鶴岡八幡宮2 幸せを願うその姿に隠された本当の意味に気づいたとき、望美はあっと口を押さえる。 思い出したのは闇に隠れた自分の感情。 自分が向こうの世界に飛ばされたとき、何より感じたのは心細さと、孤独感。譲も一緒にいたけれど、時折一人になると思い出したように自分がこの世界の住人では無いように思えていた。浮いている、という感覚が拭いきれず、いつだって自分の存在意義について考えていた。意義というよりも、自分の存在している証拠が欲しくてたまらなかった。それが知盛のように戦いに求められていたわけではなかったが、それでも証の一つである剣を磨くきっかけとなったのは、戦いだった。 この世界にはそんな戦いは頻繁に起きない。だから、全身で証し立てられるものがないように思えているのならば、その空虚感は望美以上のはずなのに。人の気持ちに聡い弁慶が気づかないはずも無い。 彼のことだから言葉にしないけれど本当の願いはいつだってあの世界のこと。 「帰りたい…ですよね? 正直に言ってくださいね。私に弁慶さんの気持ちを聞かせてください」 望美が傷つかないように、きっと弁慶は嘘を使うから。だから最初に、そう言い切った。 「……いいえ、と言ったら…嘘になってしまいますね」 望美の希望通り、弁慶はやはり望美の気持ちを察して正直に答えてくれる。 そしてその答えは当たり前だ。誰だって自分がいた世界の方がいいに決まってるのに。一人浮かれていて弁慶の寂しさに気づいてあげられなかった。同じ思いをしていたにもかかわらず、自分のことしか見ていなかったのだ。 「ごめんなさい、私……弁慶さんの気持ち考えもしなくて」 知らなかったで済まされる話じゃない。向こうの世界で例えどんな理由があるにせよ弁慶は最初から望美のことを気にかけていてくれた。勿論、弁慶だけではなくほか皆も同じように。けれども、望美はただ罪悪感に捕らわれるばかりで、何一つだって心を配ることが出来なかった。 「謝らないでください、先ほど言ったのも本心ですが、楽しかった事だって本当のことです。というか、こういう場合はさっさと頭を切り替えたもの勝ちなんですよ。いつまでもうじうじしていていても、状況は良くなりませんから。ただ、もう少ししたら帰る道を探そうとは思っていますが」 望美はあまりの恥ずかしさに顔を上げることが出来なかった。帰る、と聞いただけで別れが来ることを現実に突きつけられて凍りつく。せっかく温まった指先が徐々に冷えていくのが自分でも解るほどに、そのことを恐れている自分がいる。 このままずっと一緒にいられるなんて、虫が良すぎた考えだ。解っているけれど、それほどまでにこんなに離れることが辛いことだとは思わなかった。 否、忘れていた感覚を取り戻したといった方が、正しいのかもしれない。一度だけ、彼を失ってしまったあの時の喪失感にも似た冷えた世界。こちらでは幸せすぎて、安全すぎて、死の感覚が間近ではなかったから。 別れはいつも唐突に訪れるものなのに。 「道が見つかったら、そうしたら向こうの世界に帰るつもりです」 「そうですね。……それが、貴方の望みなら」 「ですから、覚悟はしておいてくださいね」 「……はい」 素直には頷けなかった。そんな、帰るときの……別れる覚悟なんて、できればしたくなどない。けど、困らせることは出来ないから。それが彼の願いであるなら、望美の行う道は一つだけ。 「その時がきたら君の御両親にもちゃんとご挨拶しなくては」 「……別にウチの親にそこまでしなくてもいいと思いますけど」 弁慶の言うそれは確かにそうなのかもしれないが、しかし別れるときに場所と時間を選べるかどうかが問題だ。時空が開くのが家とは限らないのだから。もしもどこか別の場所で望美だって知らない内に帰らざるをえない場合になったら、悠長に挨拶なんてものをしていられるだろうか。 「いいえ、そういうわけにはいきません。お世話になりましたし、それに大事な娘さんを連れて行くんですから、一発くらい殴られないといけないかもしれません」 「…………はい?」 我が身を疑うような単語が一瞬聞こえた気がしたのは気のせいか。 「どうかしましたか?」 「すいません、もう一回言ってもらえますか?」 「一発くらい殴られないと」 「いえ、その前です」 「大事な娘さんを連れて行く、ですか?」 今、間違いなく、弁慶はそういった。『大事な娘さんを連れて行く』ということはつまり……。 「あの、それって……その……告白…と受け取っていいんでしょうか?」 信じられないといった思いで望美尋ねた。それ以外の選択肢なんて、思いつかない。 「告白というよりも、求婚ですね」 それに対してあまりにもあっさり照れるもせずに弁慶がそういうものだから、やはり信じられなくて。 「全部僕の思い込みでないとしたら、君は受け入れてくれると思ったんですけど」 望美の気持ちは包み隠さずバレていたらしい。望美だって弁慶が気づかないとは思っていなかったけど、そんな自信に満ち溢れた言い方をするほどまでとは思いも寄らなかった。 「…………」 余りのことに絶句して、二の句も告げない望美はまるで気を失ってしまったかのように固まってしまった。自信満々の弁慶に対して怒るべきか、呆れるべきか、それとも……。 「弁慶さん……私がその言葉を受け入れる前に一つ大事な順番を抜かしていると思うんですけど」 静かに語り始めた望美の言葉に、弁慶が思いつかない様子で黙って望美の言葉を待った。 「?」 「私、まだ弁慶さんの気持ちを聞いてませんよ?」 「……これは失礼しました」 女の子にとって、一番大事な言葉。コレを聞かなかったら、お嫁に行くとかの問題じゃない。 ああ、とようやく思いついた弁慶は望美の顔に手を添えた。 「君が好きです。いや、愛してる……かな。……僕と結婚してもらえますか?」 「……はい」 望美の腕が弁慶の首筋に回され、弁慶の手もそのまま望美の腰を引き寄せた。 交わされた口付けが離れて、二人が微笑みあいながら言葉を交わすのはもう少し先。 初めて知るお互いの体温に身を任せながら、今この瞬間の幸せな思いに望美は酔いしれた。 了 20060102 七夜月 |