鶴岡八幡宮1 只今の時刻はPM 23:50。 何とか10分の余裕を持って鳥居まで辿り着いた望美は、走ってきたせいで乱れてしまった自らの髪を手櫛で直した。コンパクトを取り出してささっと自分の顔をチェックする。 「うん、これなら大丈夫、かな」 よし、おめかしもバッチリだし、後は合流するのみ。しかしさすがに大晦日なだけあって神社は人でごった返していた。これから除夜祭が行われるためか、人の量は半端ではない。 「うわぁ……ちゃんと会えるかな……」 いささか心配になっていると、歩いていた誰かにぶつかられた。 「わっ!」 慌てて重力移動を試みたが、無駄に終る。前のめりのまま地面とにらみ合っていると、ふと妙な感覚を覚えた。それもそのはず、ぶつかる寸前で望美は止まっていたのだから。 「危ないですよ」 抱きとめられて顔を上げればくすくすと笑っている弁慶の姿があり、望美は顔を赤くする。こんなベタな展開で助けられるのは正直恥ずかしい。だが、ぶつかったのは弁慶ではない。 「すいません、大丈夫でしたか?」 ぶつかってきたのは、長髪の年が同じくらいの少女だった。 「はい、平気です」 「ったく、何やってんだよ。ナオ」 「うるさいな。怪我してないなら良かった……本当にごめんなさい」 「いいえ」 どうやら恋人らしい人と彼女が立ち去っていくのを望美は曖昧な笑顔で見送って、傍らにいた弁慶を見上げた。 「いつからいたんですか?」 「少し前からですよ」 「って、冷たっ」 望美は弁慶の手に触れてあまりの冷たさに驚きを隠せない。こんなに冷たいということは、少し前というのも疑わしい。 「冷たいですか? 自分ではあまり感じなかったんですけど……でもこれでは、君とは手を繋げないですね。冷やしたりしたら大変ですから」 「え!?」 「ふふ、冗談です」 何が何処まで冗談なのか切実に語ってほしいといつも望美は思う。なんだか一人勝ちされているようで、少しだけずるいと思う。こんなことばかり言われてはこちらの心臓が持たない。 「……この人通りの多さじゃはぐれてしまったら大変ですね。もしもの時のために、待ち合わせ場所を決めておきましょうか」 「あ、はい! そうですね」 待ち合わせを決めるのもいいけれど、それよりはぐれないようにした方がいいんじゃないだろうかとは思うが、口に出しては流石にいえない。だって、そうしたら手を繋ぎたがっているのを望んでいるのがバレバレではないか。 「では、はぐれたら先ほどの待ち合わせ場所、鳥居のところで待ち合わせましょう」 「…はい、わかりました」 確かに目立つけれど、こう人がいると戻ってくるのも大変だな。やっぱりはぐれないようにしっかりついていかなくちゃと、望美は心に決める。 「……でも、やはりはぐれないようにするのが一番ですよね」 そんな様子の望美を見て、弁慶は少々考えあぐねた末に、再び提案した。 「え?それは……そうですね」 ちゃんとついてこいってことかな? いつもならこんなところだろうけど、その日だけは違って、望美の予想は大きく裏切られた。 「少し、我慢してもらえますか」 ひんやりとした冷たさが望美の手を包む。しかし、手とは対極に望美の顔は熱い。 「歩いていれば、きっと温まりますから」 「……はい」 繋いだ手を握り返して、望美は今の幸せを満喫するように頷いた。 「どこか行きたい所はありますか?」 「行きたいところ、ですか? いいえ、私は特に。弁慶さんはあるんじゃないですか?」 「そうですね、お参りも済んだし、僕も特には無いんです」 「あ、そうだ……それじゃあ源平池を見に行きませんか?」 「わかりました」 本宮から戻りながら、望美は確か政子石があったことを思い出す。 姫石とも呼ばれるそれは、夫婦円満の祈願石でもあったはずだ。夫婦円満とはちょっと違うかもしれないが、せっかくだから告白前の勇気を少しでも貰いに行こうと思ったのだ。困ったときの神頼みと同じような感覚である。夫婦円満と恋愛成就を結びつけるのはどうかと思うが、今日ぐらいはいいと思う。 「源平池とは、面白いですね」 ついた先でこっそりと望美が姫石を探していると、隣にいた弁慶がそう呟いた。 「面白い、ですか?」 「ええ、こちらの世界では僕らは歴史上の人物なんですよね。こうしてここにいるのに、自分が後世に名を残しているなんて信じられないですから」 「でも、弁慶さんたちのいた時空とは、ちょっと違うみたいですし……信じられなくてもしょうがないのかも」 「ふふっ、確かに……僕の肖像画を見ましたが、あんな強面で屈強な男であるとは、我が身ながら思えませんからね」 「あはは、そうですね。全然違いますもんね」 しかし無邪気にそこで全否定されるのも男としては何だかやるせなくて、弁慶は小さく苦笑した。 望美も今の話から弁慶の言うとおり、歴史に残っている顔とあまりの違いに他の人々と爆笑しあったことを思い出す。ヒノエ辺りは面白がって、何度も望美の世界の歴史について聞きたがっていた。敦盛ですら興味を示していたほどだ。 「弁慶さんは、この世界……嫌いですか?」 「いいえ、そんなことありませんよ。確かに夜でも街が明るくて星は見えにくいですけど、すごく綺麗です。何より、ここに住んでいる人たちはみんな幸せそうだ」 「そうですね、幸せです……だから、かな。私、最初は向こうの世界に慣れるまでが大変だったんです。ここは便利なものが多すぎたから」 「ええ、とても便利なものが多いです。水を汲みに行かなくて済むというのにも驚きました」 「びっくりしたことだらけですね」 楽しそうに弁慶が言うものだから、それが望美には嬉しくて何度も頷いた。こちらの世界を少しでも受け入れてくれて本当に嬉しい。最初は皆が元に戻れないことに酷い罪悪感を感じていたが、それでも皆がそれぞれこの世界を受け入れていってくれたことは本当に安堵している。ただの、望美が罪の意識から逃れたいがためなのかもしれないが。 「僕は本当に楽しいんです。知らなかったもの、触れるもの、全てが初めてでとても勉強になりますし、異次元から来た君の育った世界が見られるなんて滅多にないことですから」 「……そうですよね。普通と言ったら、私たちが出会ったことも普通じゃないですから」 「本来なら、君は出会うはずも無かった女性ですし」 「………………」 「僕はこの運命を歩んだこと、生涯でただ一つの幸福だと考えているんですよ」 「私も向こうの世界に行けたこと、多分もう二度とないラッキーだったと思います」 貴方に出会うことの出来た運命だから。 もしも望美が白龍の神子に選ばれなければ、望美はこの世界の友達のように恋に恋をしながら幸せな家庭を夢見て日々を過ごしたことだろう。けれども、こうして本物の恋に出会うことが出来た。これ以上の幸福を望めば、もしかしたら罰が当たるかもしれない、なんて思えるくらいに今が幸せだ。 「ラッキーは将臣くんがよく使う言葉ですね。意味は幸福、と同じようなものでしたか?」 「えっと……はい、そうです」 「君も同じように感じてくれているなら、僕も嬉しいですよ」 にこりと微笑が望美に向けられる。この笑顔に望美は弱かった。何も答えられずにただ俯く。答えが欲しいわけではなかったため、弁慶も何も言わずにそのまま源平池を見つめていた。 だから、望美は知らなかった。弁慶がこの源平池をどんな思いで見つめていたか。 彼がどんなに嘘つきだったか。戦場にいた頃ならみんなの些細な変化だって気づけていたけれど、今の望美は浮かれすぎていたのだ。思い出しもしなかった。 彼が、一言を漏らすまで。 「あちらの世界の人々も皆、こちらの世界の人のように幸せでいてくれればいいのに」 → |