金糸のまばたき



 真っ青な顔をして那岐がまるで呼吸をしていないように木の幹にもたれかかっているのを見たときは、千尋自身の呼吸が止まるかと思った。
 平和になったこの豊葦原でも、未だに完全に平和というわけではなく、戦とならないだけの小競り合いや少数団体の暴動などもあるにはある。それを実体として把握できていなかったのは、千尋が実害を伴わなかったからだ。
 自分の代わりに那岐が犠牲になったと知った時は本気で憤りを覚える前に怖くなった。ようやく近づいた那岐の心がまたどこか遠くへと行ってしまうのではないかと思って酷く焦った。
 だが、これが呪詛によるものだと知ってからの千尋は行動が早かった。那岐以外の鬼道使い数名と忍人に頼み呪詛返しを行わせて犯人捜索に乗り出したのである。忍人には術者からの情報を得て実行部隊を捕縛してもらう。きびきびと命令を出して、宮に仕掛けた呪詛全てを洗い出し、浄化させた。那岐を救うためにと奔走して、千尋が倒れた那岐にもう一度会いに来たのは、夜もだいぶ更けてからだ。
 神気がもっとも強いからとの遠夜と柊の提案で(もっとも、柊はだいぶ渋っていたが)、自分の部屋に那岐を連れてきた千尋は、自分の寝床で眠っている那岐の隣にベッドに腰をかける要領で座った。
 呪詛を取り除いたおかげで、那岐の顔色はだいぶ落ち着いた色を取り戻し、夢にもうなされていないようだ。呪詛さえなければ普通の熱風邪と変わらない。規則正しい寝息が聞こえる。那岐が普通に眠っているだけだと確認して、ようやく千尋は安心した。
 少しは熱が引いて汗が乾いたのだろう、額に張り付いていた髪を千尋は手櫛でほどいてやりながら那岐の寝顔を見つめていた。
「那岐、ごめんね」
 眠っているので、本人には聞えていないだろうが千尋はそれでも謝った。『葦原千尋』ではなく『豊葦原の王』の命を狙うものはたくさんいる。それは玉座に座り続ける限り消えない、千尋の背負うものの一つだ。だから、自分が狙われてしまうことはしょうがないと思っている。
 だけどそのせいで周囲の人間を巻き込むのはひどく許しがたい状況だ。今回、呪詛が那岐に流れたのも千尋に呪詛対策用で幾重もの厳重な術が施されてその身が守られたため、同じ血を持った那岐に呪詛が反応したのではないかと、風早は言っていた。自分が命を狙われ続ける限り、那岐をも危険な目に合わせ続けることになる。
「私は那岐から、離れた方がいいのかもしれないね」
 那岐は昔、言った。「千尋は僕に迷惑ばかりかける」と。その言葉に千尋は反論できずに思わず謝ってしまったがあれから何も変わらない。
 もしも迷惑をかけ続けるなら、いっそこのまま遠い場所に行ってしまおうか。那岐を一人にはしたくないから、私が独りになればいい。
 そんなことまで考えてしまう。
「そんなの許さない」
 声がしたと同時に手首を突然掴まれて、千尋は那岐の顔を見た。さっきまで眠っていたはずの那岐の瞳は今はちゃんと開けられて、その視線はきっちりと千尋を捉えている。
「千尋が僕から離れるというのなら、僕は絶対に千尋を離さない」
 千尋の手を掴む那岐の手はひどく熱い。まだかすかに残る熱が、那岐の身体を支配しているのだろう。千尋は穏やかに手首を掴んでいる那岐の手の上に自分の手を重ねた。
「那岐、私といたら那岐はずっと迷惑をこうむることになるんだよ?」
「だからなんだよ、そんなの今更だ」
 離れることは許さない、もう一度那岐は千尋にそういった。
「離れたく…ないんだ」
 辛そうに顔を歪める那岐を見たのは、いつ以来だったか。思い出したのは千尋をずっと探し回っていたあの、禍日神を倒した時。それきりだった。那岐は千尋を優しさの答えだといい、だからもう諦めたくはないと千尋をずっと探し続けてくれていた。思えば千尋もそうだ。那岐が何も言わずに一人で戦いに赴こうとしたときに、全力で那岐を救いたいと思った。たとえそれが那岐自身の決意を壊すことになっても、那岐を助けたい、那岐が大切だと思った。
 そうだ、千尋は那岐が大切だ。こんな風に一生涯那岐の傍にいたいと思ったから那岐を一人で行かせはしなかったのだ。
「私は那岐が大切よ、絶対に一人にはしたくない」
 だから、自分がいることで那岐に命の危険を晒させるなら、いっそのこと…そう考えてしまう。
 それなのに那岐の瞳を見ていると、それさえも揺らぐ。素直に傍にいたいという気持ちが勝ってしまう。この手首を掴む手を振り払うことが出来ない。
「ごめんね、那岐……」
 危険と解っていて心を鬼に出来ない自分は中途半端だ。中途半端に那岐に接している。那岐を想っているのは確かなのに、どうしてこんなに酷い仕打ちを那岐に押し付けてしまうんだろう。
「千尋、僕は千尋と生きるって決めたときに、とっくに覚悟は出来てるんだよ」
 那岐はそう言いながら天井を見上げた。
「千尋が笑って傍に居てくれればそれでいいって。それを守るために多少の被害をこうむっても、僕は千尋を守るために甘んじてそれを受けるって」
 そして、那岐はいつものような一癖のある笑顔を千尋に向けた。
「僕は心が広いんだ、ちょっとくらいなら我慢してやるよ」
 千尋の心は大きく揺れた。こうして那岐が千尋をそれとわからずに甘やかすから、千尋はもっと那岐から離れられなくなる。だったら、千尋も覚悟を決めるしかない。那岐を大切に想うことで、那岐が苦しむかもしれない危険を背負う覚悟を。代わりに得られる、他では決して得難い幸福を守るために。
「うん、わかった。ずっと一緒にいよう、ずっとずっと一緒に、ね」
 まだ少しだけ熱い那岐の額に千尋は額を押し付けて笑った。
「散々な誕生日にしちゃって、ごめんね」
 ぱちりと那岐は瞬きをした。本当は千尋が会談に出かけたのも、仲間内でパーティをしようと思ってアシュヴィンに協力を仰いでいたからなのだが、那岐はそれを知らないため呟き返す。
「誕生日?」
「うん、こっちの暦になっちゃうけど。那岐誕生日だよ。だから、おめでとう」
 こんなことになってしまい当日のサプライズパーティとはさすがにいかないながらも、千尋はせっせとこの日のために準備してきた。仲間の力を借りながら、那岐の生を喜んで。
 耳元でおめでとうと告げると、いつもの調子を取り戻した那岐は皮肉で返してくる。
「この時代に誕生日なんてあってないようなものだろ。たかだか一つ年とったくらいで何がそんなに嬉しいんだ」
「わかってないな、那岐が今まで生きてきたのが嬉しいの。ほら、また一年那岐と一緒の想い出が作れるよ」
 皮肉が返ってくるのは解っていた。だから、千尋は怒りも起こらない。それ以上に、那岐が生まれてきた喜びを一緒に感じあえたらいい。
「明日元気になったらみんなでパーティやるからね。色々準備したんだから」
「……面倒くさいな」
「ダメ、これは決定事項です。明日は皆お休みして、お祝いするんだよ。おめでとうって」
 千尋は少しだけ王の権限を私用に使ったが、咎める者は誰もいなかった。それは非常にありがたかったし、やっぱり皆も那岐のことを考えてくれているんだと思うと、千尋は嬉しくなったのだ。那岐はそういうことに無頓着だからきっと他人による自身の評価など全然知らないだろう。
 明日はそれに気づいてビックリすればいい、と千尋はこっそり思った。
「だから、今日はこのまま眠って。明日はきっと起きたときには治ってるよ」
 皆で那岐を守るために奔走したのだ、明日にはきっと熱も下がって回復する。千尋はにこっと笑ってそういった。那岐も珍しく素直に千尋の言葉に従って、すぐにも目を閉じた。千尋の手首を掴んでいた那岐の手から力が抜ける。今度はその手を千尋が両手で包み込んで、起さないように触れるだけのキスをする。
「おやすみなさい、那岐。誕生日、おめでとう」
 那岐が居なければ今の千尋はきっとここにいない。那岐を大切に思う心があったから、千尋は眠っている那岐の傍でこんんなにも幸せな気分になれる。
 まるで返事をするかのように、眠ったまま那岐の睫毛が一度だけ震えた。





 「黄金色の残像」の続きです。  あれ……あんま甘くない?変だな。いつもだったら暗い話のあとには甘くなってるのに!(え?そんなことないですか?)
 っていうか、ウチにしてはよく喋るし甘えてる那岐なんですけど。うわ、キャラ崩壊!すいません!
 注意書きしなかったんですけど、したほうがいいですか(どんだけチキンなんですか)皮肉屋さんは扱いに困りますNE★


   20080915  七夜月

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