曼珠沙華の咲くまでに 6 重厚な竹で作られた檻、鍵が外された音がして、望美は目を覚ました。固い土の上で寝かされており、体中が痛い。 「……だれ?」 「……十六夜君」 望美からは逆光でその顔が見えない。でも、声を聞けばすぐにわかった。 「重衡? どうしたの? 私と話したらお父様に怒られちゃうんじゃない?」 「貴方は……」 重衡は言葉を告げるのを躊躇っているようで、望美は首をかしげた。そんな望美の手元にあったのは、一生懸命望美が作り上げた知盛の人形。何があっても、望美はこれを手放さなかった。 「貴方が好きなのは、あの鬼子なのですね」 重衡の顔に、悲しみの陰りが帯びる。こんな重衡の顔を見るのは、望美は初めてだった。 「わかっていました。私が貴方に抱く感情と、貴方が私に抱く感情に相違があったこと。けれど、私はそれでも構わなかった。貴方を手にすることが出来ると信じていたからです。けれど、貴方は出会ってしまった」 「しげひら……?」 重衡の思惑がさっぱりで、どういう反応を返したらいいのかわからない。望美はじっと重衡を見つめた。 「十六夜君、あなたが戻ってきてくださるというのならば、私は何度でもこの胸の想いを貴方に伝えましょう。貴方を愛しております」 「……………あり、がとう」 嬉しいけれど、今は何故か切ない。望美はこの言葉の本当の意味を知らない。 そして、その言葉を告げられる相手が、一瞬だけ知盛と被った。 「知盛……?」 重衡が息を呑んで、泣き笑いのような顔をした。やはり、重衡では駄目だった。 望美が求めている相手は、重衡ではない。 望美もこの失態に気付いた。 「ご、ごめんなさい!」 「いいえ、いいのです。私は貴方が好きです。だから、貴方を助けたい」 重衡は望美に近付くと、その顎を持ち上げた。 「本当に、貴方が好きでした」 突如過去形となったその言葉、望美が口を開く前に、言葉が封じられた。 重なり合った唇、わけのわからない重衡のその行動に、望美はあたふたと慌ててしまった。 「え、重衡……どうして?」 「行きましょう、十六夜君。知盛、と仰いましたか。あの鬼子が殺される前に、あの男と逃げてください」 「殺される……?」 口付けしたときとは打って変わって、重衡の表情が硬くなった。いきなり物騒な話で、思わず望美も眉をひそめる。重衡は口早に現在起こっている緊急事態を望美に告げた。 「はい、以前から鬼子の出入りについては噂があったのですが、あくまで噂だと思っていました。けれど実際に目にしてしまったからには否定しようがありません。村中総出で鬼子狩りが行われ、鬼子という鬼子全てが殺されます。ここのところ不作が続いて村人も気が立ってるのです。そして、泰衡様はそれが出来るお方ですから」 父親、泰衡の権力もさることながら、泰衡が扱う呪術は鬼にも対抗しうるほど強力なものなのは、望美も知っている。父親は藤原の家系の人間で、藤原は呪術をもっぱら得意とする家系である。鬼子と違う点は、主にその呪術を人、ひいては国のために使うことにある。 「でも、どうして重衡は私を……?」 「貴方に幸せになって欲しいからです。私は貴方の笑った顔が一番好きでしたから……あの鬼子も、口ではなんだかんだ言いながらも先ほど私たちを助けてくださいました。少なからず、貴方を思っているはずです」 本当だったら、こんなこと言いたくないんだろう、けれど、重衡は迷いを感じさせない強い口調で望美にそういいきった。 立ち上がりふらつく望美に肩を貸し、重衡は牢屋をくぐった。 階段を昇って、誰も居ないことを確認してから、裏門から外へと出る。 「おい、そこのお前たち、何をしている!」 だが、運悪く見張りのものに見つかってしまった。重衡は望美にともっていた衣を被せると、顔を隠した。 「私が時間を稼ぎます。どうか、今のうちにあの男のもとへ」 「……ごめん、ごめんね、重衡。 ありがとう」 「あそこだ、居たぞ!!」 冗談じゃない、このような場で人間に殺されるなどと。 術など使えなくとも、剣があれば知盛は無敵に近い。だが、人数が多すぎる。いちいち相手にするのも面倒で、逃げ隠れを繰り返していた。 「チッ……」 見つかれば戦闘。力技とが相まってどんどん敵を切り伏せていく。だが、少しばかり剣先が腕をかする。今までならばこんな傷、さっさと治せるのに今は術が効かないせいで治るものも治らない。 とにかくその痛みを切り捨てて知盛は走った。 何故自分がこんなに必死になって走っているのか解らない。だが、望美が危ないのだけが事実だ。 知盛はそれを助けようとしている。 何故だ、うざったいと思っていた相手なのに、気付けばあの声が聞こえなければ調子が狂う。 知盛は自分で気付くのが少し遅かった。 「困ったものだな……」 他の男のものだと思えば手に入れたいといつも思っていた。手に入れて遊んで捨てるのもまた一興だと。けれど、そうしたいとは思わなかった。 そうすればきっと、望美は笑わなくなるだろう。そんなのは知盛が求める望美ではない。 「笑わない奴を連れていても、つまらんだろう」 ようやく一陣を切り伏せられた。さすがにこれだけ動いて血も流れていれば動悸が早くなり、動きが鈍くもなる。 刀についた血を振り払い、顎に滴った返り血を拭った。 「…………」 ふと、再びこちらへ近付いてくる人間の気配を感じて知盛は柄を握りなおす。 「知盛、知盛どこ!?」 が、声音は敵ではなく、先ほど帰したはずの人間の声だ。 声がするほうへ、走る。女に見つかる前に、望美を先に見つけなくてはならない。急げ、脳内で大きく痛みが響いても、知盛は走った。空を飛べないことがこんなにも不便だとは。 「とも……きゃぁ!」 「チッ、遅かったか……!」 最悪の事態が待ち構えている事を、知盛は脳内で鮮明に描き出した。 そしてそれは、間違うことなく知盛の目の前で繰り広げられることになる。 灯火が消える、その刻へ……変えることの出来ない運命が進み始めてしまった。 → 20061018 七夜月
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