【四】



 帰り道。学校へ行く途中にある坂を下りていると、ひたひたと後ろからついてくる足音がして、敦盛は振り返った。
 けれど、そこには誰も居ない。
 気のせいだ、と思うことにしてまた歩く。
 今度は気配まで感じて振り向くが、それでもやはり誰も居ない。
 どうなってるんだと叫びだしそうなところを抑えて、ゆっくり坂を下りていく。すると、ザーッと風が吹いて木の葉を揺らす音が響いた。もう一度だけ振り返ってみると、そこには誰も居ない代わりに顔に夏らしからぬ冷たい風が当たって、敦盛は気持ちよさに目を瞑った。しかし妙に風が冷た過ぎる。まるで真冬並みと言っては過言ではなく、証拠に敦盛のむき出しの腕は鳥肌が立っていた。
 嫌な予感がする。けれど、ガードレールを挟んだ隣は森だ。きっとさっきの音も森がなっている音なんだと無理やり思うことにして、敦盛は歩き出そうと前を見た瞬間、その視界がある一点で塞がれた。
 目の前には望美がいた。
 間近だ。目を赤く染めた望美は敦盛の顔でも覗きこむかのような立ち位置で、にやりと笑っている。
「ひっ……!」
 あまりのことに驚いた敦盛はその場で尻餅をついてしまった。
「ねぇ、敦盛さんどうしたの? 最近ずっとおかしいよねぇ? 私たちに内緒でチモ見沢のこと調べたり、刑事さんと内緒話したりして……湛快さんもそうだったんだぁ、ある時から急にそうやって鉄扇持ち歩いて、私たちに隠し事するようになって……ねぇ、敦盛さん。何か悩みがあるんだよね?」
 小首をかしげている望美だが、その手に持っているのは紛れもなくポンタくん人形をキャッチしたときの鞭。
 敦盛の視線が鞭に注がれ、次に望美の顔に注がれ、強く首を横に振った。
「敦盛さんの相談に乗れるのは私だけ。同じ転校生だもん、敦盛さんの気持ちが解るのは私だけだよ? なんでも話してよ敦盛さん……敦盛さんはしないよね? 入院」
 ピッと望美は鞭を手に取り音を立てじりじりと敦盛ににじり寄った。敦盛は言葉すらも失ってただただ強く首を振り続けるだけだ。
「答えて、敦盛さん……敦盛さんはしないよね? 入院。私たちを置いてどこかに行ったりしないよね? ずっとそばに……居てくれるんだよね?」
 クックックックッ……どこからともなく聞こえてきた笑い声。それは望美の口から発せられるものではなかった。
 いつもなら煩いくらいにチモチモ鳴いてるチモモリの声さえ、今では何も聞こえない。
 ただ笑い声と望美と、敦盛だけがその世界に居るかのように、肌でおかしいと感じられるような空間が出来上がっていた。
「敦盛さんはしないよね? 入院……敦盛さんは私とずっと友達でいるんだから」
 恐怖しかなかった。いつもの望美ではない恐怖。けれど、そんな恐怖の中に、望美が呟いた最後の一言だけは胸に響いていた。事実として断言していた言葉ではなく、願望とも取れる台詞。まるで、敦盛がその場からいなくなることを恐怖するようなそんなニュアンスに取れなくもない一瞬。けれど、それは瞬く間に消え、望美の纏う雰囲気はやはり敦盛の背中に嫌な汗を流させるような、そんなオーラだった。
「私……私は……っ! すまない、神子……!」
 無様だとは解っていても、敦盛に出来るのはそこから逃げ出すことだけだった。腰が抜けるという最大の屈辱だけはなんとか回避していた自らの身体を奮い立たせて、望美を抜かして走り出す。
 家までただ無我夢中に走り続けていた。心臓が破れるくらいにただ。
 医師から運動をすることは制限されていることを忘れるほどに、敦盛は走っていた。
 ―――ドクンッ!
 鼓動が一際大きく跳ねた。すると同時に目の前の視界が二重にぶれる。
 ―――ドクンッ!
 前を向いてても、景色が揺らいでいて何が何だかわからない。ふらついて、自分が貧血を起こしていることとが解った。だけれど走りを止めることは自分の意思でもできないし、この得体の知れない恐怖からの逃走心はそれを許さない。
 敦盛は単に自らが貧血を起こしていると考えていたが、実際は違う。そんなものではなかったのだ。
「ッ……ぐぁっ……!」
 病み上がりの身体の心臓は敦盛のかかった精神的負担にも、体力的負担にも耐えられなかった。
 もう二度と味わいたくないと思っていた痛みが敦盛の身体を襲う。胸が苦しくて押さえつつその場に倒れるが、まだ家についていない。悶絶し苦しみながら必死に手を伸ばして立ち上がる。苦しくて死んでしまいそうだった。
 けれど、家に着かなければこの両方の苦しみから逃れることは出来ない。まだあの肌を刺すような風は吹き続けている。
 霞む視界、痛みに耐えられるのも限界だった。自分の家の門をくぐって、敦盛は力尽きるように倒れこんだ。


 【四】 了 【



    20060712  七夜月


チモモリの啼く頃に TOP