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 小さな明かりがともり、薄暗い部屋で望美はごくりと唾を飲み込んだ。
 持っているのは筆。向かっているのは紙。しかし、先ほどから一向に紙は真っ白なままだった。
 夕飯の為に呼びに来た将臣は、そんな望美の後姿を見つけていたずらをする子供のように気配を消して背後に立った。
「のーぞみ、何マジな顔してやってんだよ」
 後ろから覗き込まれた望美は、きゃっと慌てて反射的に書いていたものを隠した。とはいえ、真っ白なままなのだからあまり隠す意味も無いが。
「なんだよ、俺には見せられないってのか?」
「ダメ、将臣くんと譲君はダメ!」
「はぁ?」
「いいから、もう邪魔しないでよ!」
「って、お前メシは?」
「いらないから!」
 将臣の背中をぐいぐい押して追い出すと、望美ははぁっと深く溜息をついた。
「どうしよう……何書けばいいんだろう」
 当たり前ながら、望美はこちらに来て手紙以外の書物など自分からは見たこと無かったし、書くなんてことも無かった。
 こちらの世界が望美の世界で言う習字……つまり筆と墨で紙に字を書くというのは知っていたが、そんなもの無縁のものだと思っていたのだ。
 だからといって、タカを括っていたとか、そういうつもりもなくただ必要性に迫られなかっただけでいざそういったものに直面してみると、頭を抱えずにはいられなかった。
 ノートとペンといった気安さは全くなく、自分が書こうとしているもののせいか余計に筆が重く感じる。
 今更ながらに申し出を受けた自分を後悔する羽目になった。
「ほんと、どうしよう……恋愛の言葉なんて、思いつかないよ」
 途方にくれてもただ一人、書ける人物も自分だけ。一体どうしたらいいんだろう。
 望美は深い溜息をつきざるを得なかった。

 時は遡る事一時間前。
「君の世界の言葉はとても面白いです。興味深いものがありますね」
 弁慶からにこやかに言われ、望美も嬉々として弁慶に望美の世界の言葉を色々と話した。
 その中には深い意味ではないにしろ、恋人に対する言葉も含まれていて、それを聞いていた弁慶が突然手を打った。
「そうだ、謎かけしませんか?」
「謎かけ?」
「はい、君の世界の言葉は、きっと僕にとっていくら学んでも学び足りなくらい膨大なものなのでしょうね。ですから、君に幾つか言葉を書いてきてもらって、それを僕が当てるんです」
「あぁ、テストみたいなものですか」
「てすと?」
「あ、えーと……試験、ってことなんですけど…試験ってこっちの言葉になってます? 今まで勉強してきた成果を試すために、幾つか問題を出すってことなんですけど」
「あぁ、なるほど。テストですか、また一つ覚えました。そうですね、厳密には違うのかもしれませんけど、それではテストしましょう」
 謎かけを10題準備して、夕飯の後に部屋に来て欲しいということだった。
「でも、弁慶さん……さすがにジャンル…えーっと言葉の種類? を絞らないと解りにくいですよ。私たちの世界では外国の言葉も普通に使われてますし。例えば、リズ先生みたいに金髪の人がいる国の言葉とか。英語って言うんですけど」
 厳密には金髪の人総てが英語を話すわけでは無かったが、万国共通の言語といえばやはり英語だろう。
「そうなんですか? 出来るなら、僕たちの世界と共通なものがいいですね」
「ですよね、英語はやっぱりマズイし。うーん……」
「恋愛、というのはどうでしょう? やはり、人の心についての言葉というのは、そうそう変わらないですし、ヒントがあれば僕にも答えられそうだ」
「恋愛……」
 その言葉に、少しだけ望美の頬が火照る。
 まさか、望美の気持ちがバレているわけでは無いはずだ。
 気にしちゃダメだ、弁慶さんの言うとおり、恋愛がテーマなら解りやすいに決まってる!
 と、誰にともなく言い訳をして、心に生まれた煩悩を振り切るようにして首を振った。
「解りました、じゃあ恋愛について何か言葉を考えて持って行きます」
 そう告げたのだった。


 適当にパパッと書けばこんなに悩むことは無いのだろうが、弁慶にも解りそうなものを、と考えているうちに徐々に深みにハマり、何も思いつかなくなってしまったのだ。
「大体、恋愛って言う基準がよく解らない」
 あの時は最善の策だとは思ったが、今思えば恋愛経験乏しい自分が恋愛についてなんて、難しすぎる。自分の恋愛事情までは頭の中で考慮していなかった。
「どうすればいいんだろ」
 かといって、将臣や譲に聞くのは躊躇われた。というか、恥ずかしい。
 ともなれば、やはり自分で考えて書くしかないのだ。
「好き…は、こっちの世界でも使ってるし。愛してる、も使ってるか」
 普段からいっている人物がいることで、望美にもこちらの世界の言葉事情(恋愛の)というものには事欠かなかった。
 英語も混ざらないって言うのはすごく難しい。が、日本語だけって言うのは解り易すぎるかもしれない。実際、こっちの世界でも使ってるみたいだし。
「ときめきとかって、言わないんだよね、こっちって確か」
 つらつらと、思いついた言葉を書いていく。
「あとはドキドキするって言うのも、言わなかったよね? カタカナだし。えーっと…」
 つらつらつらつら……。
 とにかく思いついたものからどんどん書き記していった。何度も迷ってようやく10個書き終える。
「出来た、と」
 苦労の末に書き終えた紙を見て、望美も満足げに頷いた。
「ま、こんなものかな?」
 中にはちょっと反則なものも混じっているが、日本語に完全に浸透してしまっている英語などはやはり除外できなかった。
「ヒントも出すし、大丈夫だよね」
 せっかく興味示してくれたのだから、恥ずかしがってる場合じゃない。
 望美は立ち上がると墨が乾いていることを確認してからその紙を小さく折りたたんでしまった。



 広間に行くと、そこには数人が揃っていて、各々寛いでいた。
「あ、先輩! 夕飯いらないって、どこか具合が悪いんですか?」
 いち早く望美の姿を見つけた譲が心配そうに声をかける。
「ううん、違うの。ごめんね、ただやらなきゃならないことがあっただけだから」
「やらなきゃならないこと? なんです?」
「うん、ちょっとね。ところで、弁慶さん見なかった?」
「あいつならさっき裏庭のほうに出てくのを見たけど」
 背後から気配なく現れたヒノエは、微笑しながら譲の言葉を引き継いだ。
「そっか、ありがとうヒノエくん」
「で、姫君。これは何だい?」
 ぴらっと見せたヒノエの手には、何故か自分が書いた紙が。
「え、うそ! 何で!いつの間に!」
 ぱたぱたと自分の服を調べるが、確かに見つからない。いつの間に落としたのか。
「ヒノエくん、お願いだから返して」
「もちろん返すさ」
 と、ヒノエは望美に紙を返す。だが、一度膨らんでしまった好奇心を抑えることは、いくらヒノエでもできないことだった。
「それは何が書いてあるんだ?」
 やはりこちらの世界の人にはわからない言葉を選んだだけあって、ヒノエには読めなかったようだ。と、ホッとする反面、どのように説明すればよいのか解らずに、望美は顔を引きつらせた。
「えっと、これはその……」
 望美がしどろもどろにしていると、今度は別の角度から将臣が望美の手から紙を奪った。
「まさか、ラブレターか?」
「違うよ! ていうか、将臣くん、それ返して!」
 が、望美の抵抗虚しく、将臣の手によって無常にも紙は開かれてしまった。
「なんだこりゃ。ラブレターっちゃラブレターだが……どっちかってーと、暗号?」
 紙を見た将臣の眉間に皺が寄る。
 いつもならここで味方してくれる譲も、ラブレターと聞いた途端将臣の脇から一緒になって紙を覗き込んでいた。
 将臣と譲だけには見られたくなかった望美は、深く溜息をついた。
「もしかして、俺たちの世界の言葉でしょうか」
「………………」
「そうですよ。僕が頼んだんです」
 困り果てた望美がだんまりを決め込んでいると、廊下の奥から声と共に本来この紙を見せるべき相手が現れた。
「彼女にテスト、というものをしてもらうためにね」
 にっこりと笑いかけられて、望美もどもりながら返事をした。
「は、はい! そうです」
「それじゃあ望美さん、行きましょうか。あまり見物人の多いテストというものも、居心地が悪いですし」
「そうですね」
 弁慶の意図が解った望美は、その紙を将臣からいささか乱暴に取り上げると、歩き出した弁慶の後に、ついていった。
「あいつら、なんか怪しくねぇ?」
「兄さん、変なこと考えるなよ」
「でも、確かに将臣の言うとおりだぜ」
 三人の視線が注がれるなか、望美は肩越しに振り返ると将臣に対してベッと舌を出した。
 視線がついてきたら怒ると訴えている。
「マジな目だな」
「それはそうだろ。兄さん、覗き見なんてしたら今度こそ本当に怒られると思うよ」
「怒った顔ってのも魅力的だけどさ、機嫌損ねるのはやっぱマズいだろ」
「……ま、しゃーねぇか」
 ヒノエにまでたしなめられた将臣は、頭をかくとそれっきり何も言わなくなった。


 



  20051117  七夜月

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