたとえ一人でも生きていける。けれど望美に同意をしてくれたのは、意味がわからなくても、感じたことはきっと似たようなところだから。将臣には一を言えば十分わかってくれる。その阿吽の呼吸が出来るのは、誰よりもずっと近くでずっと一緒にいたお陰。望美が望むものは全部それくらいは将臣にも理解できるのだし、そういうポジションに代用は有り得ない。
 一人で風のように飛んでいってしまう人間が将臣だけど、望美が待ってといえば絶対に待ってくれるし、歩むペースを落としてくれるのだ。
「なんか、やっぱりこうして歩くのが落ち着くなー。定位置って感じがする」
「そうかよ、そりゃ良かったな」
「将臣くんも落ち着く? わたしが隣に居てさ」
「落ち着くつーか、うるさい」
「殴っていい?」
「でも、うるさいからこそ、隣にいないと静かでつまんねぇってのはあるかもな」
 笑いながらも目が本気だった望美。腕を振り上げながら尋ねると、将臣が肩を竦めて続けた。
「…及第点って感じだけど、許してあげるよ。望美ちゃんは心優しい少女なのです」
 回答に満足したわけでは無いけど、その軽口が将臣らしい。そう望美は感じた。
「自分で言うかよ」
 プッと将臣は噴出して、望美も一緒になって笑った。
 笑っていられることがすごい。笑っていられる相手が傍に居る。笑いあいたい相手が傍に。
 だけど、たった一つ。二人にはお互いについてわからないことがある。
 たとえ阿吽の呼吸が出来たとしても、その心内までは相手に見せない。
 お互いに抱いている想いが相手に知られることは無いけれど、だからこそ照れもせずにこうやって手を握って人中を歩けるのだろう。
 大丈夫という安心感。言葉にしなくて雰囲気に滲み出る。そんな二人の関係。今のままで、今以上に、相反する想いは互いの胸底へと沈められ、ただ二人で居られるこの瞬間(とき)だけは、二人の距離を縮める寒空を歩く。幸福という名の、笑顔を浮かべて。


 了



 将臣君創作の迷宮ED後「祭囃子」に続いていきます。
 
   20070219  七夜月


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