おみくじ 「おかしいなぁ、こっちへ来たと思ったんだけど……」 望美は案の定白龍の姿が見えなくてきょろ、きょろ辺りを見回した。しかし、目的の人物はここにはいないようだった。 そして、自分で今の現状に気付く。これは間違いなく迷子だ。 「わたしが迷子……かな、やっぱり…」 恥ずかしい。この年で迷子になるとは正直思っても見なかったことで、ミイラ取りがミイラになってしまったようなものだ。 「姫君、そっちにはお目当ての人物はいないぜ。もっとも、相手がオレじゃないってのが、残念だけど」 気配無く耳元で囁かれて、飛びずさろうとしたものの身体をガッチリ掴まれて身動きが取れない。 「やっ…!」 「おっと、逃がさないよ。この人混みでまた離れたらやっかいだ」 クスッとした笑い声。顔だけで後ろを振り返って、望美はようやく抵抗していた力を抜いた。というか、呆れて力が抜けてしまった。 「ヒノエくん……びっくりさせないで」 「ふふ、ごめんごめん。ちょっとばかり悪戯が過ぎたかな」 ヒノエも望美を拘束していた力を抜いて、解き放つ。 「お探しの人物はもうとっくに戻ってきてるぜ」 「えぇ? それじゃあ、わたしやっぱり迷子だったんだ」 「……いいね、迷子。なぁ、せっかく二人きりになれたんだ。真っ直ぐに戻ることもないだろ? もうしばらく、迷子でいようぜ」 「ちょっと、ヒノエくん」 「ここのところ二人きりになんてなれなかったんだし、少しくらいなら罰は当たらないって。おあつらえ向きにほら、見てみなよ」 「おみくじだね」 指差されたほうを望美が見ると、そこにはおみくじに並ぶ人だかりが出来ていた。ヒノエは既にそちらの方へ望美の手を引いたまま歩き出している。今更止めたところで、並んでしまえば仕方がない。 「もう、しょうがないな……」 望美も繋がれた手に力をこめて、その後に続いた。 ヒノエとこうして二人で話すのは迷宮のとき以来だ。なんだかんだであの後はごたごたしていて、正直あの時のキスが気になっていた。それに、ヒノエの気持ちは聞いたけど、自分の気持ちはまだもやもやしてて全然解らない。 「ねぇ、ヒノエくん?」 「何だい、姫君?」 「わたしを待つって…どれくらい待つつもりなの? もし、わたしが結果を出さずにずっと居たらどうするつもり?」 「……ふふ、急にどうしたんだい? オレの気持ちを試したい?」 「違う、そうじゃないの。ごめんね、変なこと言って」 ……わたし、嫌な人間だ。結果が出てるヒノエくんに、結果を望んでも意味が無いのに。酷なことを聞いてる。自分の気持ちが解らないからってそれをヒノエくんに聞いたって解るわけが無いんだ。 望美は声には出さずとも、深い苦渋の表情でそれを表現した。 「ごめん、本当に。今のは忘れて! ほら、おみくじの順番来たみたい」 繋いでいた手を離して、望美はおみくじを引いた。ヒノエの顔を見れなくて、ただひたすらに手の中の紙を見つめていた。でも、実際は文字なんか頭に入ってこなくて、ただ今の自分の失言について考えているだけ。 馬鹿だな、こんなに後悔するんだったら、最初から言わなければ良かった。わたしが本当に聞きたかったことって何なの? 溜息が出てしまって、望美は慌ててその口を閉じた。気付かれたかな?とヒノエのほうを気配で探ってみる。 「麗しの姫君の御心を悩ませるのは、これが原因かい?」 やはり気付いていたようだ。後ろからスッとおみくじを抜き取られて、望美は思わず振り向いた。ヒノエは望美のおみくじに目を通すと、そうかと呟いた。 「気にするなよ望美、考えようだって。こんな確率、なかなか出ないって話に聞いてるぜ?」 「……? なんの話?」 「何って、コレで落ち込んでたんじゃないのか?」 ひらひらとなびかせながらヒノエが望美に見せてきたおみくじに書かれていた文字は。 「凶!?」 望美はヒノエから奪い取るようにして、そのおみくじを食い入るように見つめた。でかでかと書かれていた文字は見間違えるはずもなく、凶。今日の誤字でも何でもなく、凶。 しかも恋愛運のところなんて……。 「望み薄し、待たせ人帰る」 ……最悪だ。分不相応ってことなの? やっぱり、神様には何でもお見通しなのかな……。 ショックを通り越して放心状態になっている望美、ヒノエは一歩近付く。 「望美、貸してみな」 ヒノエが再びそのおみくじを望美から受け取る。ヒノエの行動が予期できぬ望美は黙って差し出した。その差し出した手に握られたのは、ヒノエの持っていたおみくじ。 「もしもお前が気になるなら、交換しよう」 「えっ、だって」 おみくじって交換したところでどうにもならないんじゃ。 望美の想いが聞こえたかのように、ヒノエは望美のおみくじに軽く口付けた。 「大丈夫だよ、お前の運は最強なんだ。この程度でへこたれたりしないって。もちろん、オレもね」 「その自信はどこからくるの?」 半ば呆れた望美に、ヒノエは当然と言わんばかりに微笑む。 「考えてみなよ。お前とオレが出会えた確率なんて、このおみくじを引くよりももっと低いんだぜ? 皆無といってもいいくらいだ。なのに、オレたちは出会った。間違いなく、今こうして触れ合っている」 望美の手を取ると、ヒノエは少し強引に引き寄せた。そしてバランスを崩した望美の頬に器用にも口付ける。赤くなって離れようともがいた望美なのに、ヒノエは抱きしめたまま決して離そうとしなかった。 「なぁ、オレたちって本当に運がいい、そう思わない?」 「ちょっとヒノエくん!」 耳に息がかかりそうな距離で囁かれて、望美は抗議の声を上げる。 「冗談だよ」 おかしそうに笑って離れたヒノエに、望美はグッと言葉につまる。いつだって、ヒノエはふざけてばかりで、真摯な言葉も笑顔に隠されてしまう。本当はどうなのかちっとも解らない。 「ヒノエくんって本当にわからない」 思わず口に出してしまうと、ヒノエはきょとんとしたように望美を見る。 「そうかい? オレは単純だよ。ただひとつの事しか考えてないからね」 「ただ一つのこと?」 「お前を好きだってことだよ」 その優しい声は雑踏に埋もれてしまいそうなほど穏やかな声音なのにも関わらず、ちゃんと望美の耳に届いた。 彼らしい、油断できない言葉と言えば確かにその通りなのに、彼の言葉は望美の中にスッと入ってくる。 望美はゆっくりと瞬きをした。言葉が出なくて、どうしたらいいのか、なんと反応をしたらいいのか解らなかったせいもある。 けれど、望美自身気付いていなくても、顔色が変わってしまっていることで、ヒノエには望美の気持ちが全部解ってしまうのだ。 「オレは望美が好きだから、望美にもオレを好きになって貰いたい…そう考えて行動してるだけだよ。脈が無いとも思わないから、オレは諦めるつもりもない。単純だろ?」 「こんな人混みの中で言うなんて……」 周囲の目が気になる。どれだけ自分が顔を赤くしているのか、どれだけの人にそれを見られているのか。 何より、この人混みでもおくさずに簡単に言ってのけるヒノエに望美は呆れてしまう。 だけれど、それは全部表向きの問題。ついて出た言葉は、望美の感情を隠すためのものだった。 嬉しいのに、素直にそういえない。 「オレは別に聞かれて困らないから」 「わたしが困るの!」 「八葉の前で言っても構わないけどね」 望美の言葉なんてどこ吹く風のヒノエ。それだけはやめてほしいと望美は切実に願った。 「姫君を一人占め出来るのはオレだけだって宣言してもいいならするよ」 「……ヒノエくんはずるいよ。いつも自分の好きなように生きてるんだもん。いつだって勝手なんだから」 「例えば?」 「き、キスとか……二回も騙してするし」 言いにくくてどもりながら視線を外した望美。キスの意味をヒノエは解るのかと言った後に気づいたが、さすがに知っていたらしい。 「じゃあ、聞くよ。キスしていい?」 なんてことを聞いて来るんだと、望美は眼差しで抗議した。 「……………今はダメ」 だけど、答えた言葉は眼差しとは裏腹で、ほんの少しだけ素直な気持ちが混ざっている。 「今は、ね。じゃあいつならいい」 「……とにかく! 今はダメ! もういい加減、皆のところ戻ろう!」 これ以上は答えに窮する。望美は逃げる気持ちも先行して、ヒノエからすり抜けるように早歩きで歩き出した。 「残念、姫君の御心を知る絶好の機会だったんだけど」 その言葉に、望美は歩みを止める。 ……そうだ、確かに望美はヒノエに対して返事らしきものはしていない。彼をただ待たせているだけ。それじゃあ、彼には酷過ぎるのもまた事実。覚悟を決めて、望美は今の気持ちを告げることにした。それで彼が帰ってしまうのだったら、仕方ない。望美に彼を止める権利なんてあるはずがないのだ。彼の帰る場所はこの世界ではない。向こうの世界なのだ。 「ヒノエくん、はっきり言うね」 深呼吸をして望美はヒノエを見た。 「たぶん、わたしはヒノエくんのことを愛してはいないと思う」 ビックリしてもいいはずなのに、ヒノエは何も言わずに表情も変えず望美の言葉を待つ。 「愛って言うのは、お互いの足りない部分を補って共にいることだって、聞いたの。でも、わたしは違う…自分のことで精一杯で、たぶん、ヒノエくんの事を補えきれてないと思う」 望美は愛することがどういうことかまだよく解っていない。その前段階で精一杯なのだ。 「だけどね、愛することはまだ出来なくても、ヒノエくんのことは好きだと思う。ヒノエくんはわたしが持ってないものをたくさん持ってて、わたしはカッコいいなとか、すごいなとか、憧れを抱いているから。他の誰よりずっとね」 無言は沈黙の肯定か否定か。どちらか解らないけれど、自分の気持ちを伝えることから始めないと、望美は前にも進めない。 「だから、これが今のわたしの全て。ごめんね、自分の気持ちもよくわかってなくて。わたしは、ヒノエくんのことを縛れないから、今のわたしの気持ちを聞いてヒノエくんがどうしたいか、その結論がたとえどうなろうとわたしは責めることは出来ないんだし、望むままに決めていいよ」 「……なるほどね」 困ったように、ヒノエは腕を組んだ。 「姫君の気持ちは良く解った。最初に言われた言葉にはさすがに心臓が跳ねたけど、好きになってもらえてるのなら上等だよ。最初から愛することが出来なくたっていいんだ。よく言うだろ? 愛は育むモノだって」 少しだけおどけて、それでもヒノエは嬉しそうだ。 「一緒にいよう、愛するのはそれからだって全然遅くないから。何度でも言うけど、オレは待つから。お前の気持ちがちゃんと整理できるのを、いつまでもね」 「……うん」 ありがとう、小さく呟いた望美もようやく笑顔を取り戻した。 ヒノエに対して抱いていた罪悪感とかそういった感情が少しずつ昇華されていく。少しずつでいいから一歩ずつ進もうと、そう言ってくれる人が傍に居てくれる。今はまだ甘えることさえ上手く出来なくても、その度にヒノエは解ってくれるだろうから。 いきなり飛ぶことは出来ない鳥も、羽ばたいて練習して大空に舞うことが出来る。望美は鳥になろうと、静かに決意した。小さくたって、想いを成長させて、いつかはヒノエという空に飛べるように。 そうして、きっとこことは違う別の場所で、彼と一緒に笑顔で居られるように。 了 20070216 七夜月 |