邂逅 8



「九郎、君がそんなうろうろしていても望美さんは変わりませんよ。少し落ち着いたらどうです」
 邸に戻って眠りについた望美を診ていた弁慶は余裕が出たのか、別室にて待機していた九郎の元にやってきた。弁慶が言った様にさっきからうろうろうろうろ部屋の中を苛立たしげに徘徊する姿は正直みっともない。本人も解っているのだが、どうも落ち着けないのだ。
「いや、それはまぁ……そうなんだが……」
「とりあえず座ってください。お茶を淹れてきました」
「ああ、すまんな」
 差し出されたお茶を一口啜っても、九郎の目は行き場が無いようにふらふらしている。
「ふふっ、少しは堪えてるんですか? 彼女がいなくなって」
 そんな九郎がおかしくて、弁慶は笑いを隠すことなく笑みを浮かべた。
「あ、当たり前だろう! 大事な仲間が消えたんだぞ!」
「仲間、ですか……もう少しなんですけどね。惜しいですね」
 弁慶がこっそりを呟いた一言を、九郎は逃しはしなかった。
「何が言いたい」
 少し神経過敏になっているな、と薬師として考えながらこの他愛も無い会話をどうしたら九郎の心を自覚させるか考えつつ、話を進める。弁慶も少し、こんなことになった責任の一端として罪悪感を覚えていたところだ。
「いいえ、では彼女が仲間じゃなかったら心配しないということですか? 彼女がただ一人の女性、春日望美さんであったなら」
「それは……だが、そんな問い掛けは無意味だ。現にあいつは俺たちの仲間なんだ。そうじゃなかったことなど、考えられない」
「逃げることも覚えましたか。変なところで知恵をつけたみたいですね」
 もしやもう、心の奥底では望美に対する気持ちに気づいているのでは無いだろうかと考える。だが、九郎の素振りでは本格的に理解するにはまだ足りない。はっきりと自覚しなければ九郎は一生その感情には気付かないだろう。
「俺を猿や犬なんかと一緒にするな! 大体、お前だったらどうなんだ? あいつが仲間じゃなかったら」
「そうですね……僕なら心配はしませんよ。赤の他人ですから、傷つこうがどうなろうが、知ったことではありません」
 仲間でなければという話を前提でしているが、仲間というのが何処まで指すのかは弁慶には判断しかねる。だが、単純に考えると仲間で無いということは、敵だ。そう考えれば言葉はすらすらと出てきた。
「んな……! あいつは女だぞ!」
「馬鹿げた問い掛けは止めてください。女性だろうと戦に出た以上は女兵です。いっぱしの兵である彼女がどうなろうと、全て自己責任ですよ。それは君が一番良く解ってるはずじゃないですか」
「……それは解っている! けど、それでもあいつは……」
「じゃあ、こう考えましょう。彼女が斬られることと、源氏の見知らぬ女兵が斬られること、どちらがより多く胸を痛めるか。今度は逃げるのは無しです。ちゃんと考えてください」
 このままでは埒が明かない。もっと解りやすい例えとして、弁慶はその言葉を出した。はっきり言って、この会話を第三者に聞かれたら九郎の気持ちがバレかねないが、もはや体裁を取り繕う余裕は無い。それに弁慶にとっては自分のことでは無いから、そもそも体裁を取り繕う必要など無いのだ。彼が自覚することが何より重要で、それには少々の犠牲はつきものである。まぁ、誰かに聞かれていたらの話だけれど。
「………………」
「どうです? 答えられませんか?」
「その聞き方は卑怯だろう。多分、どちらも哀しいと思う。けれど望美は一緒にいた時間が長いんだ。望美がいなくなったりしたら、その女兵よりも心が痛くなるのは当たり前だ」
「なかなか正論をついてきますけど、でもそれは彼女に対して君が心を開いていることが前提ですよ。彼女に対して心を開いていなかったら、切り捨てることも可能なはずですから」
 九郎には少しばかり酷な聞き方だ。答えられないのを弁慶は知っている。けどこれを聞かなければ彼女に対する九郎の思いを自覚してはもらえない。
「いい加減、諦めた方がいいですよ。どんなに君が鈍くても、もうとっくに気づいているはずです。彼女に対する自分の思いを」
「…………あいつは仲間だ」
 意固地にそのカテゴリーから離れたがらない九郎は何を考えているのだろう。まさか拒否されることを恐れているわけでは無いだろうなと、聞き分けの無い友人に弁慶は溜息をつきたくなった。
「仲間ですけど、仲間の前に彼女はたった一人の女の子です。剣を握ることの無かった生活を送ってきた、普通の少女だったんですよ。だからこの戦いが終れば、彼女はいずれ元の世界に戻ります。それは今回消えたことと同じことです。いつか君の元からいなくなり、別れる日が来てしまうんですから」
「だからって、俺にあいつを引き止める権利は無い」
「君は馬鹿ですね、権利の前に君は彼女に対して伝えなければならないことがあるでしょう。権利なんて彼女が決めることですし、そんなことを君が考える必要は無い。君に必要なのは、引き止める『理由』です」
「理由……」
「はっきりさせましょう。君は彼女と離れたいんですか? 離れたくないんですか?」
 ここまで単純な質問に、答えられないわけが無い。好きか嫌いかなんてものはとうに解っている。だったら、好きとしての気持ちを確信させるには、もうこれしかない。
「それは……あいつにも事情が」
「僕は彼女の事情じゃなくて、君の気持ちを聞いてるんですよ。事情なんてものは大体どうにでも出来るものです。君次第でね。だから一番必要なのは君の気持ちなんですよ」
 いい加減、弁慶自身もうんざりしてきた。変なところで意固地になる九郎に、しっかりしろと叱咤したくなる。
「俺はあいつとは、離れたくない」
「何故です?」
 ようやく本音を語りだした九郎にようやく安堵が生まれるものの、気を抜けない。またも仲間だといわれたりしたら、今度こそ殴ってやろうかと、一瞬だけそんな考えが弁慶の頭を掠めた。
「何故って、一緒に居たいからに決まってるだろう」
「じゃあもう、気づきましたね? 君自身の、彼女に対する気持ちは」
「……幾らなんでも、そこまで鈍くは無い。自分の気持ちは解っていたさ、でも俺には兄上と新たな世界を作るという夢がある。だから、あいつを幸せにしてやれるかどうかなんて、考えられなかった」
「だったら考えれば済むことでしょう? 君はいちいち変なところで考えすぎなんですよ。夢を追いかけながら彼女と一緒に居れば済むことなんですから」
 まさか弁慶からこんな言葉が出るとは思っていなかった九郎は、驚いてしまった。
「だが……、戦はいつまで続くのか解らないんだぞ」
「だから早く終らせるんです。しっかりしてください、あまりにも不甲斐ないことばかり言うようだったら、望美さんに言いつけますよ」
「それだけはやめてくれ。こんな格好の悪い姿など、見られたくなどない」
「だったら、格好のいいようにいつでも毅然と立っていることですね。彼女に対しても真っ直ぐに正直な気持ちでいるべきです。それこそが、何より彼女を幸せにするんですから」
 弁慶はふぅっと、一息つくともう一杯お茶を飲もうと立ち上がった。
「お湯が無くなってしまいましたね、少し貰ってきます。そうそう、そういえば望美さんに君を呼んできて欲しいと頼まれていたんでした。君があまりにわからずやだから、伝えるのが遅くなってしまいました。早く行ってあげてください」
「…………すまんな、弁慶」
「そう思うなら、手こずらせないでください」
 クスッと笑った弁慶は静かに九郎の前からいなくなっていった。弁慶に言われたこと全てを実行できるかわからない。けれども胸に芽生えた思いはもはや止めようがなく、九郎は静かに立ち上がると望美の部屋へと向かった。





   20060123  七夜月

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