【伍】 荒い呼吸。辛い。けれど、それはだいぶ収まっていった。気持ちいいという感情が胸に生まれ、苦しみから解放されたという事実に心が温まる。 そうしてゆっくりと敦盛は目を開いた。 目をあけて初めて見た顔は意外なもので、敦盛は何度か目を瞬いた。そこには心配そうに覗き込むヒノエと弁慶の姿があった。 「どうして……」 「それはこっちの台詞だよ。お前こそなんで倒れてたんだよ。家に入れようにも俺ら鍵持ってねーし、仕方なくウチに運んできたんだ」 「まぁ、結局はこの家にきてもらうことになったでしょうから、丁度良かったんですけどね」 苦笑する弁慶、ヒノエも年下とは思えない大人びいた表情で敦盛を見ている。 ふと布団に重みがあるような気がして、敦盛は視線をずらした。掛け布団の上にあったのは紛れもなくあの鉄扇だ。 「これは……」 「君を守る要のものです」 「?」 「陰なるものはただその存在だけで結界になります。身を包まれれば嫌でも隠れざるを得ないですから。けれど、彼女たちには陰が少し強すぎたようですね。特に君とは相性がいいようで君の気と混じりあったせいで陰の気が強すぎて活性化し、逆に陰に焦がれて君を見つけてしまうようです」 説明の意味がさっぱり解らず、敦盛は目を瞬かせる。 弁慶は真顔になって敦盛にその鉄扇を渡した。 「君が持っていてください。直に、彼女たちはここへ来るでしょう。正直、僕らだけで彼女たちから君を守ることが出来るかどうかわかりませんから。これは最後の要なんです。君を被害に合わせるかあわせないか。正直賭けですが」 心底悔しいのか、弁慶は普段だったらしない唇を噛み締めるという仕草まで見せている。けれど、敦盛にとっては言われている意味が解りかねる。そんな守る守らないだなんてオカルトじゃあるまいし、そう思っていても口に出すことは出来なかった。とてもじゃないが、出せるような雰囲気ではなかった。 「もうこれ以上、あいつらに傷付けさせたくないんだ」 ヒノエが真剣そのものといった様子で敦盛を見据え、ようやく敦盛は理解した。 ヒノエたちは彼女たちの豹変の様子を知っている。そして、きっとその理由も。 「彼女……なのか? チモ見沢で起こってきた今までの出来事の全ては……」 「正確には、望美じゃないよ。けれど……」 ヒノエが続きを告げようとした時、派手な音を立ててどこかで窓ガラスが割れる音がした。 ピクッと反応する敦盛。何度目ともなればさすがに感覚や気の気配で何が来たか悟ってしまった。 「もう来たのか……!」 「仕方ありませんね、特に今日は満月です。彼女の力は通常時より数倍強い」 時間が無いようです。弁慶は呟くと、敦盛を立たせて裏へ続く勝手口へと導いた。 「逃げてください。僕たちも出来るだけ時間を稼ぎますから。決して振り返らず、戻ってきたりしてはいけませんよ。すぐにでも村の人間以外に助けを求めなさい」 厳しい口調だった。そして、多分それは自分のための言葉であった。敦盛は頷く、何が起きてるのかはわからないけれど、今はこの二人の言うとおりにしか自分は動くことが出来ない。ここで否と唱えれば二人を困らす結果になる。 二人が守りたいものは、敦盛だけではなくて、きっとここへやってきた何かも含まれている。傷付けさせたくないといったヒノエは悔恨で苦しげな表情をしていた。 「すまない二人とも……どうか無事で……!」 今は二人を信じて自分は飛び出すしかない。敦盛は言われたとおりに勝手口から出ると、ようやくこの居場所がどこだか判明して焦るように神社の階段を降りた。入り口に止まっている自転車のウチの水色のほうに飛び乗り、生まれて初めて自転車というものをこいだ。乗ったことが無いのにこうしてこげるんだから人間というものはやはりやれば出来る人間である。 「そんな冗談を考えてる場合じゃなくて……」 敦盛は走れない。だからせめて自転車というものに乗ってみたが、意外に体力を使うことが判明。坂道が無ければ先ほどと同じように倒れていたかもしれないというほど足に力を強く入れて、こぎ続ける。ぐんぐんとスピードを上げて坂道を降りていると、坂の終わりに公衆電話があるのを発見した。 自転車から飛び降りると、公衆電話に駆け込んで、以前将臣から貰っていた連絡先に無我夢中で電話をかけた。 【伍】 了 【楽屋裏其の四】
20060712 七夜月
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