繋がるゆびきり 1 それは遠い昔の忘れられても構わない約束。 人間の少女が、動けない自分の傍で泣いた、そして笑った。 それからずっと、傍で守ってきた。 忘れられても構わないとずっと思っていた。それで十分だから、少女が成長していつしか幸せに満たされるときがくればそれが自分の幸せに繋がっていく。いつしかこの手が繋がれることがなくなっても、心は繋がっていると信じられた。 幸せが連鎖していくには程遠い過酷な運命を背負った少女、そんな少女とした約束。 「もし、いつかね。いつか…私が誰かを選んだとして、そうしたら風早は隣を歩いてくれる?」 「そうですね、千尋がお嫁さんになってしまうのはとても寂しいけれど、でも俺でいいなら一緒に歩きますよ」 是が非もなく頷いたその言葉。約束がようやく果たされる日が来る。 千尋は回廊をパタパタと足音を立てながら走っていた。こんな姿を重臣たちに見つかったら何を言われるかわからない。だが、千尋は走っていた。もう我慢の限界だった。 きょろきょろとあたりを見回しながら橿原宮の建物内に再び入りそうになったとき、庭を歩いている布都彦の姿を見つけた。 「布都彦、那岐知らない?」 ちょうど宮の警護の見回りをしていた布都彦を捕まえた千尋はその腕を取って彼を引き止める。 「姫!……あ、ではなくて、失礼しました王」 「呼び方なんて好きに呼んでくれていいよ、それよりお願い布都彦。那岐がどこにいるか知らない?知ってたら教えて」 千尋のあまりの必死さに布都彦は圧倒されながらも首を横に振った。 「申し訳ありません、私は本日は那岐に会っていません」 「そう……ごめんね、ありがとう」 「あっ、お待ちください! そのように走られては……!」 布都彦の静止を心の中で謝罪して振りきり、千尋はまたも走り始めた。 そんな千尋を見送った布都彦は、身体を反転させてまた歩き出す。すると、身を隠すように木陰で休んでいる人影を見つけて、布都彦は溜息をついた。 「那岐、いるなら出てくればいいだろう。ここのところ毎日王が探されているのを知っているはずだ」 「…………」 昼寝の邪魔をされたためか、那岐は背中を布都彦に見せたまま深く溜息をついた。 「いつまでそうして逃げ回るつもりなんだ」 「誤解を招くようなことを言わないでほしいね、避けてるわけじゃない。仕方ないだろう、風早がうるさいんだよ」 最後のほうはもう既に那岐の口の中で呟かれたようなもので、布都彦に音として聞えはしなかったが、それでも大体の事情は察する。 「それに、もしも布都彦が千尋の味方をするなら僕の居場所でも好きに吐けばいい」 「それは……」 布都彦だって心を痛めて今こうして那岐の居場所を知らない(実際こうして会うまでは知らなかったとはいえ)と言い続けるのも結局は千尋のため、と言われたからに過ぎない。 「ったく……、それじゃあ僕は行くよ。千尋に上手く言っといてよ」 「私がか!?」 「良かったな、千尋とたくさん話せるだろ」 「そういう問題じゃない!私のような者が気軽に王に話しかけるなど……って、違う!那岐、話はまだ終わっていないぞ!」 布都彦は那岐の後を追いかけて未だに文句を言い続けるも、那岐は適当に相槌を打つだけでまったく相手にしなかった。 千尋が那岐を見かけなくなってから、一週間ほど過ぎた。当然最初は公務の邪魔をしないように那岐なりに気を使っているのかと思っていたが、日付がどんどん過ぎていっても那岐の姿は一向に見えなかった。 激務が続けば会えなくなることもある。二、三日会えないことも今まで数回あったからさほど気にも留めてなかった。けれど一週間ともなればさすがにおかしいと千尋も思い始める。何故ならどんなに忙しくても面倒くさくても、長時間会わなければ那岐は必ず自分に姿を見せてくれていたのだ。 時間としてはとても短くて一緒に居られるのは決して長くはなかった。千尋は一抹の寂しさを感じていたが那岐がこうして会いにきてくれているんだから我侭は言えないと胸に秘めていつでも笑顔で迎え入れていた。 結局今日も公務の最中に那岐を探してみたが手がかりは得られなくて、千尋は自分の部屋に戻ってきた。自分の部屋の隅には、豪華な衣装が立てかけてある。それは先日届いたばかりの千尋の花嫁衣裳だ。那岐と結婚すると決めてから、ずっとそれを励みに頑張ってきた。以前に比べたら那岐の表情が柔らかくなることも多くなって、千尋以外の人にも臆面なく笑うようになったのを千尋はちゃんと気づいている。そして千尋は安心していたのだ。これから一生を添い遂げる那岐が、今を幸せに感じてくれているのならば、きっとこれからも幸せで居られる。結婚したら千尋は那岐のこの幸せを守っていこうと思っていた。 だから、こんな風に突然突き放されると距離が掴めなくて困る。 もしかして、千尋と結婚するのが嫌になって姿を現さなくなったんだろうか。そんなことないと自分で振り切ろうとしても、逢えない寂しさは時に感情を後ろ向きに支配する。 こういうときの不安はいつも風早に相談していた。だが、その風早もしばらくは千尋は見ていない。 「どうして、那岐……」 ちゃんと口に出してくれないと、何もわからないのに。 不安を抱えたまま、千尋は今夜また眠りについた。ここのところ、千尋は夢も見なくなった。 → 20080924 七夜月 |