バレンタイン



 お言葉に甘えて奢っていただくことにしたわたしは、ケーキを食べながら叔父さんの話を聞いていた。
 ヒノエくんの叔父さんはどうやら弁慶さんと言うらしい。名前についての不思議は保護者の方の趣味だろうし、とやかく言うつもりは無い。深く突っ込んではいけない気がする。
「では、ヒノエは元気でやっているんですね。なら、良かったです。昔から腕白な子ではありましたが、度々熱を出していたんですよ」
「熱を…? 身体が弱かったんですか?」
「家系の遺伝でしょうね。僕も弱かったんですが、ヒノエも例外ではなかった。確か、敦盛くんも同じ学校だったと思うんですが、彼もそうですよ」
「そうなんですか……」
 会長はなんとなく、あの儚げな雰囲気からわかる気がしたけど、ヒノエくんや目の前に座っている人もそうだなんて知らなかった。
「あの子は両親がいません。事故で亡くなってしまったから。以前は僕と共に暮らしていたんですけど、彼はある時自分の道を歩むために僕の元から出て行きました」
 感慨深いものでもあるのだろう。弁慶さんは少し遠い目をしてそのことを話してくれる。わたしは黙って話を聞いていた。
「僕はこれでも医者なんですよ。だから、ヒノエの体調には注意していたいのですが、彼はプライドだけは高いですから、全然弱みを見せないので、正直手を焼きました。けれど、ここのところ連絡もマメに取るようになって、僕も一安心しています。きっと、君のお陰なんでしょうね」
 それは違う、とわたしは首を振った。だってそうじゃない? わたしが何かしたわけじゃなくて、全部ヒノエくんの中で決着をつけたことだから。もう大丈夫だって思えたから、きっと彼は動きだせたんだと思う。
「彼は元々強い人ですから。わたしは何もしていないんですよ」
 そういうと、弁慶さんはクスッと笑った。
「やっぱり、貴方のお陰でもありますよ。そんな風にヒノエを信じていてくれているから。あの子も、信じてもらえることが力になっているんだと思います」
 信じているといえば、確かに信じているけれど。意識した途端に、少し恥ずかしくなってきた。
 照れて口を開いたり閉じたりしていたら、
 胸ポケットに入れていた携帯から、突然着信音が響いた。しまった、マナーモードにするのを忘れてた。
「すみません!」
 慌てて頭を下げると、弁慶さんは特に気分を害した様子は無く、どうぞと言いながら頼んだ紅茶を飲んでいた。
 もう一度頭を下げてから、携帯を開く。メールが来ていた。ヒノエくんからだ。
『ごめん、ようやく終った。今から学校出るよ』
 時計を見ると、時刻は午後の六時半。喫茶店の外はもう真っ暗だ。わたしもそれに対して短く慌てて返信する。
『わかった、わたしも今から行くから』
 送信して携帯を閉じると、弁慶さんがこちらを見ていた。
「ヒノエですか?」
 誰だかあてられて、思わず目を丸くする。なんでわかったんだろう。 
「君の顔を見ていたら、何となく…当たりみたいですね」
 クスクスと笑われてしまった。そんな変な顔をしたつもりはないんだけどなぁ。
「ええっと、それで、今から学校を出るみたいなんで、そろそろわたしもマンションに行こうと思うんですが、良かったら弁慶さんもどうですか? ヒノエくんに会いに来たんですよね」
「はい。そうですね、お言葉に甘えてご一緒させてください」
 立ち上がった弁慶さんはわたしがもたもたしている内に、伝票をさらりと持って会計へと進んでいく。そんな対応されたこと無くて、紳士な人みたいでやっぱりそういうところはヒノエくんに似ているんだなと思った。…年齢を考えたら逆かな?
 それから他愛無い話をして、またヒノエくんのマンション前まで戻ってきた。中のエントランスからインターホンを押してもヒノエくんは出てこない。きっとまだ帰ってきてないんだろうと判断して、再び他愛の無い話を続けた。
「ヒノエを驚かす方法? そうですねぇ、これも遺伝というのか、僕と一緒で寝起きがしっかりしているわけじゃないので、寝起きに何かするといいかもしれませんよ」
「そうなんですか? 今度試してみます!ありがとうございます!」
「下手すると抱きついてきたりするので、気をつけてくださいね」
「大丈夫です、そんなことになったら、遠慮なく愛の鉄槌をお見舞いしますから」
「ふふ、とても威勢が良いお嬢さんみたいですね。ヒノエのおイタが過ぎずに済みそうで、僕も一安心ですよ」
「随分他人(ヒト)のことをベラベラ喋ってくれるな、弁慶」
 今度寝起きか〜何をしようかな、と不当なことを考えていたわたしは、段々近付いてくるその声に、うわっと声を上げてしまった。もちろん、驚いたためであって、嫌とかそういうわけじゃない。…心を見透かされたようで、ドキッとしたけど。
 ヒノエくんは随分前から来ていたようだ。何でだろう。言ってくれればいいのに、声をかけないなんて珍しい。
「っていうか、何でここにいるんだよ」
「家から預かってきたものがあったので。今日はバレンタインですけど、彼女が体調を崩してしまったため僕が届けに来ました」
 彼女というのは弁慶さんの奥さんの事だろう。そうして弁慶さんが渡してきたのは、想像通り、小さな紙袋の事だった。
 だけど、ヒノエくんは一向に受け取らない。何してるんだろう?
「いや、せっかくなんだけど…持って帰って」
「え? ヒノエくん、何言ってるの?」
「言葉通りの意味。オレ、それ受け取らないから」
 せっかく届けてくれたものなのに、なんだって急にそんなことを。驚いてしまったわたしは、弁慶さんの顔とヒノエくんの顔を交互に見つめた。ヒノエくんはそういうのが当然という顔つきだし、弁慶さんは微笑んでいて、まったく気分を害したようには見えない。なんなのだろう、この二人。
「そうですか、チョコレートケーキで生ものなんですけどね、これ。彼女が作ったにしては絶品ですよ」
「何言われたって受け取らないっての」
「なんで? せっかく持ってきてくれたのに」
 わたしの言葉に弁慶さんはクスクス笑い声をあげる。その行動の意味がまったく解らなくて、余計にわたしは混乱した。
「全然気付いてないみたいですね。ヒノエは暗に、君からのモノ以外は受け取らないということを言っているんですよ」
「…………は?」
「弁慶、余計なこと言うな」
「まぁ、僕も受け取るのか半信半疑でしたからね。でも、実行するとは思いませんでした」
 睨み付けるヒノエくん、でも弁慶さんは涼しい顔をして受け流している。
 ちょっと考え込んで今の話を整理してみる。ヒノエくんが受け取らないのは、わたしがあげるもの以外は受け取らないって決めたから? それってやっぱり、わたしのことを考えてくれたから、かな。
「この子と帰れなかった用件というのも、チョコを貰った女の子に直接返していたからなんでしょう?」
「そうなの?」
 ヒノエくんに近付いて、表情の読めない彼の顔を覗きこむ。黙っていた彼は、それでも結局やれやれと溜息をついて困ったようにわたしを見た。
「バレたらしょうがないね。その通りだよ。ったく、弁慶の奴……」
「似たようなことをしましたからね、僕も」
 そうか、血筋だから考えることは一緒なんだ。って、そうじゃなくて! 嬉しいけど、なんか嬉しいんだけど、それをどうやって表現したらいいんだろう。それに、せっかく持って来てくれたのに、本当に受け取らないなんて勿体無い。
 そう考えていたら、弁慶さんがわたしのその紙袋を向けた。
「どうぞ、良ければ君が貰ってくれませんか? ヒノエに持って来たもので申し訳ないですけど。持って帰るとやっぱり奥さんは悲しみますからね」
 え? でも、本当に貰っていいのかな? ヒノエくんを見ると、飄々としている。
「欲しかったら貰いなよ。別にオレの事はいいからさ」
「あ、じゃあ…ありがたくいただきます」
 チョコレートケーキ、貰っちゃった。甘いもの大好きだから、嬉しい。たぶん、意識しないうちに頬が緩んでいたのは、バレてたと思う。
「それじゃあ、僕は帰ろうかな。今日はどうもありがとう。また来ますよ」
「え、あっ、こちらこそ色々とご馳走様でした!」
 途中の言葉はわたしに向けられたもの。わたしも慌てて会釈を返した。弁慶さんは静かに歩き去っていった。
「び、ビックリしたぁ。なんか凄いヒトだったねぇ〜…さすがヒノエくんの親戚だなぁ」
「そのさすがって、何を指してのさすが?」
「え、女性に対する態度とか……って、そうだ! ヒノエくんチョコ本当に返してきたの? ヒノエくんが?」
「なんか引っかかるけど……そうだよ」
「何か悪いもの食べたんじゃなくて?」
「姫君はオレがチョコレートを貰ってきたほうがよかった?」
 そんなわけ、勿論無いけど。フェミニストにはあるまじき行為では無いだろうか。
 結論を自分の中で導き出すと。
「大事にされているなぁとしみじみ思っただけですよ」
 ストレートな言葉、自分で言ってて照れてしまった。うわっ、今のは絶対恥ずかしい台詞だよ。
「それはもちろん、オレの大事な姫君ですから?」
 ヒノエくんは手の甲に軽く口付けながら片目を瞑って見上げてくる。公共の場でよくもそんな恥ずかしいことが出来るなぁ、もう。ああ、そっか、遊んでるんだ。こうやって反応見て、楽しんでるんだ。絶対遊ばれてるよね、わたし……。
 恋愛偏差値が低いわたしじゃ叶わないってのはわかってるけど、やっぱり少し、悔しい。


 



   20070216  七夜月

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