神酒拝戴所


「おかしいなぁ、こっちへ来たと思ったんだけど……」
 望美は案の定白龍の姿が見えなくてきょろ、きょろ辺りを見回した。しかし、目的の人物はここにはいないようだった。
 そして、自分で今の現状に気付く。これは間違いなく迷子だ。
「わたしが迷子……かな、やっぱり…」
 恥ずかしい。この年で迷子になるとは正直思っても見なかったことで、ミイラ取りがミイラになってしまったようなものだ。
「神子、そちらではない」
 低く小さいけれど確かにその声は望美にも聞こえて、望美は振り返った。そこに立っていたのは、心配そうな敦盛の姿で、望美は迷子にならずに済んでホッとした。
「良かった、敦盛さん、探しに来てくれたんですか?」
「ああ、白龍は戻ってきたのに、神子だけが戻らなかったので、心配になった」
「うっ、白龍戻ってきてるんですね……それじゃ、わたし迷子になり損です」
「そうだな」
 そして敦盛の口許が緩む。そんな彼が怒っていないことをほっとして、望美はせっかくだからと敦盛を手招きした。
「お神酒を配ってるみたいですよ、みんなの分も持っていけるかなぁ」
「二人でこの人数の中持って歩くのは少し無理があると思う」
「確かに……それじゃ、皆を呼んで……って携帯使えないじゃない」
 ディスプレイを見てみたが、電波が一本も立っておらず電話しても繋がらない。小刻みな機械音ばかりで、聞きなれた待ち音が聞こえてこないので望美は電話を切った。
 北風が音を立てて足元から吹き上がる。
「っくしゅん!」
 この寒空の中で立っていたせいか、望美はくしゃみをすると、ハンカチで口許を押さえた。
「寒いのか、神子」
「うーん、少し。でも大丈夫ですよ。ホッカイロもあるし」
 ポケットから取り出してまだ温まり始めたカイロを強く擦って望美はそれを頬に当てる。あまりにも幸せそうなので、敦盛もいつもより表情が柔らかいままだ。
「…少し待っていてくれ」
 敦盛はそういって望美を小脇に寄せると、一人雑踏の中へと消えていった。そういう敦盛のほうこそ、人混みは苦手だった気がするが、大丈夫なのだろうか。望美が心配していると、暫くしてから敦盛が戻ってきた。手には一つの紙コップを持っている。
「甘酒だそうだ、あちらで配っていた。暖かいものを飲めば、少しは違うだろう」
 微笑と共に渡された紙コップを受け取って、望美はふふっと笑い声を上げた。
「どうかしたのか? 神子」
「いいえ、気遣ってもらえたことがなんだか嬉しくて」
「……そうか、神子もいつも私を気遣ってくれる。そのお返しが少しでも出来ているのなら私も嬉しい」
 両手で紙コップを握るとその熱で望美も幸せそうに温かいと呟いた。少しずつ、口に含みながらその温かさで喉を潤す。
「おいしい」
 ホッと息をつくと、敦盛までも安堵したように空気を和らげたので、望美は敦盛に小さく笑いかけた。
 だが、敦盛が紙コップを一つしか持っていなかったことに気付く。
「あの、敦盛さんの分は?」
 首を捻りながら尋ねると、敦盛は「気にするな、神子が飲めばいい」と答える。だが、一人温かいものを飲んでいる、というこの状況を自分でも許しがたいものがあって、望美は敦盛の目の前にカップを突き出した。
 敦盛だってきっと寒いに違いない。だけど自分のためにわざわざ甘酒を持ってきてくれたのだから、自分が出来る全てを持って温まってもらうのが筋だろう。
「無いんですね、駄目ですよ。ちゃんと敦盛さんも温まらなくちゃ」
「いや、しかし私は……」
「駄目です、飲んでください。ほら」
 ぐいぐい勧められて、敦盛は観念したように紙コップを受け取った。だが、頬を赤く染めたまま微動だにしない。
 やっぱり無理やり渡したのはマズかったかなと望美が考えていると、敦盛はそれをほんの一口だけ口に含む。
 喉を通る温かい液体にコップを口から離した敦盛がホッとしたように息をついた。
「貴方の優しさが染みるような温かさだ」
 コップを返してきた敦盛のこの言葉は望美を更に喜ばせた。無理やり勧めて印象を悪くしたかと危惧していたけれど大丈夫なようだ。
 しかし、それでも敦盛の顔は赤みを引くことがない。わりと尋常じゃない赤さである。
「敦盛さん?」
 一応額に手を当ててみたが、どうやら熱は無いようだ。では何故?と思って、敦盛がたった今飲んだ甘酒に思い当たる。
「まさか、あの一杯で酔っちゃったんですか?」
 最初は口を閉ざしていたものの、観念したように敦盛は頷いた。
「……すまない、元々人酔いしていたのだが、酒が入って余計に悪化したようだ。吐き気はないが、少し休ませてもらってもいいだろうか」
「もちろんです、わたしの方こそ気付かずにすみません!」
 自分ばかり浮かれていて、敦盛の容態に気付けなかったことに、望美は自己嫌悪の嵐だ。縁石に敦盛が座れるスペースを隣に設けて、彼が座った後に望美も座る。彼が人混みが苦手だとわかっていたのに、どうしてこう思いやって上げられなかったのか悔やまれる。
「敦盛さん、今日は帰りましょう? みんなに事情を話せば大丈夫ですよ」
「いいや、私なら大丈夫だ。この程度ならば大したことない」
「でも、わたしは敦盛さんに身体を大事にして欲しいです」
 敦盛はその言葉で笑顔を取り戻す。
「ありがとう、神子。私のことを気遣ってくれて。だが、私も叶えたいんだ。貴方が望むことを。皆と初詣に来たかったのだろう? 今日という日は、年に一度きりなのだから」
 そう、敦盛は言わなかったが、望美はちゃんと気付いてた。今日という日は年に一度どころか、もう二度とこない。皆は数日後には元の世界へと戻ってしまう。そうしたら、二度と会うことが叶わなくなり、皆で初詣など夢のまた夢となる。
 それは解ってる、けれどこれは自分のわがままで、敦盛を苦しめるために計画したわけじゃない。それを言い募ろうと、望美は敦盛に一歩近付いた。
「でも……っ」
「本当に大丈夫だ、神子。そんな顔をしないでくれ」
 望美の言葉を遮り首を振る。そんな敦盛の顔に苦しそうなところは一つも無い。もしも敦盛が納得しているのなら、望美は何も言えなくなる。
「……わかりました」
 食い下がっても、敦盛は時折頑固で絶対に譲らないときがある。だからこそ、望美はこの場は敦盛のいうとおりにすることにした。
「だけど敦盛さん。これだけは忘れないでくださいね。わたしが敦盛さんを心配するのは、敦盛さんが大切だからですよ。八葉とかそういうことじゃなくて、一人の人間として、貴方が大切だからです」
 敦盛は目を見開いたが、少し照れたように、けれどあまり見ない微笑ではなく満面の笑みを見せた。
「貴方も、覚えていて欲しい。私も貴方と同じ気持ちで、貴方のことを大切に思っているということを。だからこそ、叶えたいんだ。少しずつ、どんな小さなことでも、貴方が願う全てのこと。それが私の幸せだから」
 思いも寄らない敦盛の言葉に、望美は驚いて一瞬呼吸まで忘れたほどだ。
「神子?」
 ポカンと口を開いていると、敦盛に顔を覗きこまれて、ハッとして口を閉じた。
「いえ、その、わたしには勿体無い言葉というか……!」
 今の言葉をすんなり受け止めると告白に近いような、とグルグル余計なことを考えてしまった。
 自分達の関係が非常に微妙な境にあることは、望美もわかっている。好意を持ってくれているのは今の言葉からも察せられるのだが、だからと言って敦盛が本当に何を考えているのかなんてわからない。もしも思い違いで恥をかくとしたらそれはそれで切ないものがある。
 だけど、迷宮での彼の行動一つ一つが、自分を助けてくれた。崩れ落ちた天井の中、必死になって抱きしめてくれたあの腕の中は、思った以上に広くてしっかりしていて、思い出すだけでなんだかドキドキしてしまう。
 加速する思い出の連鎖に、今更ながら望美は顔を赤らめて後悔した。なんだかんだ言いつつ、告白の絶好のチャンスを逃し続けているではないか。
「勿体無い言葉などではない、貴方だからだ……神子、顔が赤いようだが」
「だ、大丈夫です。ありがとうございます、そんな風に言ってもらえてすごく嬉しいです」
 敦盛はきっと知らないだろう、望美がその言葉を聞くだけでどれだけ舞い上がってしまうか。どれだけ敦盛の言葉や仕草や表情で一喜一憂しているか。
「そろそろ、戻ろう。きっと皆心配している」
 立ち上がった敦盛に手を貸してもらって、望美も立ち上がる。けれど、繋いだ手から温もりが消えない。
「あの、敦盛さん? 手を貸してくださってありがとうございました」
「ああ、それは構わないが……神子、もし貴方さえ良ければ、戻るまで繋いだままにしてもいいだろうか」
「え?」
「もうしばらく、このままで」
 ほんのりと染まった朱色の頬。それは勿論望美も同じで、だけど彼よりずっと元気良く望美は返事をした。
「はいっ! またわたしが迷子にならないように、ずっと繋いでてください」
「ああ…これで貴方が迷子になるときは、共に迷子だ」
 その台詞がどこかおかしくて、望美と敦盛は顔を見合わせて笑ってしまった。ただ手を取っただけのぎこちない繋ぎ方から徐々に指を絡め合わせて、二人はゆっくりと歩き出した。
 皆のところに戻るまでその手は強く握り締められ、決して離されることは無い。


 了



 
   20070104  七夜月


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