曼珠沙華の咲くまでに 1




 ――赤、朱、紅。

 どれもが貴方に似合う色。
 でも、貴方はこの色好きだった?
 私ね、貴方の事なんにも知らなかったんだね。
 知らなくても、一緒に居られればそれで良かったから。
 楽しかったんだ。初めてだったの、あんな気持ち。
 ごめんなさいって、幾ら言っても足りないけど。
 でも、私は貴方にお礼を言います。
 ありがとう、守ってくれて。
 ありがとう、一緒に笑ってくれて。
 ありがとう、傍に居てくれて。


 望美は手に持っていた針を見つめてごくりと喉を鳴らした。
 チクチクチク……端切れを寄せ集めた割にはなかなかに見栄えはあるそれ。ひたすら目の前の人形と思わしき物体の縫い目を縫い付けていく。
「望美、そろそろ重衡殿が来る頃じゃない?準備は出来ているの?」
 室に顔を出した姉の朔の言葉は集中していた望美を動揺させる。
「うあっ、もうそんな時刻なの? ちょっとまって、あと少しなの!」
 せっかくここまで作ったのに、完成していないものを重衡に見せるわけにはいかない。
「熱心ね……重衡殿への贈り物だからかしら?」
「うん、ほら、重衡って私が作ったもの、何でも喜ぶでしょう? だから、悔しいの。お世辞でも何でもなく褒めてもらえるものをあげたいんだ」
「重衡殿にとっては貴方が作ったものだからこそ、嬉しいのだと思うけど」
 クス……と、朔はこっそりと笑ってから室の外に出た。けれど、一声かけるのだけは忘れない。
「早く来てね、お待たせするのも悪いわよ」
「わかってる。もし出来上がらなかったら、またの機会にするよ。きっとまたすぐにも会うんだろうし」
 真剣な目で布を縫い続ける妹の姿が可愛くて、思わず朔は破顔したが、邪魔をしては悪いと何も言わずに座敷の方へと戻っていった。
 重衡は望美の婚約者である。小さい頃から決められていた。龍神の神子の血を絶やさぬようにと、相応しい男が望美が生まれたときから既に決められていたのである。望美にとって重衡は、たまに会える優しいお兄ちゃんのような存在で、遊んでもらえるだけで嬉しかったが、此度正式な婚約者として婚儀を挙げる日も決まり、最近ではちょくちょくと望美の元へとやってくる。
 望美の中で大きな意識改革というのは無かったものの、ぼんやりと嫁入りの日が近くなるにつれて、望美なりに嫁としての勤めを果たさねばと考えるようになり、何をしたらいいのか解らないのでとりあえず贈り物作戦を決行しているのである。
 望美が縫っているその人形は望美が初めて自分で作ったものだった。今までは花やら反物やらを贈っていたが(この時点で男性への贈り物として選択肢を間違えている事に望美は気付くべくもない)、重衡はいつも嬉しそうに持ち帰るも、望美としては物足りない。もっと大きな反応が見たくて、手作りに励んでみたのだがなかなかこれが難しい。
 望美自らの腕がついていかず、今まで花嫁修業を抜け出していた"つけ"がこんな形で影響していた。
 望美が針を一生懸命動かしても、時は無常に過ぎるだけ。
 そしてとうとう、お呼ばれがかかってしまった。
「望美さま、重衡様がいらっしゃいましたわ」
「ううううう……わかりました、すぐいきます」
 また終らなかった……。
 がっくりと肩を落としながらも、重衡に会うのに落ち込んだままではいられない。しゃんとしないとと、顔を幾度も叩いて望美は立ち上がった。
「さて、お出迎えしないとね〜」
 スッと立ち上がって、望美は完成しなかった人形を置いた。顔のまだついていない不恰好な手縫いの人形が裁縫箱の上にちょこんと座っている。それを一瞥して笑みをこぼした。
 もうすぐこれを手渡せる。そしたら、重衡はどんな顔をするんだろう。
 笑ってくれればいいな、いつもみたいに、笑ってくれれば。
 望美が去った後、人形が風に吹かれて揺れた。


「十六夜君、お久しぶりです」
 通された部屋で重衡は望美が来るのを背筋を伸ばして待っていた。綺麗な姿勢に、望美は相変わらずの人だなと思いながら、重衡に笑った。彼の雰囲気が和らいだことが御簾越しでも解る。小さい頃から会っていた相手だ。どうせこんなもの意味が無いと、望美は御簾を持ち上げて重衡の前に姿を現した。
「この前会ったばかりでしょ?」
「貴方と離れた瞬間-とき-から、私は貴方が恋しくてたまらなくなるのです」
「あはは、重衡大袈裟過ぎだよ」
「大袈裟などではありませんよ、それくらい貴方に逢えぬ時間が私を狂わせるのですから」
「なに言ってるの〜変なの」
「望美……貴方って人は……重衡殿、ごめんなさい。この子はまだ……」
 何か言いたげに望美を見つめる朔に望美が首をかしげた。それを見て、更に朔から重い溜息がつかれる。けれど、重衡は望美の反応に対して悲しげな顔をするどころか、とても嬉しそうだ。
「良いのですよ、そのような十六夜の君のことも、私はお慕いしておりますから。とても可愛らしい方です」
「あ、ありがとう……」
 面と向かってお慕いしているといわれれば、さすがの望美も赤面せざるをえない。冗談で紛らわすにも限界があるし、重衡が常に冗談で言っているとは半信半疑なだけに、思わぬ台詞でぐらつく……つまり、その気になることもある。
 後に夫婦となるのだから、ぐらつくことに問題は無いのだが、何故か望美は対抗心を燃やして、負けるもんかと手を握る。何を持ってして勝負になっているのかは、彼女の中では問題視されない。竹を割った性格である彼女の短所であり長所である。
「それで、今日はどうしたの?」
 望美が尋ねると、重衡はゆっくりと背中に手を回して小さな小箱を取り出した。
「十六夜君にとても似合う髪飾りを見つけたので、持って参りました」
 小箱の蓋を丁寧に開いた先にあったのは、赤い布の上に乗っていた美しい白銀。
 大粒の真珠を中心として、小粒の真珠が弧を描いてあしらわれているその髪飾りは、まるで三日月のようで、望美はわぁっと声を上げた。
「すごーい! どうしたのこれ!」
「知人から譲り受けたものです。ここまで大きな真珠は珍しいものらしいのですが、それ以上に、貴方に飾られるために作られた品のように思えましたので、無理言って譲って頂いたのですよ」
「ありがとう、じゃあ今度つけてみるね。重衡が選んだんだから、間違いないよ」
 小箱を受け取った望美は嬉しそうにしまった。重衡は喜んでくれたことに微笑した。
「では、私はそろそろおいとましますね」
「え? もう? 来たばかりなのに?」
「すみません、これから少々所用がありまして。小箱を渡すことも勿論ですが、何より貴方のお顔を拝見したかったので、もう願いは叶いましたから」
「そっかー、それは残念。じゃあ、また遊びに来てね。今度は私もおもてなし出来るようにするから」
「ありがとうございます、けれど貴方が迎えてくれるだけで、私にはもう十分ですよ……本当に」
 立ち上がり様、横目で望美の顔を見ていとおしそうに言葉を呟く。朔はそれに気付いたものの、望美の頭は既にこの貰った真珠のことでいっぱいになっており、そちらには気付くことが出来なかった。
「では、失礼致します」
「うん、またね」
「はい、また後日」
 部屋を出た重衡は深々と頭を下げて、望美と朔の前を辞した。結婚前の男女が同じ室に二人きりになってはならないという風習のため、朔は仲介役としてその場に残っていたのだが、あまりにも無垢すぎる妹に、時折重衡が不憫でたまらない。これはある種の拷問ではないだろうか、とさえ思うこともある。だが、そんな天真爛漫である妹が、朔も心から愛おしい。望美は大切な朔の片割れなのだから。嬉しそうな妹の顔を見てしまえば、朔の頬も自然と緩む。
「望美、良かったわね」
「うん、嬉しい、今はなんだか勿体無いから今度つけてみる」
 子供のように顔を輝かせて喜んでいる望美を、朔は静かに見守っていた。

 





    20061001  七夜月


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