遠い日の物語



 蝉が鳴く。
 そして生き生きとした草花がまるで丈比べをするかのようにまっすぐに空に向かって伸びている。
 広い草原のど真ん中で、赤髪の少年がそよ風を受けながら仰向けに横たわっていた。
 ジーッと空を見つめる瞳は悪戯を思いついた子供そのままだ。
 楽しげに、けれども生き生きと輝いている。
「よし、きめた!」
 勢いよく足を振り上げると、それをバネにして彼は起き上がった。
「きょうはあそこだ!」
 嬉しそうに駆け出す、雲が流れていく方向とは、反対側に。

 少年の名は、湛増。今年で7歳になったばかりだ。
 熊野別当の一人息子で、最近は自我が著しく成長してきた血気盛んな男の子である。
 彼の最近の日課は、熊野内の見回りだ。
 いずれ自分が背負うこの場所を自分のこの手で守るため、彼は毎日欠かさずに熊野を渡り歩いている。
「おや、若坊。今日も見回りかい?」
 町中を歩けば声をかけられ、彼は得意そうに鼻を擦った。
「ああ! 今日は湊の方を見回るんだ!」
「そりゃ助かるねぇ〜! 若坊が見てくれるんなら、熊野も安泰だ!」
「へへっ!」
「あらあら、若様! 今日も散歩ですか?」
 くすくすと若い女性に声をかけられても、言葉に聞き捨てならない響きがあって少年は拳を握って怒った。
「ちっげーよ! オレがしてんのは散歩じゃなくて見回り!」
「はいはい、そうでしたね。そういえば、さっきむこうの湊で綺麗な子を見かけましたよ。見かけない子だったから、熊野は初めてかもしれません。若様が案内してあげたらどうです?」
「綺麗な子?」
 ぱぁっと、少年の瞳が輝く。
「えぇ、若様と同じくらいの歳に見えたんですけど。若様のところのお客様じゃないんですか?」
「オレは聞いてねーぞ!」
 しかし、綺麗な子と聞いて少年が黙っていられるはずは無い。
「いってくる!」
 脱兎の如くとても速いスピードで駆け出した少年の背中に、女性は聞こえぬように一言付け加えた。
「ふふっ、誰も女の子だとは、言ってないんですけどね」
 無論、当たり前ながら少年の耳に届くはずもなく、少年自身の背中はもはや遥か前方で見えなくなっていた。



 少年が言われたとおりに湊へやってくると、湊の波打ち際でオロオロとしている綺麗な着物を着た子供がいた。確かに、綺麗な顔立ちと洋服からして、貴族階級であることに間違いない。
 見たところ、何かに困っているようだ。ここはオレの出番だ!と言いたげに少年はその子に声をかけた。
「おい、おまえ!こんなところでなにして……」
「あっ……」
 ぐいっと腕を引っ張ると、その子は顔を歪めながら振り向いた。
「なに怯えてんだよ。べつにとって食ったりしねーよ」
「す、すまない……」
 女なのに変な喋り方だなー。
 と、少々頭を捻った少年だったが、ま、いっかと自慢げに胸を反らして自己紹介をした。
「オレはヒノエ! おまえは?」
 最近では本名よりも自分で考えた名前を名乗るのが、彼の中でのたしなみとなっている。
「あ、あの…わたしは……」
「おい、みんないたぞー! あそこだ!」
 そこにいた子の話を遮り、ヒノエたちとは反対方面からわらわらと子供が集まってきた。
「おい、おまえ! ここに何の用だ! 俺たちのなわばりで遊びたいならなんかもってこいよ! そうしたら仲間に入れてやる!」
 リーダー格と見える少年がずいっと前に出ると、ヒノエのそばでしゃがんでいた子供の胸倉をつかんだ。
「おい、なにすんだよ、 弱いものイジメするなんて、サイテーだな!」
「うるさいっ! おまえこそいきなりやってきて、俺たちの陣地に入ってきて威張るなよ!」
 掴みかかったヒノエをいとも簡単に振りほどいて、リーダー格の少年はその子供を投げ飛ばした。
「げほげほ……!」
 浜辺と言うこともあって、砂の上に倒れこんだ子供はむせて咳を繰り返し、それを見たヒノエの頭にカッと血が上る。
「おまえらっ……!」
 立ち上がったヒノエは、少年よりも素早い動きで走り出し、少年に砂を投げつけた。すると、運悪く少年の目に砂が入ってしまい、彼は悲鳴に似た雄叫びを上げる。
「うわぁあ! ちくしょー! 覚えてろよ!」
 子分たちを引き連れて、来たときと同じようにわらわらと一目散に逃げていく少年たち。
「はっ! 二度とくんなー!!」
 その少年たちの背に言葉を投げつけてから、ヒノエは砂のついた手を払い、子供に差し伸べた。
「立てるか? どこかケガしてないか?」
「だ、だいじょうぶだ……その、すまない」
 どこか落ち込んだように、その子供はヒノエから視線を離した。ヒノエはそんな様子に微塵も気付くことはなく、ふむっと小さく頷くと手を打った。
「いいって、べつに。……それにしても、おまえ本当にきれいだな。よし、決めた! おまえオレの女になれよ!」
「は?」
「父上がいってた! 『いい女を見かけたら、まず口説け』って! おまえ、いい女だからくどいてやるよ!」
「…………」
 何故か深刻な顔をして黙り込んでしまった子供に、ヒノエは少し不機嫌になる。
「いやなのか?」
「もうしわけないが、その役はわたしではつとまらない」
「なんでだよ」
「わたしは男だ。名は平敦盛という、武士の家のりっぱな息子だ」
「…………」
 今度はヒノエが黙り込む番だった。
「だましたつもりはなかったのだが、かんちがいさせたならすまなかった」
 確かによくよく見れば、その服装は男物に見える。が、顔しか見ていなかったヒノエがそれに気付かなかったのは一生の不覚であり汚点だ。
 たった今彼は、男に告白をしてしまったのだから。
 しかし、かといって敦盛が謝るのもおかしいが。
「……〜〜! まぎらわしい顔すんな!」
「す、すまない……」
 完全な八つ当たりだった。
 敦盛自身だって望んでこの顔で生まれたわけではないのだが、ヒノエの気迫につい反射的に謝っていた。気が弱い者の宿命である。
「ちぇ、なんだよ。女だと思ったから 助けてやったのに」
 ぶつぶつと文句を言っていても始まらない。今の出来事はなかったことにして、とりあえずヒノエは立ち直った。
「おまえ、どっからきたんだよ。だれかと いっしょだったのか?」
「京からずっと、兄上がいっしょだった。けれどもどこかではぐれてしまったようで……」
「ふーん、しょうがねぇな。じゃあ いっしょに探してやるよ」
「いいのか? ……すまない」
「おまえさー」
 呆れて溜息をついたヒノエは、敦盛の頭をぐりぐりと押さえつけた。
「いたっ…なんだ?」
「すまないしかいえないのかよ? ありがとうとか、うれしい、とかそういうことは なにも言えないのか? まさか言葉知らないわけじゃないだろ」
「あり、がとう…?」
「ああ。ふつうここは、『手伝ってくれてありがとう』だろ」
「……そうか。……その、ありが…とう…手伝ってくれて、うれしい」
「そうそう、そうやって素直になりゃいいんだ」
 大きくうんうん頷いて、ヒノエは立ち上がった。
「それじゃ、いくか。おまえの兄ちゃん探しに!」
 勢いよく手を伸ばし、ヒノエは空を見上げて宣言した。



「あーつーもーりー! あそぼーぜー!」
 垣根を登りながら、必死に名を呼ぶその声に、敦盛はハッとして兄上である経正を見た。
「また例の友達が来たみたいだね。行っておいで、今日はこの辺にしておこう」
 敦盛はまだ笛を習ったばかりだ。だから簡単なものしかふけぬが、一足先に琵琶を習っていた経正と宴の席で共に奏でるため、彼は今一生懸命笛の練習をしているところだった。
「あーつーもりー! いないのかー?」
「ほらほら、急がないと帰ってしまうかもしれない。ここは、私が片付けておくよ。だから少し遊んでくるといい。今日は天気も良いし、体調もいいんだろう?」
「はい、兄上」
 病気がちな敦盛は、あまり外に出ていなかった。だからこそ友達もいなかったし、遊びのお誘いが嬉しくて微笑んで、敦盛はわたわたと片づけを始めた。
 ひょいっと垣根の上から姿を現したヒノエは、そこに敦盛の姿を見つけて駆け寄ってくる。
「いたなら返事くらいしろよな」
「す、すまない……」
「それじゃ、今日は『那智の滝』にいくぞ! 夏はあそこは涼しくて風が気持ちいいんだ」
「わかった。では兄上、行って参ります」
「二人とも、気をつけるんだよ」
 経正に見送られ、二人は意気揚々と見回りという名の冒険に出かけた。
「ヒノエ殿は熊野についてずいぶん詳しいんだな」
「べつに『殿』はいらねーよ。友達なんだし」
「しかし……」
「なぁ、敦盛って何歳?」
「今年で8つになった。ヒノエ殿は?」
「なんだ、ぜんぜんみえねぇけど、おまえのが上じゃん。それに友達に遠慮はいらないって父上がいってたぜ」
「そ、そうか……」
 全然見えない発言と、確かにヒノエを同年代か年上であると思っていた敦盛は静かに傷ついて静かに落ち込んだ。せめて年上であることを自分が忘れないように、”殿” は抜かして呼ぼうと決意する敦盛だった。
「それにしても、今日は急にどうしたのだ? 私は大丈夫だが、ヒノエの家は……」
「ああ、今すっげー会いたくないやなやつがきてっから。ぬけだしてきた」
「やなやつ?」
「そう、いつでも笑っててなに考えてんのかわかんねぇクセに、いつもオレをいじめるんだ」
 ヒノエはむぅっとほっぺたを膨らませて、子供っぽい仕草をみせる。いつでもしっかりしていたヒノエがこんな風なところを見せるのには、敦盛は安心した。
「ふぅん。ヒノエもいじめられるのだな」
「あいつオレよりずーっと年上なんだ。オレの叔父だから」
「そうなのか? 叔父上なのに? 私の叔父上は厳しいが私をからかったりはしない。いつも凛としているお方だ」
「へーそれはそれで怒られそうで大変だけど、おまえの叔父さんがうらやましいぜ」
 ぷぅっと少しだけ顔を膨らませて、ヒノエは那智の滝の河原へとやってきた。
「すごい音だ……」
 耳を劈くようなものすごい音に、敦盛は尻込みした。少しだけ、音の大きさに怯んでしまう。
「すごいのはそれだけじゃないぜ。見ろよ」
 ヒノエが指した先には首が真後ろになるほど高い場所から水が流れている大きな滝と、その下にある滝つぼだった。
「オレ、いいところ知ってるんだ。ホントはオレだけのヒミツだけど、特別におまえにも教えてやる」
 手を引かれてそのまま敦盛はヒノエに連れられる。二人は那智の滝を越え、更に森の奥深くへと入っていった。
 二人が足を止めたのはそれから更に山の山頂部へ登ったときだった。子供が入れる程度の小さな天然の洞穴に、ヒノエは中へと足を踏み入れる。
 憶測ではあるが、きっと熊が冬眠する際に作った洞穴だろうと、ヒノエは思っていた。大人が入るにはいささか狭い。子供である自分たちだからこそ、こうして広々と使えるのだ。
「すごい……ここはずいぶん冷えているのだな」
 ひんやりとした中は外との気温がだいぶ違う。気持ちがいいほどに火照った体温が冷めていく。
「なっ? けっこういいところだろ」
 ごろんと床に転がったヒノエは大きく伸びをするとそのまま目を閉じた。
「こんないいところ、毎日見回りしないかぎり、見つかんねーよ」
「確かに……ヒノエのお陰だな。私は暑いのは苦手だから、涼しいと嬉しい」
「あはは、見た目からしてひ弱そうだもんなー。なぁ、おまえもこっちこいよ」
 ヒノエに隣の地面をポンポンと叩かれた敦盛は、ヒノエの隣に座ってごろんと横になった。背丈も同じくらいの二人が並んでいると、まるで兄弟のようである。
「わたしはこんな遠くまで来たのは初めてだ」
「オレはしょっちゅうだぜ」
「ヒノエはすごいな」
 羨ましげに敦盛はヒノエを見る。ヒノエはヒノエでそんな敦盛の視線に耐え切れずに結局視線を外してしまった。
「べつにっ!すごかねぇよ。オレはオレにしかできないこと、やらなきゃならないだけだ」
「別当殿の息子であるから、か」
「そうだ」
 別当という地位の重さに、ヒノエは最近気づいてきていた。誰よりも熊野を思い、誰よりも熊野を愛さなければならないというものは、やろうとしてできるものじゃない。本当に熊野を好きじゃなきゃ、出来ないのだ。
「だから、オレはやるんだ。だれよりも熊野を好きになって、だれよりも守れるように」
「ヒノエなら出来る。わたしはそう思う」
「へへっ、そっか。ありがとな」
 鼻をかいて照れた。ヒノエはあまりのひんやりした空気に気持ちよくなりうとうとしてきた。敦盛も歩きっぱなしだったせいか、疲れがたまりヒノエと同じようにうとうととしている。
 二人はちょっと一休みするつもりでそのまま眠り始めてしまい、すーっと深い睡眠に落ちていった。


 



   20060411  七夜月

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