バレンタイン ……大体、男の子ってこんな甘ったるいもの貰って嬉しいものなの? ただの黒い塊で…いや、ちょっとは茶色いかもだけど、とにかくそんな塊を口の中に入れる行為を推奨する現在のこの日本はおかしいと思う。菓子商売の戦法に乗ってみんな揃って黒い塊をプレゼントしあうなんてもはや国家主体の宗教と言っても過言じゃ無い。ああ、いやだ。おぞましい。そんな国家主体の宗教なんぞにわたしは惑わされたりしないんだから。そうそう、人間信仰は自由だし、何よりオリジナリティを持っていかないといけないよね。今の時代、教育だってゆとり教育なのは個性を育てるためだって言ってたし、大事なのはたとえ形がどんなことになろうとも堂々と胸を張っているくらいの度胸をつけることで……。 「で、望美? 今回のチョコの致死量は? どれくらいなら食えるわけ?」 「将臣くんのばかぁああ!」 わたしは将臣くんの顔に今まさに出来上がったチョコレートを押し付けたい衝動に駆られたけど、材料が勿体無いのでやめた。代わりに思いっきり足を踏んでやる。 ちなみに、チョコレートもどきは真っ黒い塊となって、皿の上に鎮座している。それを見た将臣くんの第一声は「……化石?」だった。聴いた瞬間にとび蹴りを喰らわせたのは言うまでも無い。 「なんで譲と同じものを作ってそうなるんだ? お前料理は出来るのにな」 「料理とお菓子は根本的に違うんですー。料理できるからってお菓子できると思うなよ!」 「逆ギレすんな」 「分量をきちんと量らないからですよ……先輩の料理はおばさんのを見てきたから感覚で出来ちゃうんでしょうけど」 隣で同じくエプロンをつけてわたしを指導してくれていた譲くんは、これ以上は出ないだろうと言わんばかりの特大溜息をくださった。 「だってお母さん、料理本見て料理作ってなかったし。全部適当だったんだもん」 これは本当。たぶん、料理本を見る必要性が無かったって言うのが正しいんだろうけど。お母さんはいつもしょうゆだって二分の一カップのところをお玉で適当に分量はかって入れてたんだよ。でも普通においしいから謎なんだけど。 「適当ってことはないでしょうけど……まぁ、慣れてくると感覚がモノを言うのが料理ですよね。でも、お菓子はそういうわけにはいきませんよ。分量をちゃんと量れば本通りに出来るはずなんです」 毎年この時期は憂鬱にしかならないけれど、今年は特に憂鬱だ。あげる相手が居るというのは本当にやっかい。 「ねぇ、やっぱりコンビニとかで買った奴を彼女から貰ったら落ち込む?」 「そりゃまぁ、な。手作りとどっちがいいかって言われたらやっぱり手作りのが嬉しいさ」 「先輩の手料理を食べたことあるなら、尚更期待してるでしょうしね」 ぐさぐさ突き刺さる言葉の数々。わかってるよ。まさか、料理できてもお菓子作れないなんていえないじゃない! 大体、お菓子なんて作る回数料理よりも少ないんだから当然でしょう! こんなときだけ持ち出してきて人の腕を試すだなんて卑怯そのものだと思うわ。 「あぁ〜明日までにどうにもなりませんかね、先生ぇ〜…!」 「先輩のやる気次第だとは思いますよ」 「無理無理、やる気はあっても空回ってるからな、こいつ」 「食べる専門の将臣くんは黙っててよ!」 「はぁ……とにかく、もう一度初めから。いいですね?」 「はぁ〜い」 譲くんからの手厳しい一言にわたしは素直に返事をしたものの、心でめそめそと涙を流した。 バレンタインなんて作った奴なんか大嫌いだ。 わたしは初めて、下駄箱の中に納まりきらないチョコレートの山というものを見た。なんなのこれ、雪崩が起きている。 とりあえず開けてしまった下駄箱の扉を中から落ちたチョコレートを元に戻してから閉めた。 こっそり自分のを下駄箱に忍ばせておこうと思ったけど、失敗。というか、こんなにも入ってるって想像できたことは出来たんだけど、とにかくさり気なく渡すことしか頭になくこの未曾有の事態を考える余裕が無かったのかもしれない。 「モテることは知ってたけど…、ここまでとは」 こうなると、自分の下駄箱を開けるのが恐い。親衛隊の連中から凄まじい呪詛やら報復やらが起きていそうで、どうしよう。今までで一番困ったのは、上履きに画鋲の山でも粘着剤でもなく、油がゴテゴテ乗っているカレー煎餅を入れられていたときだ。下駄箱自体に臭いや油がついてしまって、臭いし油でべとべとで上履き履けないし、他の人にも迷惑をだいぶかけてしまった。 まぁ、あの一件で怒髪天を抜いたわたしが親衛隊代表者にタイマン勝負を挑んで勝ったから、妙なちょっかいは出されなくなったけど。 件のことについてはヒノエくんには何も言ってない。わざわざ言うことでもないし、こういうのは当人の問題だからわたしがじかにいってやらないと、絶対ナメてかかられると思ったのが一番の理由だけど。 とにかく、下駄箱がこれだけだと、次のロッカーもきっと状況的には変わらないだろう。元々、あんまり他人のロッカーを開けるのは気が進まないと思ってたけど、これなら実行する必要はなさそうだ。 「仕方ない、帰りにでも渡そうかな……」 一緒に帰る約束はしてないけど。きっと話すチャンスはあるよね。ダメならメールだ! そうしてわたしは、とりあえず現時点で彼に渡す方法をもう一度考え直すため、この場所を退却することに決めた。 ちなみに、わたしが作ったものは正直チョコレート? と語尾に疑問系がつくようなものであり、これをあげるということ自体心苦しいというのに、珍しく食い下がってきた譲くんと将臣くんの言葉に頷いて、コンビニで予備のチョコレートを買うことも出来なかった。 あの二人が何かしら考えているのは気付いたけど、そのことについては考えても解らないからもう考えないことにする。 そんなこんなで一日が過ぎ、あっという間に放課後になった。いつもより早く感じた。普通なら、遅く感じるはずなんだけど…なんでかな、一日過ごす上でみんなの綺麗な手作りョコを見て、申し訳なくてあげたくないって思ってたから? なんかそんな気がする。いい加減腹くくろうよ、わたし。 『ごめん、望美。今日一緒に帰れない。でも、姫君さえ良ければ、今日俺の家に来ないか?』 そう連絡を貰ったのは、さっき。休み時間中ずっと探してたのにヒノエくんは見つからなくて、わたしは帰り間際にメールをした。だけど、返事はノー。またまたこれも想定外。それは確かに、呼び出しの回数は他の日よりも増えるだろうけど……彼女居るんだから、ちょっとは遠慮してくれればいいのに。 それぞれの想いを否定はしないけどね。彼女の権限とかそんなの振りかざすつもりも無いから、心に留めておくだけ。それなりの嫉妬なんてこともしてはいるけど、表には出さない。出せばその分、報復がエスカレートするし、何よりそんな醜い自分をヒノエくんに見せるつもりは無いから。 ま、いいか。予定は狂ったけど、とりあえず今日渡せるチャンスは貰ったんだし。 『あんまり遅くならなければ平気。そのまま行っちゃうつもりだから、適当に時間つぶしてからエントランスで待ってる。学校でたら連絡ください』 よし、送信っと。メールを送ってからわたしは折りたたみ式の携帯をたたんだ。こういう行事のときは、少しだけ不安になってしまう。彼の理想の彼女からはかけ離れていたはずの自分なのに、好きになってくれたからこそ頑張ろうと思うけど、将臣くんの言う通り、わたしの努力は全部空まわり。 もしも他に良い女性が現れたら、なびいたりしないかな? ないとは思うけど、可能性を否定できない辺り、自分を信じられていない証拠だ。元は彼の事を嫌いだったくらいだしね。 でも、今は彼女だし。彼女だし!って、心の中で強調してみても、しょうがないんだけど。 ヒノエくんにメールで伝えたとおり、わたしは駅前でぶらぶらとぶらついた。そのときに、やっぱり活気づいている街中はバレンタイン一色で、その中にチョコ売りのワゴン車を一台見つけた。 吸い寄せられるようにワゴンへと向かうと、思わず自分で欲しくなってしまう様なそんなモノばかりで、頬が緩む。 いいなぁ、こんな風に可愛いラッピング出来れば良かった。 わたしが包装したチョコレートは、透明な袋にただチョコレートをつめてリボンをかけただけ。 味気ないったらない。 唸りながら、やっぱり綺麗なチョコレートを買っていこうと思っていたら、とんとんと肩を叩かれた。 「こんにちは…前に一度、会いましたよね?」 新手のナンパ、な訳が無く。わたしは記憶を手繰り寄せて、ようやく合点がいった。 「ああ、えっと、確かヒノエくんの叔父さん…ですよね?」 「はい、やっぱりエントランスで会ったのは君でしたか。良かった、人違いでなくて」 こんな美形で若いヒトを叔父さんと呼んでいいものか、いささか疑問ではあったけどそう呼ぶ以外にはわからない。 そうやって胸を撫で下ろした人は、優しい微笑みをわたしに向ける。少しだけ、面影がヒノエくんに似ていた。 やっぱり血が繋がっているんだなぁ。だけど、どうしてこんなところにいるんだろう。 「あの、今日はどうしてここに? ヒノエくんと約束があるんですか?」 「いいえ、違いますよ。ちょっとした頼まれごとをされたんです。だから約束していたわけではないんですけど、ヒノエに会いにきました。ヒノエは一緒じゃないんですか?」 頼まれごとって何だろう。そうして改めて叔父さんを観察してみると、そんなに大きくはないが紙袋を提げていた。 これを渡すつもりなのかな? 考えていたら、叔父さんはきょとんとした様子でわたしを見ていた。 しまった、ヒノエくんと一緒じゃないかどうか、聞かれてたんだった。 「あ、はい。今日は用事があるから、後で家で会う約束を。時間つぶしで今はふらふらしていたんです」 「そうですか、では少しお付き合い頂けませんか? よければご馳走します。ヒノエの話も聞きたいですから」 そういえば、ヒノエくんと叔父さんの仲ってどうなんだろう。悪い人ではなさそうだし、話聞くくらいなら、いいよね。 「わかりました、わたしが知ってることなんてそんなにないですけど…それでよければ」 「はい、お願いします」 にこっとその人は笑った。わたしもつられて笑顔を浮かべて、その人の後について喫茶店へと向かった。 → 20070216 七夜月 |