【壱】 「ごほっごほっ……!」 酷い咳だ。咳をし過ぎで背中が痛い。暗い部屋は電気がつくことなく、光は窓から差し込んでいる月明かりだけ。 喉が渇く。水が飲みたい。けれど重たい身体はまるでそれを拒むように立ち上がる気力すらも湧かなかった。横向きになり身体を九の字に曲げてふーっと息をつく。 敦盛は靄のかかった脳内で今までの自分を思い出そうとする。確か、風邪を引いて医者に行って、帰り道で将臣に会って。 その後の記憶は途切れている。こういったことは良くあることだから簡単に推測できる。多分、将臣の車で倒れたのだろう。将臣が家まで連れてきてくれて、今こうして布団に包まっているが、食べ物が入らないから薬も飲んでいないし、悪循環である。 どうしようかとボーっと考えていると、背中を優しく撫でられるような感覚が伝わってきた。 「……母上? 帰ってきたのですか……?」 仕事で遅くなると書置きがしてあった母が帰ってきたのかとおぼろげな声を上げると、その手が一度止まり、躊躇ったように再び動き出した。 「大丈夫だよ、敦盛さん。具合悪いのなんか、きっとすぐにふっとんでっちゃうから。だから、今は眠って……」 母ではない声だった。でもとても優しくて、敦盛は素直に目を閉じた。実際、背中を撫でられていると気持ちがよく、苦しかった感情が撫でられる毎に少しずつ和らいでいくような、そんな錯覚すら起こしてしまうほどに。 眠ってしまえば苦しくなくなる。苦しみから解放される。だから全てを眠りに委ねて、少し休もう。 そうして敦盛は眠りについた。 夢の中はただ赤かった。華だ。真っ赤な華が咲き誇っている。この華を敦盛は知っている。そうだ、曼珠沙華だ。月が照らす曼珠沙華の花畑。血のように燃え立つその紅が、夜の闇にはよく映えた。 敦盛はこの場所を知っている気がした。初めて来た気がしない。 懐かしさに目を細めていると、月明かりを逆光に一人の青年が立っていた。銀髪で着物を着崩しており、こちらを見てニヒルに笑う。 「苦しいか?」 1.貴方は……? 2.何だか、知っている気がする。 再び敦盛が目覚めたのは真夜中の事だった。かなり汗をかいたせいでパジャマはびっしょりと濡れ気持ちが悪い。着替えようと立ち上がるとくらっと眩暈が起きる。ずっと眠っていたために、立ちくらみが起きたのだ。どれだけ自分は眠っていたのだろうかと時計を見ようとして気付く。 時計の乗っている机の上に、見知らぬ漆塗りの小箱が置いてあった。上にはメモも乗っている。それらを取り上げて、敦盛はメモを読んだ。 『敦盛さんへ 今日学校をお休みしたので心配になりお見舞いに来ました。 鍵が開いていたからとはいえ、勝手に入っちゃってごめんなさい。 お見舞いの品になるか解らないけど、皆と一緒におはぎを作ったので元気になったら食べてください。 一日でも早く元気な敦盛さんと学校で会えるのを楽しみにしています。 春日望美より 』 敦盛は読んでから小箱の蓋を開けた。 中には6つ、おはぎが並んでいた。けれど、何故か上に紙が乗っている。A〜Fの番号がついた紙。また新しい遊びだろうと、敦盛はそのうちの一つを手に取り、躊躇わずに口に含んだ。 「うっ……!」 直後口を押さえてゴミ箱に向かうと、今口に含んだもの全てゴミ箱の中に吐き出した。 「………………この世に食べられない食べ物が存在するとは……」 殺人的に不味かった。 変な味、のレベルではない。鼻をつんとさせるような何かと、ドブを口に含んだかのようなあの汚臭を固体にしたようなものというか(実際に敦盛もドブを食したわけでは無いので、形容表現はあくまで推測だ)、言葉で言い表すことが難しいとにかく色んな意味で難易度の高い食べ物であることは間違いない。 せっかく皆が作ってくれたのに、ここまでだともう二度と食べる気がしない。申し訳ないが、身体自体が拒否を起こすのだ。かといえ、心優しい敦盛はおはぎを捨てることなど出来ず、箱を持ったまま暫く固まった。このおはぎと敦盛の運命やいかに。あまり想像したくはないものである。 そういえば番号がついていた。その紙を裏側にめくると、そこには名前が書いてあった。 「………? 『望美作』」 …………どうやらこれは望美が作ったもののようだった。他の人が作った物も混じっているのかととりあえず紙を全部めくってみた。 が、 「…………全部神子の名になっているのだが……」 確か、部活の皆と一緒におはぎを作ったとメモには書いてあったはずだが、望美の名前しかない。 「学校を休んだ罰ゲームなのか?」 ……これは諦めろという運命の境地か。 敦盛は意を決しておはぎを口に運んだ。そして次にゴミ箱へ駆け寄る。更にもう一度トライしてみた。また更にゴミ箱へ駆け寄る。それを幾度か繰り返し、ようやく小箱の中身は消えた。ついでに、敦盛の精神力、体力共に両方とも大きく消耗された。 しばらくおはぎは見たくないし食べたくない。げっそりとした顔つきで敦盛はそう思った。 【壱】 了 【弐】 20060911 七夜月
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