もしも、出会う前のずっと昔のあの人に、出逢えたのなら……


 邂逅 1



 はぁっと一つ、望美の口から溜息がこぼれた。
 オレンジ色に揺れる髪、広い背中、幾度も戦に向かうこの後姿を見てきた。
 何故だろう、気になって仕方が無いのに、私はその感情を認めたくない。
 だってそれに気付いてしまったら、今の関係じゃいられないような気がして。
 けれど、もう少しだけ傍に行きたい。追いつきたい。
 そんな風にも考えてしまう。
 はぁっと、再び望美の口から溜息が漏れた。
 そのとき突然、九郎が後ろを振り返った。
「どうした? 疲れたか?」
「え? いいえ。どうしてですか?」
 いきなりの仕草にどぎまぎして、望美は慌てて首を振った。
 確かに疲れてはいない、ただ少し考え事をしていただけだ。
「どうしてって……お前さっきから溜息しかついてないぞ」
「あぁ…ごめんなさい。ちょっと色々と考え事をしてて」
 望美のすぐ傍を歩いていた弁慶が、苦笑をしながら口を挟んだ。
「望美さんは何か九郎に言いたい事があるみたいですね。さっきから君の背中を見ては、溜息をついてますから」
「そうなのか?」
 そんなところまで見ていたなんてさすが弁慶、侮りがたし。恥ずかしくて、顔面から火を噴きそうになりながら、望美はすっとぼけてみる。
「え? そうでした?」
「僕にはそう見えました。違いましたか?」
 弁慶の言葉は聞いているくせに、拒否権を持たない。そんな風に思えて望美はゴホンと咳払いをした。とりあえず、今の質問については保留だ。
「…………九郎さんに限ったことでは無いんですけど、恋ってしたことありますか?」
 わざわざ不自然にならないように前置きをしてから、望美はそう尋ねる。逆に不自然のように聞こえてしまったとしたら、それは弁慶だけだろう。少なくとも、九郎さんは言葉の裏まで考えようとはしない人だから。
 これが弁慶に対する答えになればいいけれど。でも勘の良い彼のことだからきっとすぐにバレてしまうとは思う。
「あぁ……初恋、ですか」
 なんというか弁慶の最初の感嘆した声「あぁ」で、もう何もかもを悟られた気がする。
 この源氏の策士は本当に抜け目がない。
 言うんじゃなかったと、望美は小さく後悔した。
「僕なんかよりも、九郎は確か面白い話をもっていましたよね」
「え?」
「は?」
 見事に望美と九郎の声がかぶさる。
 弁慶は予想通りと言いたげに、九郎を見て嘆息した。
「君が昔していた話ですよ。僕と出会うよりもずっと前の、鞍馬で預けられていた時代に美しい女人と出逢ったという話を聞きましたよ」
「あぁ……その話か。だが、なぜそれが初恋という話になる」
「気付いてないんですか?」
 僕はてっきり、そうなんだと思ってましたけど。
 弁慶はそう呟くと、今度は本気で溜息をついた。
「何がだ」
「その話をする君、とても嬉しそうでしたよ。普通そんな顔して異性の話はしません」
「なっ!?」
 からかうように言った弁慶の言葉に、九郎の頬が微かに染まる。
「なっ……」
 それを見た望美の顔も微かに染まる。が、九郎のそれとは違い、望美は照れているわけではない。
「何を馬鹿なことを言っている…! あの人はそんなんじゃない…!大体、あの人は俺にとって、もう一人の先生みたいなもので……!」
「はいはい、何度も聞きましたよ。美しい太刀筋で見惚れたんでしたよね、その先生に。で、惚れこんで剣を教えてくれと頼んだんですよね」
「ばっ……!」
 今度は微かじゃなく、見て取れるように顔を赤くした九郎に、望美はどんっと、背中を叩いた。
「お、おい! いきなり何を」
 わけもわからず叩かれた九郎は振り返り、望美を見て恐怖に閉口した。
 どす黒いオーラがよく見てとれる。
「いえ、九郎さんの背中に葉っぱがついていたので」
 にっこりと、笑顔でそう告げて、その葉をぐしゃりと握りつぶした望美はやはり怖かった。
「ふふっ、九郎さんはその先生だけじゃなく、葉っぱにも好かれるんですね。随分もてるみたいで、羨ましいな」
「は?」
 いつも以上の笑顔と笑い声がものすごく怖い。弁慶に少しばかり似ているのがとてつもなく気になる。
「ちょっと頭冷やしてきます。すぐ戻りますから、一人にしてください」
「おい、望美!?」
 すたすたすたと返答も待たずに立ち去った望美の背中から放たれるオーラは、有無を言わせぬものがある。
「何だというんだ」
「……煽った僕が言うのもなんですけど、君は少し鈍すぎですね」
 弁慶が言う意味を理解できず、九郎はもやもやした内なる思いに首を捻った。

 茂みを掻き分けながらひたすら歩き続ける望美。考えを整理するためには、まず自分を抑えなくてはならない。
 九郎は別に初恋をしてたっておかしくない年だ。
 それどころか、結婚してたって間違いじゃない。
 なのに、見たこともない人に対して嫉妬するなんて馬鹿げてる。
「何やってるのかな、私は……」
 一人になって数分後、望美は早速自己嫌悪に陥っていた。
 九郎は一切悪くない。なのにそんな話をもうこれ以上聞きたくなくて、強制手段をとってしまった。しかも、ものすごく嫌味っぽく。
 けれど、確かに弁慶の言うとおり、その人の話をしたときの九郎の瞳は一瞬だけ輝いていて。
 それを見たらもう、何が何だかわからなくなって気付いたら葉っぱごと叩いていた。……殴っていたといった方が正しい気がするが。
「……これ以上考えるのはやめよう」
 望美は小さく首を振る。すると、どこかで微かにちりんと鈴が鳴った。
「え?」
 聞き間違いじゃなければ今のは鈴の音だ。耳を澄まし、神経を尖らせると、ふと殺気に似たものを背後に感じた。
 直後にがさがさと木の葉の揺れる音がして、落ち武者の怨霊が望美の目の前に姿を現した。
「はぐれ怨霊!?」
 反射的に腰にある剣を抜いて、切りかかってきた怨霊にすぐさま応戦する。
 どうやらその怨霊は一体のみであるようだった。元々怨霊にチームプレイなどという概念は無いらしいから、今の状況は望美にとってありがたいものだ。
「一体だけなら私にだって何とか出来る!」
 すばやく切り込み、怨霊を追い詰める。上手くいけば望美の勝利で戦いは終れるのだ。切り込んで追い詰めていくと森があけた、しかし外には崖が広がっていた。このままだと怨霊は崖に落ちて、封印できなくなってしまう。
「っ! どうしよう……!」
 その一瞬の油断が、命取りだった。
 怨霊の繰り出した切っ先を避けたものの、腕に鋭い痛みが伴う。
「しまっ……」
 叫んだのも束の間、怨霊の刀が横に薙ぎ伏せられて、その攻撃は何とか避けたものの望美の身体は崖上へと投げ出された。
「きゃあああああああ!」
 以前にも、あった状況を思い出しながら、望美はギュッと目を瞑って叫んだ。あの時は白龍が助けてくれたけれど今は一人だ。この状況を生み出したのも自分ならば、これは自業自得ということ。八つ当たりなんかするんじゃなかった。
 後悔先に立たず。絶望が身体を支配して、そのまま為すすべなく望美は谷底へと落ちていく。その身体が、白い光に包まれていることも知らずに。






   20060113  七夜月

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