曼珠沙華の咲くまでに 4 「ねぇ、望美。最近楽しそうだけど、何かあったの?」 「うん、ちょっとねー友達が出来たんだ」 「そう、良かったわね。また重衡殿に人形を作るの?」 楽しそうに話す妹に、朔は笑顔を零す。 「ううん、これは違うよ。その友達にあげるの」 「あまり無理せずに、頑張ってね。婚儀ももう少しなのだから」 「うん、わかってる」 婚儀がもう少し……それを聞いて、望美の声のトーンが落ちた。 「望美?」 「ううん、なんでもない。さて、さっさと作っちゃおう!」 表面上は明るく振舞うものの、内心少し望美は動揺していた。婚儀が近い、そうすればもう知盛には会えなくなる。重衡の奥さんになったら、きっと他の男の人の元へはいけなくなる。それくらいは、世間で許されないことだと望美も知っているし、重衡だって悲しむだろうことは想像つく。そうしたら、二度と知盛には会えないかもしれない。 自分の結婚は生まれたときから決まっていたこと、だから、逆らえるはずが無いのはわかってるし、逆らう気もないのに、どうしてこんなにも胸が苦しくなるんだろう。重衡に感じる想いとは、全く別の気持ち。 重衡の笑顔が好き、でも知盛が笑うとすごく嬉しい。重衡の温かい手が気持ちいい、でも知盛の寝顔は見ていて安心する。 ねぇ、どうしてこんな気持ちになるのかな? もう少し、知盛とお喋りとかしたいんだけどな。 黙々と針を動かし続ける望美、それを見ながら朔は何故だか胸を押さえつけられるような気がして嫌な予感を無理やり拭った。 最近、朔は女房たちの話で気になることがあった。 ここのところ作物が不作で、年貢が納められない農民が大勢居るようなのだ。 そして、何より気になったのは。 「見た人がいるって噂……」 「やはり、いるのかしら……私もそういう話を聞いたわ。鬼子が裏の森に住み着いているっていう噂でしょ?」 「怖いわね……気をつけなくちゃ」 鬼子が裏山に居るとしたら、それこそ一大事だ。鬼子とは鬼のように人間にはない特殊な力を私利私欲のために使う、人外を指す言葉である。人型をしているが、その正体は阿修羅のような顔つきだとも言われており、皆に恐れられている。 最近、望美が裏山に行くことが多くなった。もしや、と邪推してしまうが、そんなこと、あってはならない。 龍神の神子が鬼子と接するなど、前代未聞だ。 「重衡殿にも、一応耳に入れておこうかしら……」 望美に確かめれば話は早いかもしれない。けれど、そうしないのは望美が鬼子とかそういう類のものに対して無頓着だから。もしも、本当に鬼子と出会っていたとしても、望美は鬼子とは気付かないだろう。神子でありながらそういったことにはとても疎い娘だから。 朔は筆を取ると、重衡に文を書いた。それを童に持たせ、急ぎ取り次ぐよう告げる。 これもすべて望美のためだと、朔は心内で何度も謝罪を繰り返した。 幾日か経ち、ようやく望美はその人形を完成させた。重衡のときに作ったものと、形状は全く同じだから、そんなに手は掛からなかった。 完成したのを知ったら、知盛はどんな顔をするかな? 顔が緩むのを引き締めて、望美は例の髪飾りをつけていつもの野原へと来ていた。知盛は似合わないって言っていたけど、いつもと違う自分の自分を見て欲しい気がしたから。 「知盛ー! 人形出来たよ!」 幾ら呼んでも出てこない、どうしたのかな?と思って望美が辺りをきょろきょろしていると、遠くで風の音がした。 「知盛、どこにいるの?」 「今日は連れがいるようだな」 頭上から降ってきた声。上を見れば知盛が空に浮いている。 「知盛!」 知盛に不思議な力があるのは知っているから、望美は特に驚かないが、自分に起こった出来事には驚いた。 「十六夜君、こちらへ」 いきなり身体を引かれて、誰かに抱きしめられたのだ。けれど、望美のことを十六夜君と呼ぶのは一人しか居ない。 「重衡……?」 「朔殿から、文を頂きました。貴方の様子がおかしいと、そして裏山には鬼子が住み着いているのでは無いかという噂があるということも。やはり、噂は本当だったようですね」 「ちょっと待って、噂って何? 鬼子ってどういうことなの? 知盛は不思議な力はあるけれど、鬼子なんかじゃないよ」 だって鬼子は私利私欲のために術を使うものを指す。けれど、望美は知盛に会ってから術を使うところを見たのは、出会ったときに助けてくれたあの一度きりだ。他に会ったときはいつも寝ていた。 混乱を始めた望美だが、重衡はひしひしと自分の身に感じる怖いほどの威圧に、唇を引き結んだ。 「目をお覚ましになってください、十六夜君。あれは鬼子です。人外の力を使うことの出来るものは、鬼の子なのですよ」 「鬼、鬼と煩いな。だったらどうだという? 俺を狩るか? ただの人間風情が」 「この方に手出しはさせない」 さっと刀を引き抜いて、重衡は望美の前で構える。 どうしてこの二人が争っているの? 知盛は鬼子なんかじゃないのに。 私を助けてくれた、たった一人の友達なのに。 「やめて、重衡お願いだから、やめてよ」 「そういうわけには参りません。十六夜君が心奪われていると知った今、私も此奴に負けるわけにはいかなくなりました」 「どうして、違うの! 知盛は友達なの! 私の、たった一人の友達……!」 「十六夜君……」 必死な望美を、重衡が複雑そうな目で見た。葛藤しているんだろう、望美を取るか、己の自尊心を取るか。 「……クッ…くだらない。友達? 幻想を見るのは勝手だが、俺を巻き込むのはやめろ。お前などの友達になった覚えなど無い」 息を呑んで望美は胸の前で手を握った。重衡は望美の落ち込みを瞬時に理解する。 「貴様……! これ以上、この方を愚弄するなどとは許さぬ」 「許さぬなら、俺を斬るか? 出来るものならやってみろ。俺も容赦などせずに相手をしてやろう」 再び太刀を構えなおした重衡の前に、望美は両手を広げて立ちふさがった。重衡を真っ直ぐと、望美は見つめる。 「やめて、お願い。もう、帰ろう……? 私は誰かが傷つくのを見るのは嫌。知盛が迷惑だって言うのなら、帰るから……っく…ぁ!」 気落ちしている望美の背後に回った別の奴が、望美の首を締め上げた。 「あら、随分潔いお嬢さんですこと。良いでしょう、心意気だけは認めて差し上げるわ」 ふふふっ、と女は笑いながら望美の顎から頬にかけて指でなぞる。だが、答えるどころか望美は苦しみの声を上げるしか出来ない。 「うっ……くぅ……!」 「十六夜君!」 重衡は口許で何かを唱えると、望美の背後にいる何かに向けて術を発した。だが、女はそれに対して更に怒りを募らせる。 「そのような取るに足りない術でわたくしを攻撃しようなどと、人間が考えるものではありませんわよ。この娘の身を以って、それを知るがいい!」 望美は圧迫感に今にも意識が飛びそうになった。でも、ここで意識を飛ばしては駄目だ。無理にでも目をこじ開けて自分を害するものを一目でも見てやろうとする。 「やめろ、そいつは俺の獲物だ。離せ」 「知盛様……?」 「離せと言っている……聞こえなかったか?」 「…………ッ!」 知盛からの低い声で脅され、女は望美から手を離した。突如肺へ入り込んできた大量の空気に、望美はむせて咳を繰り返す。駆け寄ってきた重衡は望美を抱き起こすと、女を強く睨んだ。 「余計な茶々が入ったな……やる気が失せた。さっさと帰れ」 「…………私たちを逃がすというのか?」 「興が冷めたのだ、つまらん。……さっさと去れ」 「知盛様! 何故ですか!?」 黙っていられないのは女も一緒だ。せっかく仕留められるチャンスだというのに、知盛はそれをふいにしようとしている。 だが、知盛は女に一瞥もくれずに、ただ低くこう言った。 「うるさい、貴様もどこかへ消えろ」 「…………っ!」 女は言われるがまま、悔しげに知盛の前から姿を消した。あの女が鬼であるということも、間違いない。本来ならば重衡が退治せねばならぬ相手だが、望美がいるのだから今は言われるまま帰るのが得策だ。望美の首についた、禍々しい痣。早く手当てをしなくてはいけない。 「いつか必ず、この借りは返す……!」 「もう二度と目の前に現れるな」 望美を抱き上げた重衡は、知盛に目もくれずにただ目の前でぐったりとしてしまった婚約者を抱きしめた。 → 20061011 七夜月
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