江ノ島1




 只今、AM 0:45
 江ノ島に入る前の弁天橋前で待ち合わせした望美ともう一人が立っていた。だが、様子がおかしい。
 それもそのはず。目の前に立っている相手に頭が上がらずに、望美はひたすら地面と向かい合っていたのだから。
 ちなみに、先ほどから声もかけずにこちらをじっと見ているのは望美と同じ年の少年。
「………………」
 ヒノエはむっつり押し黙ったまま、一言も喋らない。
 かーなーり、大幅な遅刻だった。
 背中を伝う嫌な汗に、望美はごくりと息を飲む。
 謝罪はした。けれども呼び出しておいて遅刻したなんて、謝罪しても最低な行為であることに違いない。先ほどからずっと喋らないヒノエに望美はチラッとだけ上目遣いで見上げたが、ヒノエと目があうと思わず再び俯いた。
「(目が怒ってるよ……)」
 寒い中待たされたほうとしてはそりゃ溜まったもんじゃないだろう。怒るのも無理は無い。けれど、あまり怒る姿を見たことが無い望美は怒ったヒノエに対してどんな態度をとったらいいのか解らずに、どうでたら良いのか分からない。
「……あの、ヒノエくん」
「何?」
 いつものヒノエからは考えられないほど、刺々しい声。
「本当にごめんなさい。誘っておいて遅刻するなんて……私最悪だ。ごめんね、ホントのホントにごめんなさい」
ガバッと前屈するほど頭を下げて謝罪する望美の姿を見ていたヒノエは我慢できずに噴出した。
「…………ぷっ」
「………へっ?」
「あははっ、もうダメだ……! ごめん、姫君、俺本当は怒ってないから」
 今度は一転して笑い続けるヒノエ。一体なんだというのか。ついていけない望美がポカンとしていると、ヒノエは涙を抑えながら笑った。
「本当に怒ってないよ、ただ少し姫君をからかってみただけ。思ったよりもお前の困惑した顔が魅力的でさ、しばらく見ていたいと思って少しだけ演技してたんだけど、段々可哀想になってきたからこれでお仕置き終わり」
「え、それって……もしかして私、からかわれてた?」
「俺にとっては愛情表現の一つだけど」
「も、もー!! 私本気で心配したのに!!」
 望美も本気で怒っているわけではない。ただ、ヒノエが怒ってなかったことに対して安堵したために気が抜けてしまった。
 嫌われたかと思ってこれからどうしようかと思っていたところだった。
「それで、姫君が行きたいところはどこかな? 江ノ島まで来たかった理由があるんだろ?」
「……でも、遠いよ? いいの?」
「当たり前じゃん。今日は姫君にとことんまで付き合うつもりできたんだ。前にオレが付き合ってもらったようにね」
 ウィンクをしたヒノエは望美の手をとるとさっさと歩き出した。
「ちょ、ちょっとヒノエくん! 待ってよ……!」
「夜は長いといっても、お前といたら時間なんてあっという間に過ぎちまう。さっさと行こうぜ」
 当たり前のように手をとってくれたことがすごく嬉しい。望美はヒノエの隣に並びながら微笑を浮かべた。
「うん、一緒にいこうね」
 そして話をしながら二人は弁天橋の上を歩き出した。

 潮風は冷たく、吹き荒ぶ。舞い上がる髪を何度も手で押さえながら、二人は恋人の丘に出る横道を歩いていた。
 ちなみに、ヒノエには行く場所を黙っている。頂上に着くまで内緒にしているつもりだ。恋人の丘、なんて恋人じゃないのに言えるはず無い。出来れば、龍恋の鐘をついてみたいという思いはあるが、カップルというわけでは無いのでその願いは微妙である。
「そういえば、今日はどうしてこんなに遅くなったんだ?」
「それがね、ギリギリの電車に乗った私が悪かったんだけど……途中で事故があって止まっちゃったの。あと二駅だし、いつ出るか解らないっていわれたから降りて走ってきたんだけど、やっぱり間に合わなかったんだ」
「いいや、それはもういいよ。でも、姫君の手に触れたときすごく熱かったのはそういう理由か」
「?」
「てっきりオレと手を繋いで意識したからだと思ってたんだけど?」
 耳元で囁かれては正常に意識を保っていられるはずが無い。
「えぇっ?」
 かぁっと赤く染まった望美の反応に満足したヒノエは再びギュッと手に力を入れた。
「やっぱりお前は可愛いね」
「ここはお礼を言うべきところなの?」
「お礼というよりも自覚してくれればオレとしては助かるけど」
「?」
「お前を狙う輩は多いんだぜ。自分の魅力に気づかずに他の奴らにも同じような笑顔を向けるのは、俺としては楽しくないからさ」
「うわ、またそういうこと言って私の事からかう!」
「からかうくらいなら言わねーって。これでも結構本気なんだけど」
「え?」
「さて、ついたかな」
 投げられた言葉を問い返す間もなく、ヒノエの通りに丘の上につきそうだ。ここならきっと朝日も綺麗に見れるだろう。朝までいるかは別として。
 しかし、海沿いなだけあって本当に寒い。吐く息が白いのは勿論のこと、風が結構冷たかった。
「ごめんね、ヒノエくん。こんなに寒いのつき合わせちゃって」
「何言ってるんだよ。さっきも言ったろ? 今日は姫君に付き合う日だって。大丈夫、冬の潮風にはオレは慣れてて寒くなんか無いから。って言うか、オレはお前の方が心配だけど」
「私も大丈夫だよ。一応ちゃんと防寒グッズは持ってきてるから」
「防寒ぐっず?」
「うん、これなんだけどね」
 ポケットから取り出したのはホッカイロ。ヒノエの手に渡すと、ヒノエが感動したように呟いた。
「暖かい……お前の世界は本当に不思議なものばかりだね」
「そうだね。でも私から見たらヒノエくんたちのいた世界も相当知らないものばかりだったよ? あ、知らないものっていうか、実際には見たことないものばかりって感じだけど」
「ははっ、そうだね。この世界に来て本当に違いが良く解ったよ。」
 海を遠くに見つめながら、ヒノエはいつものように笑った。そんなヒノエの様子に一安心した望美は思いついて提案した。
「良かったらそれ、ヒノエくんが使って? 私はもう一つ持ってるから」 
 ポケットから取り出して、もう一つあることを見せる。けれどヒノエはしばらく黙っていた後に、首を振った。
「…………いいや、これはお前が持ってな」
「どうして? もしかして、こういうの嫌だった?」
「何で温かくなるのが嫌なんだよ。そうじゃないって」
 一安心したばかりだというのにまた別の不安要素が浮かんで、苦笑しているヒノエはそんな望美の気持ちを解っているように望美の身体を抱きしめた。
「オレにはこっちがあるからいいんだ。お前がそれを使って、俺はお前で暖を取る。完璧だろ?」
「わっ、またからかってるでしょ!」
「そんなわけないじゃん、本気だよ」
 抱きしめながら耳元で囁くのは卑怯だと思う。固まって身動き取れなくなってしまった望美は内心わたわたしているものの表では固まったままだ。
「なぁ、望美……お前のことを欲しいって言ったら、お前は困るのかな」