信頼と不安の狭間で4




 次の日も、次の日も、ずっと待ってたけど、ヒノエくんは帰ってこなくて、ヒノエくんと離れて、一週間が経ってしまった。
 門前で掃除をしながらヒノエくんの帰りを待ってた私の元に、一週間ぶりに九郎さんがやってきた。
「その、久しぶりだな。少し用事があってな。どうだ、調子のほうは。弁慶から元気が無いと聞いていたんだが」
「大丈夫ですよ、心配かけてすみません」
 あぁ、そうだ。この間のことも謝らなくちゃ。
「それと、あの時はごめんなさい。九郎さんのこと一人置いてきぼりにしちゃって……あれから、大丈夫でしたか? 見つかったりとかしてませんか?」
 実はこの一週間それをずっと考えていた。もしかしたら、九郎さんがヒノエくんに見つかって、私の元にヒノエくんが帰りにくくなってるんじゃないかと、そんな風に考えていた。
「あぁ、それについては問題ない。ただ、少し……お前にとっては余計なことかもしれないんだが、翌日にヒノエに会ってきた」
「会ったんですか? ヒノエくんに?」
 何を話したんだろう。すごく気になった。
 そんな表情が顔に出ていたのだろう。九郎さんは困ったように顔を掻いている。
「あーその、まぁ、なんだ」
 いつもははっきりと言いたいことを喋る九郎さんがこんなにもどもるなんて、珍しい。よほど私には言いにくいことなのだろうか。
「あまり他人事に首を突っ込むのは良くない事だな」
「? はぁ……?」
 何を言いたいのかさっぱり解らずに、私は九郎さんの言葉を待とうとした。
「あ……」
 けれども、九郎さんの背後に現れたヒノエ君に、私は驚きで言葉を失ってしまった。
「ヒノエくん……?」
「ただいま、姫君。遅くなって悪かったね」
 悪かったといってるわりに、ヒノエくんの表情は硬い。いつもの笑顔では無いことに少し意表をつかれた私も、思わずぎこちない喋り方になってしまった。
「お、かえりなさい……あのね、ヒノエくん。私 ヒノエくんに話があるんだ」
 とにかく、これでようやく話が出来るんだ。
 決意が揺るいでしまわないうちにと、私はヒノエくんに切り出した。
「丁度よかった。俺もお前に話がある。悪いけど、部外者は席を外してもらうぜ」
 やはりどこか堅い調子のまま頷くヒノエくんだった。
 一体、どうしたというのだろう。同じ言葉でも、いつもと言い方が違う。こんな風に刺々しく相手を突き放すように言うなんて、どこか変だ。
「ちょっと、ヒノエくん…そんな言い方しなくても。ごめんなさい、九郎さん」
「いや、いいんだ……それじゃ俺は失礼する。またな」
 ギクシャクした面持ちで去っていった九郎さん。
 せめて不快に思っていませんようにと祈りながら、私もその背中に向けて挨拶を投げかけた。
「はい、また遊びに来てくださいね」
 手を振って見送っていたら、途端にその手を掴まれて、邸の中へと連れて行かれた。
「痛いよ、ヒノエくん! 待って、お願いだから離して」
「嫌だね」
 強い力で握られた手首が痛くて、必死に懇願するもヒノエくんは離してはくれない。
 結局そのまま邸の中を歩き続けて、解放されたのは、私の部屋に入ってからだった。
「ねぇ、どうかしたの? どうしてこんなこと……」
 手首には軽くだがヒノエ君に握られた痕がついていた。そこをさすりながらヒノエ君を見上げれば、怒っているようだった。
「ヒノエく……?」
「一週間前の夜、一体誰と一緒にいたんだい?」
「何言ってるの? 一週間前って、ヒノエくんが発った日でしょ? 誰とも一緒なんかじゃなかったよ」
 突然の質問に、私は困惑しながら答えた。
「嘘だね、九郎と一緒だったろ」
「それは、少しの間だけだよ。眠れない私に九郎さんが付き合ってくれて、一緒に散歩してただけ」
「どうかな?」
 肩を竦めたヒノエくんの顔はいつもみたいな飄々とした感じじゃなくて、もっと刺々しくて怖かった。
「本当にそう? さっきだって九郎を庇ってただろ」
「何をバカなこと……!」
 ようやく、ヒノエくんの態度の意味が解った。
 疑われてるんだ、私。
 それじゃあ私が何を言っても、ヒノエくんは聞く耳を持たない。
 私と同じように。
 それに、私に対して親切で付き合ってくれた九郎さんにそんな風に言われるのは心外だったし、許せなかった。
「ヒノエくんは私が信じられないの?」
 私の言葉を一向に聴いてくれないヒノエくんの姿を見れば、問うまでも無いこと。
 だけど、一縷の望みをかけて聞いたのに、ヒノエくんにはそれすら届かないようだ。
「信じたいよ、姫君の言葉。だけど、やましいことがないなら何で一緒に居たことを隠したりするんだよ」
 厳しい顔。こんなに厳しい顔は本当に久々に見た。熊野の棟梁としての顔は見ていたけど、それが私に向けられることなんて滅多になかった。皆無といってもいい。
 こんな顔をするなんて、ショックだった。やっぱり、私がヒノエくんを信じられないように、ヒノエくんも私を信じられないってことが如実に語られていたから。
「隠したりなんかしてない! 本当にそれだけのことだったから、別に言うほどのことでもないって、そう思ってただけだもの!」
 ムキになってはだめだって解っていはいたけど、それでも言わずには居られなかった。
「私のことを信じられなくても、仲間のことは信じられるでしょう? 九郎さんだって、解ってたじゃない! 行く前の言葉はヒノエくんも聞いたよね? 私と親密な関係になるなんて有り得ないよ!」
「言い切れるのかい? 九郎が本当にお前に対して、仲間以上の気持ちを持たないってさ」
 ダメだ、話を聞く気が無いヒノエくんには今は何を言っても無駄なんだ。
 本格的に、頭にきた。
 自分のことを棚にあげて、仲間をそんな風にしか見れないヒノエくんに、私は怒りと悲しみが芽生える。
「……だったら、私もヒノエくんに聞くよ。一週間前の夜に森で抱き合ってた女性は誰?」
「森で抱き合ってた女性?」
 覚えがないと言いたげなヒノエくん。その顔は意表をつかれた様にずいぶんと間抜けなものだった。
「私、見たんだ。ヒノエくんがその人とこっそり逢ってたのを。ねぇ、私に言えないような人なの?」
 私が言ってることにようやく思い立ったのか、ヒノエくんが微妙に言いにくそうな顔して口を開いた。
「あれは別にそんなんじゃねえよ。お前が心配するようなことは……」
「だったら何で言えないの? 何でもないなら言えばいいじゃない、なのに言えないってことは、そう勘違いされたって文句言えないよ!」
「おい、望美……!」
 立ち上がった私の腕を掴んだヒノエくん、でも私はその手を振り払った。
 今はもう、冷静に話し合うことなんて出来なかったから。
「こんな状態のまま、結婚なんて出来ない!」
「それで、俺とじゃなくて九郎とでも結婚するか?」
 溜まっていたものがきっと溢れてしまったんだと思う。
 気付けば私は涙をこぼしながらヒノエくんを引っ叩いていた。
「最低っ! それしか……そんな風にしか考えられないの!? もう、いいよ。婚約は無かったことにする……私、元の世界に帰るから! ヒノエくんのバカ!!」
 今はヒノエくんの顔を見たくなかった。無我夢中で駆け出して、どこに行くかもわからずにただ邸を飛び出した。
「おっと……望美さん?」
 その際、門のところで弁慶さんとすれ違ったものの、今は泣いている顔を見られたくなくて私は答えることも出来ずに、そのまま脇をすり抜けていった。


 一人になりたかった。ゆっくりと考えられる場所に行きたかった。
 走り続けて、森の中に入る。とにかく走って走って……気付けば私は小さな湖に来ていた。以前、ヒノエくんに教えてもらった場所。森の奥だから、熊野の人でも知ってる人は少ないとそういっていた。
 人に見つからないのにはちょうど良いかもしれない。
 私はその場に座り込むと足を抱えて身体を丸め込んだ。空を見れば、夕日が山の間に落ちているところだった。あと30分もすればきっと、ここも完全に闇に包まれるだろう。
 ほとぼりが冷めるまでは帰れない。せめて、もう少し冷静になれるまではここで湖を見つめていよう。
 考えなければならないことはたくさんあるのだから。
 止まらぬ涙に身を任せて、誰も居ないことをいいことに子供みたいに泣きじゃくった。
 泣いてしまえば、いずれ涙は枯れ泣きつかれるはずだ。
 そうすれば冷静になれるはずだから。








    20051104  七夜月

遙かなる時空の中で TOP